top of page

チャールズ・チャップリン

Charles Chaplin

​生まれ:1889年4月16日~1977年12月25日 イギリス ロンドン

代表作:

キッド」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

巴里の女性」(監督・脚本・音楽・製作:主演はエドナ・パーヴィアンス)

黄金狂時代」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

サーカス」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

街の灯」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

モダン・タイムス」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

独裁者」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

殺人狂時代」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

ライムライト」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当

ニューヨークの王様」(主演・監督・脚本・音楽・製作を担当)

受賞歴:

・アカデミー賞 名誉賞(1929年と1971年)、作曲賞(1973年)

結婚歴:

・ミルドレッド・ハリス(1918~1920)
・リタ・グレイ(1924~1928)

・ポーレット・ゴダード(1936~1942)

・ウーナ・オニール(1943~1977)

概要

監督・脚本・主演・音楽まで全てをこなせる天才芸術家

オーナーの一言
↑最近、チャールズ・チャップリンの公式YouTubeチャンネルが誕生してました!貴重な映像の宝庫です♪

チャールズ・チャップリンを一言で表現するなら、天才。監督・脚本、そして主演はおろか、音楽まで作曲してしまうというマルチな才能を惜しみなく映画に注ぎ込んでくれた芸術家です。

コメディばかりが取り上げられがちですが、実は相当頭の良い、そして愛情深い人だったと感じられる作品ばかり。ユマニテのある人間とはこういう人のことを言うのだなと涙があふれてくる程の愛嬌を振りまいてくれました。

生きる勇気、希望がほしくなったら、この人の作品を見返してみるといいでしょう。大きな愛で包み込んで励ましてくれるはずですから☆オススメは「キッド」​以降全ての作品です。

 



ほぼ全出演作品リスト
 

ほぼ全出演作一覧

1914年 キーストン社(マック・セネットが設立した会社)時代の主な作品(合計36本に出演)
1914年 映画「成功争ひ」(出演のみ。映画初出演)
1914年 映画「メーベルの窮境」(出演のみ with メーベル・ノーマンド)
1914年 映画「彼がお好みの娯楽」(出演のみ with ロスコー・アーバックル)
1914年 映画「恋の二十分」(監督・脚本・主演)
1914年 映画「メーベルの結婚生活」(監督・脚本・主演 with メーベル・ノーマンド)
1914年 映画「チャップリンの道具方」(監督・脚本・主演)
1914年 映画「チャップリンの画工」(監督・脚本・主演 with ハンク・マン)
1914年 映画「レクリエーション」(監督・脚本・主演)
1914年 映画「男か女か」(監督・脚本・主演 with ロスコー・アーバックル)
1914年 映画「チャップリンの独身」(監督・脚本・主演 with メーベル・ノーマンド)
1914年 映画「他人の外套」(監督・脚本・主演 with メーベル・ノーマンド)

1915~16年 エッサネイ社時代(合計15本を監督・脚本・出演)
1915年 映画「チャップリンの役者」(監督・脚本・主演)
1915年 映画「チャップリンの拳闘」(監督・脚本・主演)
1915年 映画「
チャップリンの駈落」(監督・脚本・主演)
1915年 映画「
チャップリンの失恋」(監督・脚本・主演)
1915年 映画「チャップリンのお仕事」(監督・脚本・主演)
1915年 映画「チャップリンの寄席見見物」(監督・脚本・主演)
1915
年 映画「チャップリンのカルメン」(監督・脚本・主演)
1916年 映画「チャップリンの改心」(監督・脚本・主演)

1916~17年 ミューチュアル社時代(合計12本を監督・脚本・製作・出演)
1916年 映画「チャップリンの替玉」(監督・脚本・製作・主演)
1916年 映画「
チャップリンの消防夫」(監督・脚本・製作・主演)
1916年 映画「
チャップリンの浮浪者」(監督・脚本・製作・主演)
1916年 映画「
チャップリンの伯爵」(監督・脚本・製作・主演)
1916年 映画「
チャップリンの番頭」(監督・脚本・製作・主演)
1917年 映画「
チャップリンの勇敢」(監督・脚本・製作・主演)
1917年 映画「
チャップリンの移民」(監督・脚本・製作・主演)
1917年 映画「
チャップリンの冒険」(監督・脚本・製作・主演)

1918~22年 ファースト・ナショナル社時代(合計9本を監督・脚本・製作・出演さらに8本は作曲も!)
1918年 映画「犬の生活」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「担へ銃」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「サニーサイド」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「一日の行楽」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「キッド」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「
のらくら」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「給料日」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1918年 映画「偽牧師」(監督・脚本・製作・主演・作曲)

