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ベティ・デイヴィス

Bette Davis
概要

生年月日:1908年4月5日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェル

没年月日:1989年10月6日(81才)

代表作:

痴人の愛」(共演:レスリー・ハワード)

黒蘭の女」(共演:ヘンリー・フォンダ、監督:ウィリアム・ワイラー)

イヴの総て」(共演:アン・バクスター)

ポケット一杯の幸福」(共演ピーター・フォーク、監督フランク・キャプラ)

何がジェーンに起ったか?」(共演:ジョーン・クロフォード)

受賞歴:

​・アカデミー賞 主演女優賞「青春の抗議」(ノミネート計11回!5年連続)

・アカデミー賞 主演女優賞「黒蘭の女」

​・エミー賞 女優賞「Strangers: The Story of a Mother and Daughter」
​・ゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞

​・AFI 生涯功労賞(女性として初の受賞)

結婚歴:

・学生時代の友人(1932~1938)

・宿泊施設の経営者(1940~1943:死別)

・芸術家でマッサージ師(1945~1950)娘が1人誕生

​・「イヴの総て」で共演した俳優ゲイリー・メリル(1950~1960)養子2人

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圧倒的な存在感と卓越した演技力で、他を寄付けない天才女優!
 

オーナーの一言

「フィルムのファーストレディ」などと称されるベティ・デイヴィスについて、あなたはどんなイメージを持ってますか?

私は、次の3つです。

1つめは、26才の年に公開されたRKO社の映画痴人の愛」でのベティの演技は素晴らしいものであったのに、Wikipediaによると、当時、専属契約していたワーナーが、他社の作品の宣伝になるとしてベティ・デイヴィスをオスカーにノミネートさせないよう画策。
これに対して、ベティ・デイヴィスがオスカーにノミネートされないのは、おかしい!と、ファンや評論家やマスメディアらが猛抗議。
その結果、なんとノミネートされていなくても投票してOKという特別措置が講じられました。スゴすぎる。。。
結局、受賞は映画「或る夜の出来事」のヒロインを務めたクローデット・コルベールが受賞しましたが、ここまで世論を動かしてしまうベティ・デイヴィスの演技力って一体・・・(笑)

2つめは、映画「
イヴの総て」での存在感、そして人間力というか懐の広さというか、観ていて目が離せない貫禄ぶり。大女優というものを初めて観て感じられた作品でした。
同作品中に登場した無名時代のマリリン・モンローや、若きアン・バクスターでさえもかすんでしまうほど不思議な魅力を持っていましたね☆

3つめは、女優ジョーン・クロフォードとの有名な確執と、そんな犬猿の仲だった大女優2人がプロに徹して共演した映画「
何がジェーンに起ったか?」でのベティの迫真の演技ですね!もう、ホラーという言葉は、この映画のために存在しますね。。。
ちなみに、この2人の確執をテーマにしたTVドラマ・ミニシリーズがアメリカで最近放送されたとか。観てみたい!


なお、ベティ・デイヴィスは、女性として初めてアメリカ映画協会(AFI)から生涯功労賞を受賞した女優で、同じくAFIが選出した「映画スター ベスト100」では、堂々の第2位でした☆
(ちなみに、1位はキャサリン・ヘプバーン、3位はオードリー・ヘプバーン、4位はイングリッド・バーグマンでした)


 

ほぼ全出演作品リスト

ほぼ全出演作一覧
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1931年(23才の年) 映画「Bad Sister(姉妹小町)」(共演:ハンフリー・ボガート)
1931年(23才の年) 映画「Seed(母性)」(共演:ディッキー・ムーア、ザス・ピッツ、ジョン・ボールズ)
1931年(23才の年) 映画「Waterloo Bridge」(監督:ジェイムズ・ホエール、メイ・クラーク)

1931年(23才の年) 映画「Way Back Home」(共演:フィリップス・ロード)
1932年(24才の年) 映画「The Menace」(監督:ロイ・ウィリアム・ニール、H・B・ワーナー、ナタリー・ムアヘッド)