1923~52年 ユナイテッド・アーティスツ社時代(合計8本を公開。1本だけ主演でなくカメオ出演)
1923年 映画「
巴里の女性」(監督・脚本・製作・カメオ出演・作曲)
1925年 映画「黄金狂時代」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1928年 映画「サーカス」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1931年 映画「街の灯
」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1936年 映画「
モダン・タイムス」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1940年 映画「独裁者
」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1947年 映画「殺人狂時代」(監督・脚本・製作・主演・作曲)
1952年 映画「ライムライト」(監督・脚本・製作・主演・作曲)


1957~67年 スイス居住時代(合計2本を公開。「伯爵夫人」は唯一のカラー映画)
1957年 映画「ニューヨークの王様」(監督・脚本・製作・主演・作曲。制作会社は英アッティカ・アーチウェイ社)
1967年 映画「伯爵夫人」(監督・脚本・作曲 ソフィア・ローレン&マーロン・ブランド主演 ユニバーサル・ピクチャーズ)


 
オーナー厳選作品

 
 
オーナー厳選作品のご紹介

 
オススメ作品 第1位!
殺人狂時代(原題:Monsieur Verdoux)

チャールズ・チャップリンの映画で特に大好きな管理人的オススメ作品を10本ご紹介します!

まず1本目は、1947年の映画「殺人狂時代」です!!チャップリン映画では、明らかに本作と「ライムライト」の2作が、別格の名作だと思いますが、「殺人狂時代」は「ライムライト」よりも、より笑える作品です♪

殺人狂時代」は、監督、脚本、主演、製作、作曲すべてをチャップリンが担当しています。実は実話をアイデアとしてチャップリンが創作した物語で、最初はオーソン・ウェルズが一緒に映画を作りたいと持ちかけてきたのですが、チャップリンはてっきり出演だけするのかと思ってOKしてみたら、脚本も書いて欲しいといわれ、それなら自分の映画として自由にやりたいと考え、アイデアの権利だけ購入しました。その後、オーソン・ウェルズからしつこく権利関係で主張されたらしくチャップリンの自伝には、迷惑だったと記述してあります。

あらすじは、仕事をクビになった心の優しい知的な紳士が、愛する家族のために次々と独身の中年女性と恋仲になり、殺害を繰り返しながら財産を奪っていくという話。

 

作中のセリフはダイヤモンドみたいな輝きを放ってますよん。うろ覚えでスイマセンが、例えば、

「ところが、君が考えるほど世の中は悪くないんだな」

「春の朝、夏の晩、音楽、芸術、恋愛・・・」

「女は俗悪・・・現実的で物にすべてを支配されてる。一度男を裏切ると、今度は男を軽蔑するようになる」

「愛を知らないのね。本物の愛というのは、母親が赤ん坊に抱くような自己犠牲、信仰であって、生命の息吹そのものよ」

「戦争で何万人も殺した人間が英雄と呼ばれているのに、なぜ私が裁かれるべきなのです?私はたかだか数人殺しただけなので、歴史上の英雄と呼ばれている人たちに比べればアマチュアのレベルでしょう?数が殺人を神聖化するのはおかしいじゃないか」

いくつか「殺人狂時代」の場面動画も紹介していおきますね!爆笑注意!

 


オススメ作品 第2位!
ライムライト(原題:Limelight)

オススメ作品第2位は、1952年の映画「ライムライト」(原題:Limelight)。

この映画もチャップリンが主演・監督・脚本・製作・作曲を担当しています。アメリカでの最後の映画作品であり、かつ初めて素顔を出した長編映画です。

作中の名台詞はあまりに有名ですよね!

「人生は願望だ!」

「人生を恐れてはいけないよ、そのために必要なのは勇気と、想像力、そして少しのお金だけさ」

「愛は醜い。だが、素晴らしい!」

などなど、観ていると本当にエールをもらえる素晴らしい名作です。

ちなみに、ヒロインと恋に落ちる若き作曲家を演じたのは、チャップリンの二男シドニー・チャップリンです。

そして、ヒロイン役を演じたイギリスの女優クレア・ブルームは、2021年現在も90歳を超えていますがご存命で、近年ではTVドラマ「ミス・マープル/鏡は横にひび割れて」や「LAW & ORDER:犯罪心理捜査班」、そして映画「英国王のスピーチ」ではメアリー王太后役を演じています。

また、「ライムライト」ではチャップリンが、当時ライバルとも言われていた人気コメディアンのバスター・キートンと、夢の共演を果たしています。下の動画がそのシーンになります↓

 


オススメ作品 第3位!
街の灯(原題:City Lights)

オススメ3作目は1931年の映画「街の灯」。

主演・監督・脚本、編集、製作、作曲の全てがチャップリン。ヒロイン役の女優は、ヴァージニア・チェリルという女優で、生涯で4回結婚したのですが、なんと2度目の結婚相手はケーリー・グラントでした。

この映画を一言で表すなら、希望を抱き、ひたむきに人生をよくしようと努力し続けることの楽しさと大切さを描いています。とっても勇気をもらえるエンタメ・エールな作品です♪チャップリンの代表作として有名な1本ですね。

ちなみに、ロサンゼルスで行われたプレミア上映イベントではアインシュタイン夫妻と一緒に出席して隣同士の席でチャップリン自身も鑑賞しました。自伝で写真が紹介されています。Wikipediaでも掲載されていますね。

削除された「街の灯」の未公開シーン。貴重な動画ですね↓

 


オススメ作品 第4位!
ニューヨークの王様(原題:A King in New York)

オススメ作品第4位は、1957年の映画「ニューヨークの王様」(原題:A King in New York)。

この映画もチャップリンが主演・監督・脚本・製作・作曲を担当しています。

スイスに移住してからイギリスで製作された作品で、マッカーシズムが台頭していた当時のアメリカを強烈に皮肉っています(笑)だからなのか、予告編動画が見つかりませんでした。。

ちなみに、上の動画の男の子はチャップリンの実の子でウーナ・オニールとの間に生まれたマイケル・チャップリンです。親子共演をしている作品でもあったのですね。

​この映画は、いつまでも気持ちの若い異国の王様がアメリカの政治や文化に触れてイロイロと驚くというストーリーなのですが、これがまた、ちょっぴり切なくて、笑えて、いい映画なんです!オススメですよ♪

↓「ニューヨークの王様」の舞台裏で、曲作りに励みながらオーケストラに向かって指揮をするチャップリン。貴重です!

↓「ニューヨークの王様」のパリでのプレミア公開イベントに出席するチャップリンの動画☆これまた貴重ですね!

 


オススメ作品 第5位!
キッド(原題:The Kid)

オススメ作品第5位は、1921年の映画「キッド」(原題:The Kid)。

この映画もチャップリンが主演・監督・脚本・製作・作曲を担当しています。

とにかく子役の子が可愛くて、おかしくて、笑えるのに感動もできちゃうスゴイ映画です。

 

自伝にも書いてありましたが、この子供は別の劇場で人気があった子で、チャップリンがご指名でスカウトしてきた子でジャッキー・クーガンというコメディアンでした。ジャッキー・クーガンは、この後も子役スターとして大活躍しますが、両親がほとんど浪費してしまったことで、訴訟沙汰にまでなりました。この事件がきっかけとなり、クーガン法という法律までできたそうです。

ジャッキー・クーガンは他にもTV人気シリーズ「アダムス・ファミリー」などにも出演しています。

映画「百万長者と結婚する方法」でマリリン・モンロー、ローレン・バコールと一緒に主演を務めた女優ベティ・グレイブルと結婚しています。(後に離婚。ジャッキーは生涯で4回結婚しています)

あと、まだ当時12才だった女優のリタ・グレイが、夢の中で放浪者を誘惑する天使役で出演しています。なんと、3年後の16歳になった時期にチャップリンと結婚しています。その後、2人の子供を出産して4年のほどの結婚生活の後、離婚しました。

そして、チャップリン映画の看板女優エドナ・パーヴァイアンスも出演しています。

 


オススメ作品 第6位!
モダン・タイムス(原題:Modern Times)

オススメ作品第6位は、1936年の映画「モダン・タイムス」(原題:Modern Times)。

この映画もチャップリンが主演・監督・脚本・製作・作曲を担当しています。実は、初めてチャップリンが声を発したのは、この作品なんですね。といってもデタラメな外国語で「ティティーナ」という歌を歌っているシーンのみなんですが(笑)

そして、あの有名な名曲「Smile」(スマイル)もラストで使用されています。この映画のための音楽だったのですね。後にナット・キング・コールやマイケル・ジャクソンがカバーして歌ってますね♪

ヒロイン役は、1932年から交際していた女優ポーレット・ゴダードが演じています。

 

この映画が公開された直後に、彼女はチャップリンとアジアへ旅行に出かけ来日も果たしています。この旅行中に中国で結婚し、チャップリンの3番目の妻となりました。

 

事実婚ではないかという見解もあるのですが、チャップリンの自伝では妻とはっきり書かれていたし、結婚したとも書かれていますので、奥さん的存在として一緒に暮らしていたのには間違いないです(笑)

ちなみに、ポーレット・ゴダードは次作の「独裁者」にも出演しています。

個人的には、チャップリン映画の中で一番爆笑できる映画は、この映画だと思います(笑)オモシロすぎ!