1932年(24才の年) 映画「Hell's House」(監督:ハワード・ヒギン、共演:ジュニア・ダーキン)
1932年(24才の年) 映画「The Man Who Played God」(共演:ジョージ・アーリス、レイ・ミランド)
1932年(24才の年) 映画「So Big!(母)」(当時25才のバーバラ・スタンウィックと共演!監督:ウィリアム・A・ウェルマン)
1932年(24才の年) 映画「The Rich Are Always with Us」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:ジョージ・ブレント)
1932年(24才の年) 映画「The Dark Horse」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:ウォーレン・ウィリアム)
1932年(24才の年) 映画「The Cabin in the Cotton(暁の耕地)」(共演リチャードバーセルメス、監督マイケルカーティス)
1932年(24才の年) 映画「Three on a Match(歩道の三人女)」(監督:マーヴィン・ルロイ、共演:ウォーレン・ウィリアム)
1932年(24才の年) 映画「20,000 Years in Sing Sing(春なき二万年)」(監督マイケルカーティス共演スペンサートレイシー)
1933年(25才の年) 映画「Parachute Jumper(落下傘)」(監督アルフレッドEグリーン共演ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)
1933年(25才の年) 映画「The Working Man」(共演:ジョージ・アーリス)
1933年(25才の年) 映画「Ex-Lady」(監督:ロバート・フローリー、共演:ジーン・レイモンド、モンロー・オーズリー)
1933年(25才の年) 映画「Bureau of Missing Persons(失踪者三万人)」(監督ロイ・デル・ルース、共演ルイス・ストーン)
1934年(26才の年) 映画「The Big Shakedown(めりけん商売)」(監督ジョンフランシスディロン、共演チャールズ・ファレル)
1934年(26才の年) 映画「Fashions of 1934(流行の王様)」(監督ウィリアム・ディターレ、共演ウィリアム・パウエル)
1934年(26才の年) 映画「Jimmy the Gent」(監督:マイケル・カーティス、ジェームズ・キャグニー)
1934年(26才の年) 映画「Fog Over Frisco」(監督:ウィリアム・ディターレ、共演:マーガレット・リンゼイ)
1934年(26才の年) 映画「Of Human Bondage(痴人の愛)」(監督ジョン・クロムウェル、共演レスリー・ハワード)
1934年(26才の年) 映画「Housewife」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:ジョージ・ブレント)
1935年(27才の年) 映画「Bordertown(ボーダータウン)」(共演:ポール・ムニ)
1935年(27才の年) 映画「The Girl from 10th Avenue」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:イアン・ハンター)
1935年(27才の年) 映画「Front Page Woman」(監督:マイケル・カーティス、共演:ジョージ・ブレント)
1935年(27才の年) 映画「Special Agent(特高警察)」(監督:ウィリアム・ケイリー、共演:ジョージ・ブレント)
1935年(27才の年) 映画「Dangerous(青春の抗議)」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:フランチョット・トーン)
1936年(28才の年) 映画「The Petrified Forest(化石の森)」(共演:レスリー・ハワード、ハンフリー・ボガート)
1936年(28才の年) 映画「The Golden Arrow」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:ジョージ・ブレント)
1936年(28才の年) 映画「Satan Met a Lady(マルタの鷹)」(監督:ウィリアム・ディターレ)
1937年(29才の年) 映画「Marked Woman(札つき女)」(監督:ロイド・ベーコン、共演:ハンフリー・ボガート)
1937年(29才の年) 映画「Kid Galahad(倒れるまで)」(監督:マイケル・カーティス、共演:ハンフリー・ボガートほか)
1937年(29才の年) 映画「That Certain Woman(或る女)」(監督:エドマンド・グールディング、共演:ヘンリー・フォンダ)
1937年(29才の年) 映画「It's Love I'm After(恋愛合戦)」(共演:レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド)
1938年(30才の年) 映画「Jezebel(黒蘭の女)」(監督:ウィリアム・ワイラー、共演:ヘンリー・ファンダ)
1938年(30才の年) 映画「The Sisters(黄昏)」(監督:アナトール・リトヴァク、共演:エロール・フリン)
1939年(31才の年) 映画「Dark Victory(愛の勝利)」(監督:エドマンド・グールディング、共演:ジョージ・ブレントほか)
1939年(31才の年) 映画「Juarez(革命児ファレス)」(監督ウィリアム・ディターレ、共演ポール・ムニ、クロード・レインズ)
1939年(31才の年) 映画「The Old Maid」(監督:エドマンド・グールディング、共演:ミリアム・ホプキンス)
1939年(31才の年) 映画「The Private Lives of Elizabeth and Essex(女王エリザベス)」(監督:マイケル・カーティス、共演:エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド)
1940年(32才の年) 映画「All This, and Heaven Too(凡てこの世も天国も)」(監督アナトールリトヴァク共演シャルルボワイエ)
1940年(32才の年) 映画「The Letter (月光の女)」(監督:ウィリアム・ワイラー、共演:ハーバート・マーシャル)
1941年(33才の年) 映画「The Great Lie(偉大な嘘)」(監督:エドマンド・グールディング、共演:メアリー・アスター)
1941年(33才の年) 映画「The Bride Came C.O.D.」(監督:ウィリアム・ケイリー、共演:ジェームズ・キャグニー)
1941年(33才の年) 映画「The Little Foxes (偽りの花園)」(監督ウィリアムワイラー共演ハーバートマーシャル、テレサライト)
1942年(34才の年) 映画「The Man Who Came to Dinner (晩餐に来た男)」(監督:W・ケイリー、共演:アン・シェリダン)
1942年(34才の年) 映画「In This Our Life(追憶の女)」(監督:ジョン・ヒューストン、共演:オリヴィア・デ・ハヴィランド)
1942年(34才の年) 映画「Now, Voyager(情熱の航路)」(監督:アーヴィング・ラパー、共演:ポール・ヘンリードほか)
1943年(35才の年) 映画「Watch on the Rhine(ラインの監視)」(監督:ハーマン・シュムリン、共演:ポール・ルーカス)
1943年(35才の年) 映画「Thank Your Lucky Stars」(共演:エディ・カンター、ジョーン・レスリー)
1943年(35才の年) 映画「Old Acquaintance(旧友)」(共演:ミリアム・ホプキンス、ギグ・ヤング)
1944年(36才の年) 映画「Mr. Skeffington」(監督:ヴィンセント・シャーマン、共演:クロード・レインズ)
1944年(36才の年) 映画「Hollywood Canteen (ハリウッド玉手箱)」(カメオ出演。自身の呼びかけで設立された軍人用食堂)
1945年(37才の年) 映画「The Corn Is Green (小麦は緑)」(監督:アーヴィング・ラパー、共演:ナイジェル・ブルース)
1946年(38才の年) 映画「A Stolen Life (盗まれた青春)」(監督:カーティス・バーンハート、共演:グレン・フォード)
1946年(38才の年) 映画「Deception (愛憎の曲)」(監督アーヴィング・ラパー、共演ポール・ヘンリード、クロード・レインズ)
1948年(40才の年) 映画「Winter Meeting」(監督:ブレティン・ウィンダスト、共演:ジム・デイヴィス)
1948年(40才の年) 映画「June Bride(花嫁の季節)」(監督:ブレティン・ウィンダスト、共演:ロバート・モンゴメリー)
1949年(41才の年) 映画「Beyond the Forest(森の彼方に)」(監督:キング・ヴィダー、共演:ジョゼフ・コットン)
1950年(42才の年) 映画「All About Eve(イヴの総て)」(監督ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、共演アン・バクスター)
1951年(43才の年) 映画「Payment on Demand」(監督:カーティス・バーンハート、共演:バリー・サリヴァン)
1951年(43才の年) 映画「Another Man's Poison」(監督:アーヴィング・ラパー、共演:ゲイリー・メリル)
1952年(44才の年) 映画「Phone Call from a Stranger」(監督:ジーン・ネグレスコ、共演:ゲイリー・メリル)
1952年(44才の年) 映画「The Star」(監督:スチュアート・ヘイスラー、共演:スターリング・ヘイドン)
1955年(47才の年) 映画「The Virgin Queen (ヴァージン・クイーン)」(監督ヘンリー・コスター、共演リチャード・トッド)
1956年(48才の年) 映画「The Catered Affair」(監督:リチャード・ブルックス、共演:アーネスト・ボーグナイン)
1956年(48才の年) 映画「Storm Center」(監督:ダニエル・タラダッシュ、共演:ブライアン・キース)
1959年(51才の年) 映画「John Paul Jones (大海戦史)」(監督:ジョン・ファロー、共演:ロバート・スタック)
1959年(51才の年) 映画「The Scapegoat (替罪羊)」(監督:ロバート・ハマー、共演:アレック・ギネス)
1959年(51才の年) TVシリーズ「ヒッチコック劇場」(シーズン4、監督:ポール・ヘンリード)
1961年(53才の年) 映画「Pocketful of Miracles(ポケット一杯の幸福)」(監督フランク・キャプラ、共演ピーター・フォーク)
1962年(54才の年) 映画「What Ever Happened to Baby Jane? (何がジェーンに起ったか?)」(監督:ロバート・アルドリッチ、共演:ジョーン・クロフォード)
1962年(54才の年) 自伝「The Lonely Life」出版
1963年(55才の年) 映画「The Empty Canvas(禁じられた抱擁)」(監督ダミアーノダミアーニ、共演ホルスト・ブッフホルツ)
1964年(56才の年) 映画「Dead Ringer (誰が私を殺したか?)」(監督:ポール・ヘンリード、共演:カール・マルデン)
1964年(56才の年) 映画「Where Love Has Gone (愛よいずこへ)」(監督エドワード・ドミトリク、共演スーザン・ヘイワード)
1964年(56才の年) 映画「Hush...Hush, Sweet Charlotte(ふるえて眠れ)」(監督ロバート・アルドリッチ、共演:オリヴィア・デ・ハヴィランド、ジョーン・クロフォード、ジョゼフ・コットン)
1965年(57才の年) 映画「The Nanny (妖婆の家)」(監督:セス・ホルト、共演:ウィリアム・ディックス)
1966年(58才の年) TVドラマ「ガンスモーク」(ゲスト出演:S12E3「The Jailer」)
1968年(60才の年) 映画「The Anniversary (残酷な記念日)」(監督:ロイ・ウォード・ベイカー、共演:シーラ・ハンコック)
1970年(62才の年) 映画「Connecting Rooms」(監督:フランクリン・ゴーリングス、共演:マイケル・レッドグレイヴ)
1971年(63才の年) 映画「Bunny O'Hare」(監督:ガード・オズワルド、共演:アーネスト・ボーグナイン)
1972年(64才の年) 映画「Madame Sin」(監督:デヴィッド・グリーン、共演:ロバート・ワグナー)
1972年(64才の年) 映画「The Scientific Cardplayer」(監督:ルイジ・コメンチーニ、共演:シルヴァーナ・マンガーノ)
1976年(68才の年) 映画「Burnt Offerings (家)」(監督:ダン・カーティス、共演:カレン・ブラック)
1978年(70才の年) 映画「Return from Witch Mountain(続・星の国から来た仲間)」(監督:ジョン・ハフ)
1978年(70才の年) 映画「Death on the Nile (ナイル殺人事件)」(監督:ジョン・ギラーミン、共演:ピーター・ユスティノフ)
1980年(72才の年) 映画「The Watcher in the Woods(呪われた森)」(監督:ジョン・ハフ、共演:リン=ホリー・ジョンソン)
1983年(75才の年) TV映画「
Right of Way」(共演:ジェイムズ・スチュワート)
1987年(79才の年) 映画「The Whales of August(八月の鯨)」(監督:リンゼイ・アンダーソン、共演:リリアン・ギッシュ)
1987年(79才の年) 著作「This 'n That」出版
1989年(81才の年) 映画「Wicked Stepmother(おばあちゃんは魔女)」(監督:ラリー・コーエン、共演:トム・ボズリ)
オーナー厳選作品

 
 
オーナー厳選作品のご紹介

 

ベティ・デイビス出演映画の中から当サイト オーナーのオススメ作品を何本かご紹介します☆

まずは、アン・バクスターと共演した名作映画「イヴの総て」(1950:All About Eve)です!

ベティ・デイヴィスが42才の年に公開された作品。

監督は、映画「三人の妻への手紙」などで知られるジョーゼフ・L・マンキーウィッツで、共演した女優は映画「剃刀の刃」や「私は告白する」などで有名なアン・バクスターです。

 

そして実は、若かりし頃の、まだ人気がでる前のマリリン・モンロー(24才前後)もわずかですが出演しています!

さらに、映画「紳士協定」で知られるセレステ・ホルムや、ジョージ・サンダース​、そして同年にベティ・デイヴィスと結婚した俳優のゲイリー・メリルも出演しています。

アカデミー賞では、作品賞を含めて6部門を受賞。

 

・作品賞
・監督賞(ジョセフ・L・マンキーウィッツ)
・助演男優賞(ジョージ・サンダース)
・脚本賞(ジョセフ・L・マンキーウィッツ)
・衣裳デザイン賞
・録音賞

 

本作をオマージュしている映画は数知れず、同じモチーフの作品も多数みかけます。もう名作中の名作ですよ!

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2作目は、1938年(30才の年) の映画黒蘭の女(原題:Jezebel)です

監督は、映画「ローマの休日」や「我等の生涯の最良の年」「ミニヴァー夫人」「ベン・ハー」等で知られる巨匠ウィリアム・ワイラーで、共演は映画「黄昏」「怒りの葡萄」「レディ・イヴ」などで有名なオスカー俳優ヘンリー・ファンダです。

この作品は、ベティ・デイヴィス版の「風と共に去りぬ」だと思ってもらうとイメージしやすいかもしれません。もう、初めてベティ・デイヴィスが登場するシーンから、カッコ良すぎて心を持ってかれますよ☆

内容が特に好きという訳ではないのですが、とにかく若いベティのキレのある演技に感激できる作品でした♪

 

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オススメ3作目は1934年(26才の年)映画「痴人の愛」(原題:Of Human Bondage)です!。

イギリスの小説家サマセット・モームの小説「人間の絆」が原作の映画です。

監督は映画「アンナとシャム王」などで知られるジョン・クロムウェルで、共演は、映画「風と共に去りぬ」や「別離」等で有名なレスリー・ハワードです。

ベティ・デイヴィスは、ウェイトレスのミルドレッド・ロジャース役を演じています。公開当時、ベティが演じた悪女っぷりが大評判となりました!

 

当然、アカデミー賞主演女優賞受賞の期待も大きかったのですが、Wikipediaによると、ベティ・デイヴィスは当時ワーナー・ブラザースと契約していたのですが、本作がRKO社の映画だったために、ワーナーの社長ジャック・ワーナーがベティ・デイヴィスをアカデミー賞の賞レースから締め出してしまい、彼女はノミネートすらされませんでした。

これに大激怒した評論家や映画ファンたちが猛抗議をした結果、なんとノミネートしていない人間にも投票してOKという異例のルールが発令されました。

ただ、結局は、受賞を逃し、映画「或る夜の出来事」に出演した女優クローデット・コルベール が受賞。この事件は「アカデミー史上最大の過ち」と呼ばれているとか。

​ここまで観客を魅了したベティ・デイヴィスの演技をまだ観たことがない方はぜひ観てみてください☆まさに「フィルムのファーストレディ」と呼ばれたベティの演技の真髄が堪能できますよ!

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オススメ4作目は1937(29才の年) の映画「倒れるまで」(原題:Kid Galahad)です。

監督は、映画「カサブランカ」で有名なマイケル・カーティスで、共演はやはり「カサブランカ」で有名なハンフリー・ボガート、そして映画「犯罪王リコ」や「深夜の告白」などで知られるエドワード・G・ロビンソン、さらに、映画「スミス都へ行く」などに出演しているハリー・ケリーなどがいます。

豪華キャストとともに、ベティ・デイヴィスらしい賢くて気の強い女性を演じています☆

実は本作は、エルヴィス・プレスリー主演の映画「恋のKOパンチ」として1962年にリメイクされています。

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オススメ5作目は1942年(34才の年)の映画「情熱の航路」(原題:Now, Voyager)です。

監督は映画「アメリカ交響楽」や「黒い牡牛」で知られるアーヴィング・ラパー。ベティ・デイヴィスとは映画「小麦は緑」でもタッグを組んでいますね。

共演者は、映画「カサブランカ」や「愛の調べ」への出演で知られるポール・ヘンリードで、なんとポール・ヘンリードは後にベティ・デイヴィスが主演した映画「誰が私を殺したか?」では監督を務めました。

他にも、共演者には、映画「スミス都へ行く」や「カサブランカ」「汚名」などで有名なクロード・レインズや、映画「マイ・フェア・レディ」でヒギンズ教授の母親役を演じたグラディス・クーパーなどがいます。

この作品では、ベティ・デイヴィスの変身振りを楽しめるのと同時に、男性が2本タバコをくわえて火をつけてから1本を女性に渡すとういしぐさや、名ゼリフ「Don't let's ask for the moon. We have the stars.」(月を求めるなんてよしましょうよ。私たちには星があるんですもの)が有名になりました☆

ただし、この作品のストーリー自体は個人的にはあまり好きになれませんでした。ただ、やはりベティ・デイヴィスの堂々たる魅力になぜか目が離せなくなり、ついつい最後まで観てしまったという・・・(笑)ホントに不思議な程、魅力的な女優です。

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オススメ6作目は1939(31才の年)の映画「愛の勝利」(原題:Dark Victory)です。

この作品は、内容的にすごく切なくて、ベティ・デイヴィスの演技もうまかったためホロリときちゃいました。

監督は映画「グランド・ホテル」で有名なエドマンド・グールディングで、共演はベティ・デイヴィスとは本作も含め、なんと11本もの映画で共演しているという俳優ジョージ・ブレントや、映画「カサブランカ」で有名なハンフリー・ボガート、「ラインの監視」でもベティ・デイヴィスと共演した女優ジェラルディン・フィッツジェラルド、そして元アメリカ合衆国大統領のロナルド・レーガンが俳優時代に出演した作品でもあります。

余談ですが、ベティ・デイヴィスは後年、大統領になったロナルド・レーガンと会っていて、ウィキペディアなどに2ショット写真がありますよね。

​この頃のベティ・デイヴィスも美しくて可愛くて綺麗ですよね~☆

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このほかにも、まだまだ膨大な数の映画に出演したベティ・デイヴィスのオススメ映画はたくさんあるのですが、キリがないのでこのへんにしておきます。他の作品は、下記にある予告編動画の紹介のところで探してみてくださいね!

ざっくり生い立ち

 

 

 

ざっくりと生い立ちをご紹介

1908年4月5日にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェルで生まれています。

本名はルース・エリザベス・デイヴィス。芸名のベティというのは、小さい頃からの呼び名みたいです。ちなみにWikipediaによると、最初は「Betty」だったようですが、後にスペルを「Bette」に変更しています。これはフランスを代表する作家オノレ・ド・バルザックの小説「従弟ベッド」の登場人物にちなんでいるとか。(間違ってたらごめんなさい:笑)

父親は特許弁護士で、裕福な家庭に育ち、妹が1人います。

しかし、7才の頃に両親が離婚。

1921年(13才の年)、ニューヨークへ引越し。写真学校へ入学し、ポートレート写真家の仕事にも従事。

その後、マサチューセッツにある全寮制の共学学校へ入学。そこで将来、結婚することになる男性と出会っています。

1926年(18才の年)、女優になることを夢見るようになる。

「人形の家」などで有名なノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの「野鴨」という劇を女優のブランチ・ユーカとペグ・エントウィスルが演じているのを観る。その際、ペグ・エントウィスルに憧れて女優になることを決意したそうです。ちなみに、ペグ・エントウィスルという女優は24才という若さにして、カリフォルニア州にあるハリウッドサインのHの文字の上から投身自殺していることで知られる女優です。

その後、ベティ・デイヴィスは演劇学校や劇団のオーディションを受け、落選もしたのですが、映画「マイ・フェア・レディ」で有名な監督ジョージ・キューカーが主催していた劇団のオーディションに受かり、小さいながらも初めて対価をもらって演劇に出演したそうです。

1929年(21才の年)、プロとして初めて女優の仕事をもらう。

映画学者で作家としても知られるエド・シコフという男性から初めてプロの女優としての仕事をもらうが、こちらは1年ほど延期してしまうという憂き目にあっています。

さらに同年、なんと、18才の時に観たイプセンの「野鴨」という劇を憧れの女優ペグ・エントウィスルと共演していた女優ブランチ・ユーカから選ばれて、同作のペグ・エントウィスルが演じていた役を演じることになったそうです!これ、スゴイですね!

フィラデルフィアやボストン、ワシントン等で公演をこなした後、さらに「Broken Dishes」という作品でブロードウェイデビューも果たしています。

1930年(22才の年)、ユニバーサル・スタジオのスクリーン・テストを受けるも不合格

・映画「小公子」でのメアリー・ピックフォードを観て、映画女優としての道を目指し始める

・典型的なステージママだった母親と一緒にハリウッドへ

・ユニバーサルスタジオのスクリーンテストは最初、不合格となる

1931年(23才の年)、ユニバーサル・スタジオと契約するもスクリーンテストは散々なもの

・ユニバーサルスタジオと何とか契約

・スクリーンテストで15人もの俳優たちが次々と横たわるベティ・デイヴィスの上に乗り情熱的なキスをしたとか

・スクリーンテストで、映画「ローマの休日」で知られるウィリアム・ワイラー監督からも不合格を言い渡される

 

・撮影監督だった人物からラブリーな瞳をしていると気に入ってもらい映画Bad Sister(姉妹小町)で映画デビュー!

・その後も、映画「ウォタルウ橋」などに出演

1932年(24才の年)、ユニバーサル・スタジオから契約を切られるも、ワーナー・ブラザースと契約。そして結婚。

・コロンビア映画など他社の映画作品出演に貸し出された後、ユニバーサル映画の創設者カール・レムリから契約を打ち切られる

・しかし、この頃オスカー俳優のジョージ・アーリスからのご指名で、ニューヨークへ戻りワーナー・ブラザーズと契約

​・ジョージ・アーリス主演の映画「The Man Who Played God」でヒロインを務め好評を得る。

 

・話題の人気女優となったベティは、ワーナーと5年契約を結ぶ。その後、18年に渡りワーナーと契約することになる。

 

・学生時代の友人だった男性とアリゾナ州で結婚。しかし夫よりも10倍稼ぐ妻としてマスコミから揶揄されてしまう。

1934年(26才の年)、映画「痴人の愛」で一躍大ブレイク!

イギリスの作家サマセット・モームの「人間の絆」を映画化した作品「Of Human Bondage(痴人の愛)」に出演して大絶賛を受ける。

 

演じた役は冷淡で男を何度も裏切るようなひどい女役だったため、​多くの女優はイメージが壊れると断っていたところ、ベティ・デイヴィスは逆に、自分の演技力の幅を魅せる絶好のチャンスと捉え、自ら立候補したそうです。

共演者は映画「風と共に去りぬ」などで有名なイギリスの実力派俳優レスリー・ハワード。

リアリティのある迫真の演技で、LIFE誌などは「これまでアメリカの女優が演じてきた中で史上最高の演技」だと称えています。

しかし、この映画はRKO社の映画であったために、当時、契約を結んでいたワーナー・ブラザースの創設者ジャック・ワーナーはおもしろくなかったようで、これを機にベティに良い役をあたえることもなく、それどころか、当然アカデミー賞にノミネートされるべきだったのにもかかわらず、裏で手をまわし、ベティをノミネートすらさせませんでした。

これに対して、ファンや雑誌、評論家、さらにノミネートされていた女優のノーマ・シアラーまでが、ベティ・デイヴィスをノミネートさせるようにムーヴメントを巻き起こします。

そして、ついに、アカデミー協会はノミネートされていない役者でも投票することを許可します!これは、アカデミー賞史上、後にも先にも例のないことで、この一回きりの特例でした!

​にもかかわらず、結局、ベティ・デイヴィスは受賞ならず、映画「或る夜の出来事」ヒロインのクローデット・コルベールが主演女優賞を受賞しました。

 

1935年(27才の年)、ついにアカデミー賞 主演女優賞に輝く!

映画「Dangerous(青春の抗議)」に主演。こちらの演技も絶賛され、アカデミー賞 主演女優賞をついに受賞する!

しかし、デイヴィス自身は、前回受賞できなかったために、なぐさめでくれた賞だとコメントしたそうです。

ちなみに、アカデミー賞受賞者に贈与される金の像をオスカーと呼ぶようになった理由には、諸説あり、一般的にはアカデミー事務局の1人がオスカーという名前の自分の叔父さんにそっくりだったから、という説が有力ですが、

ベティ・デイヴィスは当時結婚していた夫の後頭部が、オスカー像の後頭部とそっくりだったことから、オスカーと名づけたと言及したとか。なお、当時の夫の名前はハーモン・オスカー・ネルソンで、音楽家でした

1936年(28才の年)、ヒット作品に続々出演するも、ワーナーブラザースと裁判沙汰に!

映画「The Petrified Forest(化石の森)」に出演し、レスリー・ハワードと、ハンフリー・ボガートらと再び共演。この2人とは、複数本の映画で共演しています。

そのほかにも、映画「Satan Met a Lady(マルタの鷹)」​などへ出演し、ますます人気女優に♪

この頃、ワーナーブラザーズとの契約違反になるとわかりながらも、イギリスの映画に出演しようとしていたベティ・デイヴィスをワーナーが訴え、裁判沙汰に。

ベティ・デイヴィスは引き受けたくないような役まで無理にやらされるのは奴隷制度と一緒だという旨を主張したようですが、結局はワーナー・ブラザース側が勝訴したようです。

ただし、生涯の友であった映画「風と共に去りぬ」で有名な女優オリヴィア・デ・ハヴィランドも1943年に同じような裁判をワーナー・ブラザース相手に起こし、その際には勝訴しています。

1937年(29才の年)、映画「Kid Galahad(倒れるまで)」などに出演!

映画「Marked Woman(札つき女)」に出演。共演者には、ハンフリー・ボガートなど。ちなみに監督は、チャップリン映画に俳優として複数本出演した経験をもつロイド・ベーコン。

ベティ・デイビスは、この作品でヴェネツィア国際映画祭 女優賞を受賞しました☆

映画「Kid Galahad(倒れるまで)」に出演。監督は映画「カサブランカ」で知られるマイケル・カーティス、共演はハンフリー・ボガート、映画「犯罪王リコ」や「深夜の告白」などで知られるエドワード・G・ロビンソン、そして映画「スミス都へ行く」などで知られるハリー・ケリーなどが出演しています。

また、この映画は、1962年に映画「恋のKOパンチ」としてリメイクされ、主演はエルヴィス・プレスリーが務めました。

映画「That Certain Woman(或る女)」でヘンリー・フォンダと共演。

映画「It's Love I'm After(恋愛合戦)」でレスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランドらと共演。

1938年(30才の年)、映画「Jezebel(黒蘭の女)」で2度目のオスカー受賞!そして1度目の離婚。

映画「Jezebel(黒蘭の女)」に出演!監督は、以前オーディションで落とされたこともある映画「ローマの休日」などで知られるウィリアム・ワイラー監督。共演は、再びヘンリー・フォンダ。

この作品で、ベティー・デイヴィスは2度目のアカデミー主演女優賞に輝きます!

さらに、この作品で演じたヒロイン役は、ちょうど翌年1939年に公開する映画「風と共に去りぬ」のヒロイン、スカーレット・オハラに似通ったキャラクターであったために、マスコミの間では、ベティー・デイビスがスカーレット役を射止めるのではないかという憶測が生まれました。

実際、ラジオでのアンケート結果などでも、多くの人がスカーレット役にデイヴィスを推す声が挙がっていたようです。

そして、ワーナーは、自社から俳優エロール・フリンと、女優オリヴィア・デ・ハヴィランド、そしてベティ・デイヴィスを起用してくれるように、映画「風と共に去りぬ」の製作プロデューサーであるデイヴィッド・O・セルズニックにオファーします。

しかし、セルズニックはデイヴィッドではなく、結局ヴィヴィアン・リーを選びました。ただし、オリヴィア・デ・ハヴィランドは出演し、彼女の代表作の1つになりましたね♪あと、デイヴィス自身はエロール・フリンが「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役になることを望んでいたわけではなかったようです。

ただ、私、個人的にはベティ・デイヴィス版の「風と共に去りぬ」も観てみたかった!(笑)

本作「黒蘭の女」は大ヒットして、ベティ・デイヴィスは、最も稼いだスター TOP10の1人に選出されました☆

また、Wikipediaによると撮影期間中、監督のウィリアム・ワイラーとは恋愛関係にあったようです。そして、後にベティ・デイヴィス自身、ウィリアム・ワイラー監督のことを「人生最愛の人」で、一緒に撮影できたのは生涯で最も幸福な時間だったと語っています。

ちなみに映画は3月に公開。撮影期間中、ウィリアム・ワイラー監督は離婚後の独身状態ですが、同年の10月には女優と結婚しています。

 

一方のベティ・デイヴィスは、1度目の離婚が同年12月に成立。まあ、気持ち的には既に離婚していたということですかね(笑)

ベティ・デイヴィスの夫の方の仕事がうまくいかず夫婦関係に亀裂が入り始め、結局ベティ・デイヴィスとハーモン・オスカー・ネルソンは、約7年間の結婚生活にピリオドを打ちました。

なお、その際に決め手になったといわれているのは、なんと大富豪で、その半生が描かれた映画「アビエイター」でも知られるハワード・ヒューズとベティ・デイヴィスとの間に肉体関係があったという証拠を、夫が入手したためとのことです。本当かな!?

1939年(31才の年)、映画Dark Victory(愛の勝利)」で2年連続のオスカーノミネート

映画「Dark Victory(愛の勝利)」に出演。離婚直後で気持ちが落ち込んでいたベティ・デイヴィスはいっそ降板も考えたみたいですが、映画「グランド・ホテル」で知られる監督のエドマンド・グールディングが、その絶望を演技に活かしてみたらどうだと助言し、見事、作品は大ヒット!デイヴィスも2年連続でアカデミー主演女優賞にノミネートされるなど高い評価を得ました。彼女自身、個人的に好きな演技ができたと後に語っています。共演は、デイヴィスと11本もの作品で共演した俳優ジョージ・ブレントや、ハンフリー・ボガート、映画「ミニヴァー夫人」や「素晴らしき哉、人生!」で有名なヘンリー・トラヴァース、そして後に大統領になるロナルド・レーガンなども出演しています。

さらに同年、ほかに3つのヒット作品にも出演!

1つめは、映画「Juarez(革命児ファレス)」。この映画では映画「暗黒街の顔役」や「ゾラの生涯」「楽聖ショパン」などで知られる名優ポール・ムニや、映画「汚名」「情熱の航路」「スミス都へ行く」などで知られるクロード・レインズらと共演。

2つめは、映画「The Old Maid」。監督は「愛の勝利」でもタッグを組んだ、映画「グランドホテル」で知られるエドマンド・グールディング。そして共演は、ミリアム・ホプキンスです!

実はベティ・デイヴィスは、そのハッキリとモノを言う性格だったということもあり、特にジョーン・クロフォードとミリアム・ホプキンスとの不仲は有名でした。

 

ミリアム・ホプキンスとは、当時、ミリアムが自分の夫とベティ・デイヴィスが浮気をしていると確信していたらしく、ひどく嫉妬され嫌われていたとか。ベティ・デイヴィスが本当に浮気をしていたのかはわかりませんが、どうやら、そもそも映画「黒蘭の女」はブロードウェイ舞台のヒット作品の映画化なのですが、そのブロードウェイで主演を演じていたのがミリアム・ホプキンスだったため、ベティ・デイヴィスが映画「黒蘭の女」の主演を演じた時から、両者の間には溝があったようです。ベティ・デイヴィスは後にミリアム・ホプキンスのことを、とても素晴らしい女優であると共に、とても嫉妬深いとコメントしています。(ジョーン・クロフォードとの確執は「何がジェーンに起こったか?」で詳述)

3つめは、映画「The Private Lives of Elizabeth and Essex(女王エリザベス)」に出演して、エロール・フリンと共演。監督は、映画「カサブランカ」のマイケル・カーティスで、共演者には他にも、オリヴィア・デ・ハヴィランドなどがいました。

この映画「女王エリザベス」は、ベティ・デイヴィスが始めて出演したカラー作品で、本作で彼女は生え際と眉毛を剃って役に挑みました!

また、本作の撮影中には映画「人生は四十二から」や「戦艦バウンティ号の叛乱」などで知られる名優チャールズ・ロートンが見学にきたそうです。そして、役作りにクロウしていると漏らしたデイヴィスに対して、常に自分の力量を超えていると思うような大変な役にチャレンジし続けなければいけないよ。そうしなければ、お決まりのパターンにハマってしまうだけさ、という趣旨のアドバイスをしたんだとか。このアドバイスはベティ・デイヴィスに大きな影響を与えたそうです。

1940年(32才の年)、続々とヒット作品に出演&2度目の結婚!そして第二次世界大戦勃発!

ヒット映画「All This, and Heaven Too(凡てこの世も天国も)」へ出演。監督はアナトール・リトヴァク、共演は、映画「邂逅」や「ガス燈」などで知られるシャルル・ボワイエ。

ちなみに、この監督のアナトール・リトヴァクが、先述の、ベティと犬猿の仲だった女優ミリアム・ホプキンスの夫です。

映画「The Letter (月光の女)」へ出演。本作もエンタメ雑誌のハリウッド・リポーターで今年のベスト映画の1つと評されるなど高い評価を得ています。

 

監督は、再びベティお気に入りのウィリアム・ワイラー、共演は映画「偽りの花園」でも共演するハーバート・マーシャルや、オスカー女優ゲイル・ソンダガードなど。

またこの頃、ベティ・デイヴィスは、映画「愛の勝利」などで共演した俳優のジョージ・ブレントと交際していたそうで、ジョージ・ブレントからプロポーズまでされています。

しかし、ベティ・デイヴィスは彼とは結婚せず、結局、歯科医の息子で宿泊施設の経営者だった男性と2度目の結婚をします!

1941年(33才の年)、女性として初めてアカデミー協会 会長に就任!The Little Foxes (偽りの花園)」などに出演。

アカデミー賞などを開催している映画芸術科学アカデミーの会長に、女性として初めて就任する。

しかし、すぐに、デイヴィスの大胆な提案や活発な態度が委員会メンバーたちの反感をかってしまい辞任。

映画「The Great Lie(偉大な嘘)」に出演。監督は映画「グランドホテル」のエドマンド・グールディング、共演は先述のジョージ・ブレントなど。

映画「The Little Foxes (偽りの花園)」に出演。監督は3度目のタッグとなるウィリアム・ワイラー、共演は、ハーバート・マーシャルや、本作が映画初出演となるテレサ・ライトなど!

映画「ミニヴァー夫人」や「打撃王」などで知られるテレサ・ライトは本作が映画デビュー作であるにもかかわらず、アカデミー助演女優賞にノミネートされました。もちろん、ベティ・デイヴィスも主演女優賞にノミネート。ただし、2人とも受賞は惜しくも逃しています。

1942年(34才の年)、ハリウッド・キャンティーンの設立 & 映画「情熱の航路」が人気!

第二次世界大戦が激化してくると、ベティ・デイヴィスも戦争従事者のために色々と積極的に協力したようです。中でも有名なのが、映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」などで知られる俳優のジョン・ガーフィールドの提案にのり、戦争従事者のための無料の食堂であるハリウッド・キャンティーンをオープンしています。

この食堂の開設には、ほかにもケーリー・グラントやワーナー社などが手助けをした模様。映画スターのマレーネ・ディートリヒや、リタ・ヘイワースなど、ハリウッドスター達が兵士たちに食事をふるまったそうです。Wikipediaでボランティアとして手伝った人たちのリストを見てみると、ものすごくたくさんの大物スター達が参加していて、中にはウォルト・ディズニーの名前も挙がっていました。

1944年には、この食堂を舞台にした映画「ハリウッド玉手箱」も公開され、多くのスターがカメオ出演しているのですが、もちろんベティ・デイヴィスもカメオ出演しています。

後の1980年には、ベティ・デイヴィスのこの功績に対して、アメリカ国防総省からメダルまで授与されています。

1942年には、さらに映画「Now, Voyager(情熱の航路」にも主演。こちらも女性向きの映画として大好評を得て、劇中で主演俳優のポール・ヘンリードがタバコを2本くわえた後に1本をデイヴィス演じる女性に渡すシーンは多くの人に真似されることになったそうです。

また、同じく劇中の「don't let's ask for the moon. We have the stars.」(月を欲しがるなんてよしましょうよ。私たちには星があるじゃない)というセリフも有名です。

この映画には他にも、映画「汚名」や「スミス都へ行く」などで知られるクロード・レインズも出演しています。

1943年(35才の年)、戦争色の強い作品への出演

映画「Watch on the Rhine(ラインの監視)」へ出演。共演は本作でアカデミー主演男優賞を受賞したポール・ルーカス。

ミュージカル映画「Thank Your Lucky Stars」へゲスト女優の1人として出演。本作には多くの有名スターたちがゲスト出演して、ギャランティを戦争のために寄付をしたオールスター映画。

ゲストとして出演したスターには他にも、ハンフリー・ボガート、オリヴィア・デ・ハヴィランド、エロール・フリン、ジョン・ガーフィールド、ハティ・マクダニエルなど多数。

 

ベティ・デイヴィスが歌った劇中歌「They're Either Too Young or Too Old」も、売上が好調だったそうです。

映画「Old Acquaintance(旧友)」へ出演。犬猿の仲だったミリアム・ホプキンスと再び共演しています。この撮影では、2人の間にすさまじい競争心が垣間見えたそうで、ホプキンスを発作的に怒って揺するシーンでは、遠慮せずにやったわと後にベティ・デイヴィスはジョークとして語っていたそうです(笑)

それと、この年には、ベティ・デイヴィスの2人目の夫が散歩中に倒れてしまい、2日後に亡くなっています。死因は頭蓋骨骨折によるものと診断されるも、ベティ・デイヴィスには心あたりがなく困惑。その後の映画出演の際にも気持ちが不安定になり芳しい評価は得られませんでした。

1944年(36才の年)、

夫の死で傷心しながらも、映画「Mr. Skeffington」へ出演。共演にはクロード・レインズなどがいました。

この年に、先述のカメオ出演した映画「ハリウッド玉手箱」が公開されています。(1942年の箇所を参考)

1945年(37才の年)、3度目の結婚!

アーティストでマッサージ師でもあった男性と3度目の結婚。

映画「The Corn Is Green (小麦は緑)」に出演。監督は映画「情熱の航路」などで知られるアーヴィング・ラパー。共演者は映画シリーズ「シャーロック・ホームズの冒険」などでのワトソン役として知られるナイジェル・ブルース。

​本作は舞台作品の映画化だったのですが、特にベティ・デイヴィスの演技は高く評価されてヒットしたようです。

1946年(38才の年)、娘を出産!

映画「A Stolen Life (盗まれた青春)」に出演。共演は映画「ギルダ」などで知られ後に「ポケット一杯の幸福」でも共演することになる俳優グレン・フォード。

この映画は、ベティ・デイヴィスが設立した自身のプロダクション(「BDプロダクション」)が手がけた唯一の映画作品です。ベティ・デイヴィスは、本作で双子の役を演じ、1人2役をこなしました。

興行収入成績はよかったのですが、作品に対する評価はいまいちだったようです。しかし、ベティ・デイヴィスは、この頃にアメリカで一番稼いでいる女性の1人として数えられていたほどにまでなっていました。

映画「Deception (愛憎の曲)」に出演。監督は映画「情熱の航路」でもタッグを組んだアーヴィング・ラパーで、共演はやはり映画「情熱の航路」で組んだポール・ヘンリードや、映画「スミス都へ行く」や「汚名」で知られるクロード・レインズでしたが、興行成績的には芳しくなかったようです。

また、この年にベティ・デイヴィスは妊娠をして、娘を初めて出産しています。娘がかわいくて、最初は引退まで考えたそうですが、結局はキャリアを選び、次第に娘との溝が広がっていってしまったようです。

1948年(40才の年)、人気にかげりが出始める!?

映画Winter Meeting」に出演。監督はフランス出身のブレティン・ウィンダスト、共演はTVシリーズ「ダラス」で知られるジム・デイヴィス。興行的にはパッとせず。

映画「June Bride(花嫁の季節)」に出演。監督は同じくブレティン・ウィンダスト、共演はロバート・モンゴメリー。​この俳優とはソリがあわず、撮影中に度々衝突していたようです。ちなみに、ロバート・モンゴメリーの娘は後に、TVドラマ「奥様は魔女」の主人公サマンサ役を演じて有名になりました。

 

1949年(41才の年)、アメリカで最もギャラの高い女性に!

ワーナーと新たに4本の映画出演の契約をかわし、週給10,285ドル(約102万8千500円)という、アメリカで最も高いギャランティの女性となります。

映画「Beyond the Forest(森の彼方に)」に出演。監督は、映画「ビッグ・パレード」や「ステラ・ダラス」などで知られるキング・ヴィダーで、共演者はジョセフ・コットンです。

 

1950年(42才の年)、代表作「イヴの総て」出演 & 4度目の最後の結婚!

映画「All About Eve(イヴの総て)」に出演。もともとはクローデット・コルベールが出演する予定でしたが、背中を怪我したために代役としてベティ・デイヴィスが出演しました。

 

監督は、映画「三人の妻への手紙」などで知られるジョーゼフ・L・マンキーウィッツで、共演は生涯の親友となった女優アン・バクスター、そして後に4番目の夫となるゲイリー・メリル、さらには、セレステ・ホルムや、ジョージ・サンダースと言った人気スターが勢ぞろいした豪華キャストでした。

ちなみに、ほんの少しだけですが、ブレイク前のマリリン・モンローも登場してベティ・デイヴィスたちと共演しています。

この映画は大ヒットして、好評価を得ることとなりました。さらに、ベティの劇中でのセリフ「シートベルトをしてなさい、今夜は荒れるわよ」も流行しました。

本作はアカデミー作品賞や監督賞、助演男優賞、脚本賞、衣裳デザイン賞、録音賞の6部門にて受賞を果たし、また、ベティ・デイヴィスはカンヌ国際映画祭で女優賞に輝いています。

また、ハリウッドにある有名なチャイニーズ・シアターから、劇場前の名物となっている手形を残してくれとの依頼もきています。

同年、ベティ・デイヴィスは3人目の夫と離婚して、共演者のゲイリー・メリルと4度目の結婚をします。その際、ベティ・デイヴィスの娘も一緒にひきとり、さらに翌年に女の子を1人、さらに翌々年には男の子を1人養子にとり、合計3人の子供たちと暮らし始めます。

1951年(43才の年)、興行成績がふるわなくなりスランプに!?

映画「Payment on Demand」(監督:カーティス・バーンハート、共演:バリー・サリヴァン)に出演。

映画「Another Man's Poison」(監督:アーヴィング・ラパー、共演:ゲイリー・メリル)に出演。興行成績的に振るわず、あまり良い評価も得られない時期が続く。

1952年(44才の年)、アカデミー賞ノミネート & 20年以上ぶりのブロードウェイで初のミュージカルに挑戦!

映画「The Star」(監督:スチュアート・ヘイスラー、共演:スターリング・ヘイドン)に出演。アカデミー賞 主演女優賞にノミネートされるものの、興行成績はイマイチだった。

20年以上ぶりにブロードウェイの劇場に出演し、初のミュージカル「Two's Company」に挑戦するも苦戦する。

 

1955年(47才の年)

映画The Virgin Queen (ヴァージン・クイーン)」(監督ヘンリー・コスター、共演リチャード・トッド)に出演。女王エリザベス1世を演じる。

1956年(48才の年)、キャリア的にあまりふるわない時期

映画「The Catered Affair」(監督:リチャード・ブルックス、共演:アーネスト・ボーグナイン)や、

 

映画「Storm Center」(監督:ダニエル・タラダッシュ、共演:ブライアン・キース)に出演。

ロナルド・レーガン主演の​TVドラマ「General Electric Theater」に出演。これがテレビドラマ初出演となる。


1959年(51才の年)

映画「John Paul Jones (大海戦史)」(監督:ジョン・ファロー、共演:ロバート・スタック)や、

映画「The Scapegoat (替罪羊)」(監督:ロバート・ハマー、共演:アレック・ギネス)に出演。

TVドラマシリーズ「ヒッチコック劇場」という、アルフレッド・ヒッチコックが原作とプロデュースを務めたTVドラマシリーズのシーズン4のエピソードに主演。監督はポール・ヘンリード。

 

ちなみに、「ヒッチコック劇場」シリーズは、1955年から1965年まで実に10シーズンも続いた人気番組で、ヒッチコック自身もプレゼンターとして出演していました。

その間、​出演したゲストスターも豪華で、ベティ・デイヴィスをはじめ、ロバート・レッドフォード、スティーブ・マックイーン、ウォルター・マッソー、クロード・レインズ、ジョーン・フォンテイン、ジョセフ・コットン、ロジャー・ムーア、そしてテレサ・ライトなど多くの映画スターも出演しました。

1960年(52才の年)、キャリア不調に続き、離婚。

4人目の夫だったゲイリー・メリルと離婚。約10年続いた結婚生活にピリオド。この後、生涯独身。

1961年(53才の年)、TVドラマ「幌馬車隊」に出演。

ベティ・デイヴィスの母親が死去。

 

TVドラマへの出演が増え、人気西部劇シリーズ「幌馬車隊」などにゲスト出演。

フランク・キャプラ監督の映画「Pocketful of Miracles(ポケット一杯の幸福)」のリメイク版に出演。刑事コロンボで知られるピーター・フォークと共演。キャプラ監督から真剣にコメディを演じればいいというアドバイスをもらい、2人とも不慣れだったコメディに挑戦した。ほか、グレン・フォードやホープ・ラングらも出演。

 

1962年(54才の年)、映画「何がジェーンに起ったか?」でアカデミー主演女優賞にノミネート!

映画「What Ever Happened to Baby Jane? (何がジェーンに起ったか?)」に出演。監督はロバート・アルドリッチで、共演は、なんとベティ・デイヴィスとは犬猿の仲として有名な女優ジョーン・クロフォードです。

2人がスゴイのは、この作品が自分たちのキャリアにとって重要な転機になるとわかっていたようで、プロに徹してすさまじい気迫をもってキッチリと演じきったとか。

ジョーン・クロフォードは実際、脚本を読んだ後、この作品の相手としてはベティ・デイヴィスがふさわしいと考えていたそうです。また、ベティ・デイヴィスは、ちょうど1960年にアルフレッド・ヒッチコック監督の映画「サイコ」のヒットを受けて、同じ観客層に受けるかもしれないと思い引き受けたようです。

ベティ・デイヴィスは興行収入の10パーセントを受け取ることを条件に加え、実際に本作は大ヒットを記録しました。

​ただし、この撮影が終わると、二人は堰を切ったように互いのことを公に悪く言い合っていたとか(笑)しかし、お互いにお互いの演技力についてだけは高く評価していたそうです。

また、ベティ・デイヴィスは、本作の演技が評価されてアカデミー主演女優賞にノミネートされます。一方でジョーン・クロフォードはノミネートされなかったのですが、なんと他のノミネートされた女優の中で当日式典に出席できない女優に連絡をとり、代理としてオスカー像を受け取る約束をとりつけます。

そして、実際に不在だった女優が主演女優賞を受賞し、ジョーン・クロフォードは壇上で代理としてオスカー像を授与しました。

ちなみに、ジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスの不仲については、2017年に海外ドラマ「glee/グリー」などで有名なライアン・マーフィーが「Feud(確執)」というタイトルのテレビ・ミニシリーズを制作して話題になりました。

この「Feud」では、ベティ・デイヴィスをスーザン・サランドンが、ジョーン・クロフォードをジェシカ・ラングが演じています。

なお、Wikipediaによれば、ベティ・デイヴィスがジョーン・クロフォードについて言ったとされる言葉の中には、「彼女が座った後の便座にだけは座りたくない」とか、ジョーン・クロフォードがペプシコーラの会社の社長だった男性と結婚したことを受けて「ペプシコーラのセールス・ウーマンと共演するなんてまっぴらごめん」などがあるとされています。

ちなみに、そもそも不仲になった原因は、ベティ・デイヴィスが映画「青春の抗議」で共演した俳優フランチョット・トーンとの三角関係と言われているようですね。結局、この俳優はジョーン・クロフォードと結婚するも4年後に離婚しています。

それと、この頃にカンヌ映画祭へ娘のバーバラと一緒に訪れているのですが、その時に出会った映画製作プロダクションの役員をしていた男性と娘のバーバラが恋におち、その後まもなく結婚しています。なんとバーバラはまだ16才という若さで結婚ということになりました。ベティ・デイヴィスも公認した結婚だったようです

また、この年には、9シーズンも続いた人気テレビドラマシリーズ「Perry Mason(弁護士ペリー・メイスン)」にゲスト出演しています。

それと、ベティ・デイヴィスはジョークのネタとして、米エンタメ雑誌の「Variety(バラエティ)」の広告欄になんと仕事募集の広告をだします(笑)そこには、「3人の子供の離婚した母親。アメリカ人。30年の映画出演経験あり。噂されているよりずっと親しみやすい性格。ハリウッドで安定した職を求む」とあったそうです。

また、この年に初の自伝The Lonely Life」を出版。

1963年(55才の年)、

イタリア映画「The Empty Canvas(禁じられた抱擁)」に出演。(監督ダミアーノダミアーニ、共演ホルスト・ブッフホルツ)

1964年(56才の年)、ジョーン・クロフォードとの2度目の共演ならず

メキシコの映画をリメイクしたアメリカ映画「Dead Ringer (誰が私を殺したか?)」(監督:ポール・ヘンリード、共演:カール・マルデン)に出演。

小説が原作の映画「Where Love Has Gone (愛よいずこへ)」(監督エドワード・ドミトリク、共演スーザン・ヘイワード)に出演。スーザン・ヘイワードとは結構 意見がぶつかったらしい。

映画「Hush...Hush, Sweet Charlotte(ふるえて眠れ)」に出演。

監督は再び「何がジェーンに起ったか?」のロバート・アルドリッチ。もう一度、ジョーン・クロフォードとの共演を計画して、最初はジョーン・クロフォードがキャスティングされていたが、撮影直後にジョーン・クロフォードが体調不良になり入院していしまったため降板。

結局、オリヴィア・デ・ハヴィランドが代役としてキャスティングされました。本当に体調不良のために降板になったかどうか、真偽の程は不明です(笑)ほか、ジョゼフ・コットンも共演。この映画は、かなりの成功を収めました。

1965年(57才の年)、シットコム主演プロジェクトが頓挫

なんと、ベティ・デイヴィスがTVシリーズのシットコムに主演することが決まって、パイロット版(お試しの第1話)の撮影まで終了していたそうです。しかし、残念ながら結局、プロジェクトは頓挫していしまいました。

ちなみに、このシットコムを製作したのは海外ドラマ「ビバリーヒルズ高校白書」や「チャームド 〜魔女3姉妹〜」、「チャーリーズ・エンジェル」、「メルローズ・プレイス」などを手がけたことで知られるアーロン・スペリングでした!見たかったなぁ。

また、60年代後半にはイギリスの映画に3本出演しています。

​1作目は、65年のイギリス映画「The Nanny (妖婆の家)」(監督:セス・ホルト、共演:ウィリアム・ディックス)です。

1966年(58才の年)、人気長寿TVシリーズ「ガンスモーク」にゲスト出演。

TVドラマ「ガンスモーク」(S12E3「The Jailer」)にゲスト出演。

1968年(60才の年)、

イギリス映画への出演が続き、この年はイギリス映画「The Anniversary (残酷な記念日)」(監督:ロイ・ウォード・ベイカー、共演:シーラ・ハンコック)に出演。

1970年(62才の年)、ベティ・デイヴィスを語るイベント開催

イギリス映画「Connecting Rooms」に出演。(監督:フランクリン・ゴーリングス、共演:マイケル・レッドグレイヴ)

ちなみに、この頃にベティ・デイヴィスについて、ロザリンド・ラッセルやラナ・ターナーなど様々な女優たちが語り、観客からの質問にベティ自身が答えるというイベントがニューヨークで開催され出席しました。

このイベントの評判が広まり、オーストラリアでも同じイベントが開催されたり、イギリス映画への出演が実現したりしたそうです。

ちなみに、このイベントにはジョーン・クロフォードもパネリストの1人としていたみたいなのですが、どんな様子だったのでしょうね(笑)

1971年(63才の年)、

アメリカ映画「Bunny O'Hare」(監督:ガード・オズワルド、共演:アーネスト・ボーグナイン)に出演。

1972年(64才の年)、国外の映画にも積極的に出演。

イギリス映画「Madame Sin」(監督:デヴィッド・グリーン、共演:ロバート・ワグナー)に出演。

イタリアのコメディ映画「Lo Scopone scientifico(The Scientific Cardplayer)」(監督:ルイジ・コメンチーニ、共演:シルヴァーナ・マンガーノ)に出演。なんとなんと、映画「にがい米」で有名なイタリア女優シルヴァーナ・マンガーノと共演していたとは!

1974年(66才の年)、ゴールデン・グローブ賞セシル・B・デミル賞受賞!

ゴールデン・グローブ賞より、セシル・B・デミル賞(生涯功労賞)を受賞。

1976年(68才の年)、

アメリカ映画「Burnt Offerings (家)」(監督:ダン・カーティス、共演:カレン・ブラック)に出演。

1977年(69才の年)、AFI生涯功労賞を女性として初めて受賞

アメリカ映画協会(AFI)より、女性としては初の生涯功労賞を授与される!テレビ中継された番組内では、ウィリアム・ワイラー監督や、ヘンリー・フォンダ、オリヴィア・デ・ハヴィランドらがお祝いの言葉を寄せたそうです。

1978年(70才の年)、テレビシリーズからオファー多数!

TVミニシリーズなどからオファーが多数くるようになり、いくつかの番組に出演。

アガサクリスティー原作の 映画「Death on the Nile (ナイル殺人事件)」(監督:ジョン・ギラーミン、共演:ピーター・ユスティノフ)」に出演。

ディズニー映画「Return from Witch Mountain(続・星の国から来た仲間)」(監督:ジョン・ハフ)に出演。

1979年(71才の年)、エミー賞 主演女優賞に輝く!

テレビ映画「Strangers: The Story of a Mother and Daughter」に出演し、エミー賞 主演女優賞を受賞!

1980年(72才の年)、

ディズニー映画The Watcher in the Woods(呪われた森)」(監督:ジョン・ハフ、共演:リン=ホリー・ジョンソン)

1981年(73才の年)、「ベティ・デイヴィスの瞳」という曲が大ヒットする♪

キム・カーンズというアメリカの歌手が「ベティ・デイヴィスの瞳」という曲をリリースして、若い世代にもベティ・デイヴィスの名前が有名になる

TV映画「Family Reunion」に出演。この映画には、ベティ・デイヴィスの孫息子も出演している。

1983年(75才の年)、ジェームズ・スチュワートと共演 & 乳がんがみつかる。

TV映画「Right of Way」に出演。共演者は、ジェイムズ・スチュワート!実は、ベティ・デイヴィスとジェームズ・スチュアートは同い年で、ジェイムズが3月で、ベティが4月生まれと誕生日も非常に近いです。

この年、乳がんと診断され、乳房切除手術を受ける。ベティ・デイヴィスは高齢にもかかわらず1日に100本あまりのタバコを吸っていたそうです。

この頃、キャサリン・サーマックというパーソナル・アシスタントの女性に看病してもらっています。

1985年(77才の年)、アガサクリスティ原作映画に出演。

術後に体調が落ち着いてきたため、イングランドへ赴き、映画「ミス・マープル/魔術の殺人」に出演。

娘が著書​「My Mother's Keeper」を出版し、その中で母ベティ・デイヴィスとの難しい親子関係についての記述があり、ベティは傲慢で大酒のみであったといった記述が見られた。

もっとも、ベティ・デイヴィスの多くの友人たちは、事実無根として本の内容を批判。元夫のゲイリー・メリルもベティ・デイヴィスをかばい娘の本を批判しています。

1987年(79才の年)、2冊目の著書「This 'n That」を発表

2冊目の自伝本「This 'n That」(あれやこれや)を発表し、その中で最後に自分の信頼を裏切って暴露本を書いた娘に対して、ひどく忠誠心に欠けた、恩知らずな行動で、ショッキングな出来事だったと書いている。

映画「The Whales of August(八月の鯨)」に出演。監督は、リンゼイ・アンダーソンで、なんとD・W・グリフィス監督の映画「散り行く花」や「イントレランス」で有名なリリアン・ギッシュと共演しています!なお、本作の評判は概ね上々でした。

1989年(81才の年)、最後の映画出演

映画「Wicked Stepmother(おばあちゃんは魔女)」に出演。監督は、ラリー・コーエン、共演はトム・ボズリ。

晩年は、TVのトークショーにゲストとして出演して、人気司会者のジョニー・カーソンや、ラリー・キング、デイヴィッド・レターマンなどにインタビューをされています。このあたりの動画は、下記のトリビア動画でも紹介していますが、今でもYouTubeで見られるものが結構ありますよ♪

スペインの映画祭に出席するためスペインに滞在中、体調を悪化させ、フランスに移動して入院

10月6日に、その生涯の幕を閉じる。享年81才でした。

トリビア動画

 
 
 
トリビア動画

 

アカデミー運営をも動かした映画「痴人の愛」での1シーン↓

映画「黒蘭の女」でアカデミー主演女優賞に輝いたベティ・デイヴィス(31才頃)となりにいるのはスペンサー・トレイシー↓

映画「イヴの総て」での有名なセリフ "シートベルトを締めて。今夜は荒れるわよ!" ちなみに、この動画のスゴさは、それだけでなく後半では、マリリン・モンローとベティ・デイヴィスの共演シーンが見られるところ!!↓

こちらの動画もメッチャ貴重!4人目の夫ゲイリー・メリルとの自宅でのインタビューかと思われます↓

 

10シーズンも続いた「ヒッチコック劇場」に出演したベティ・デイヴィス↓

10シーズンも続いた「ヒッチコック劇場」に出演したベティ・デイヴィス↓

アメリカ映画協会(AFI)から女性として初めて生涯功労賞を授与したベティ・デイヴィスのスピーチ↓

ちなみに、これまでの映画人生で最も好きだったセリフ「I'd love to kiss you but I just washed my hair(キスしてあげたいけど、髪を洗ったばかりなの)」(映画「暁の耕地」)で締めくくっています。これ、どういう意味なんだろう?キスしたいけど、いろんな理由でできない相手に向かって、それくらい感謝している、もしくは愛してるということを伝えるための言葉なのかな?

フランク・キャプラ監督がAFIから生涯功労賞を受賞した際のお祝いスピーチ↓

 

ベティ・デイヴィスの生涯についての動画

↓娘とツーショットのベティ・デイヴィス

↓公に不仲であることが知られている女優ジョーン・クロフォードについて語っています。

↓ドラマにもなった不仲であることが知られていた女優ジョーン・クロフォードとの確執について

↓ベティ・デイヴィスをファッションの観点から見ている動画

↓「ベティ・デイヴィスの瞳」という楽曲が大ヒットしました!キム・カーンズのMVです。

↓トークショーに出演して自身のキャリアや演技について語るベティ・デイヴィス

↓現代のハリウッド随一の演技派女優メリル・ストリープがベティ​・デイヴィスを語る番組みたいです!観たいなぁ~

↓映画のワンシーンをどうぞ☆

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写真やポスターが中心です。中にはサイン入りのものもあるかも!?

予告編 動画集

 

 

 

映画予告編動画

代表作を新しい作品順に並べています。全作品網羅ではないです。本国版の動画を多くしています。

↓当サイト「すごスタ図鑑」のYouTubeチャンネルに「ベティデイヴィスのすべて」という動画をUPしました♪内容は、この特集ページの内容をギュッと凝縮したものになっています☆

出演作を検索してみよう♪ →  U-NEXT | Hulu | d-TV | AmazonPrime | スカパー! 

 
 

 
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