 


オススメ作品 第7位!
独裁者(原題:The Great Dictator)

オススメ作品第7位は、1940年の映画「独裁者」(原題:The Great Dictator)。

この映画はチャップリンが主演・監督・脚本・製作を担当しています。

当時、妻だったポーレット・ゴダードが「モダン・タイムス」に引き続き出演しています。

チャップリン初の完全トーキー映画で、特にラストの演説は映画史に残る名セリフですよね!これを観れば、チャップリンが政治的にも宗教的にも中立的でかつ人間愛にあふれた知的な人物だとわかります。

​意外にも、商業的に最も成功したチャップリン映画は本作なんだとか。。

↓【貴重】「独裁者」のセットの様子。しかもカラーになってる!

 


オススメ作品 第8位!
巴里の女性(原題:A Woman of Paris)

オススメ作品第8位は、1923年の映画「巴里の女性」(原題:A Woman of Paris)です。

この映画はチャップリンが監督・脚本・製作・音楽を担当しています。

 

チャップリン自身は主演せず、駅のシーンでちらっとカメオ出演しているのみです。本作は女優で元恋人のエドナ・パーヴィアンスが主演を務めました。これは、エドナが独り立ちできるようにと意図したのですが、それほどのヒットはせず、逆に共演の俳優アドルフ・マンジューの人気が高まりました。

ちなみにエドナにとっては、本作への出演がチャップリン映画への最後の出演でした。その後、エドナは数年後に女優として引退を。ですが、チャップリンは、その後も彼女が亡くなるまで、ずっと「チャップリン・スタジオ専属女優」として週に150ドル(月に約6万円程度)、出演料の支払いを続けたとのことです。なんと義理固い!しかもエドナは別の男性と結婚をしていたにもかかわらず支払い続けていたのですからスゴイ。

また、チャップリンにしては珍しく本作「巴里の女性」はシリアスな内容で、かつ悲劇になっています。

 

ただし、観た後に絶望的な気持ちになるような投げやりな悲劇ではなく、気づきをもらえるような、なんとなく幸せな気持ちになれる、そんなサイレント映画です。

最後のほうの言葉「時間は傷を癒してくれる。幸せの秘訣は、他人の幸福に尽くすことだ」という言葉に、あらためて胸を打たれます。

ざっくり生い立ち

 

 

 

ざっくりと生い立ちをご紹介

1889年4月16日にイギリスのロンドンのウォルワース(Walworth:現サザーク・ロンドン特別区)で生まれています。

父親は、チャールズ・チャップリン・シニア母親は、ハンナ・チャップリン。二人ともミュージック・ホールの芸人でした。

 

両親はチャップリンが2才前後の時に別居。チャップリンは父親違いの兄シドニー・チャップリンと母の3人で暮らしていいた。

ちなみに、母親のハンナは、別居後するにもう1人別の男性との間に1人男の子を生んでいますが、その子はすぐに男性に引き取られ約30年間もの間、チャップリンと会うことはありませんでした。

10代後半まで貧困生活が続き、さらに母親が精神病になってしまうなどの不幸が重なったため、救貧院に収容されて過ごします。

その後、日雇いの仕事などを子供ながらに転々とした後、シドニーの紹介で舞台に立つようになる。

1908年(19才の年) 人気劇団フレッド・カーノー劇団に入団。以降、同劇団の花形スターとなる。

1913年(24才の年)、映画プロデューサーとして有名なマック・セネット設立の映画製作会社キーストン・スタジオと契約

1914年(25才の年)、映画「成功争ひ」で映画初出演を果たす。

1914年(25才の年)、2作目の「ヴェニスの子供自動車競走」で初の放浪者役を確立。

1914年(25才の年)、映画「恋の二十分」で監督デビューを果たす。主演も務める。

1914年(25才の年)、12月にキーストンを去り、エッサネイ・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニーと契約

1915年(26才の年)、エッサネイ社での2作目「アルコール夜通し転宅」ヒロインにエドナ・パーヴァイアンスを起用

1915年(26才の年)、前述のエドナ・パーヴァイアンスと交際スタート。映画スターとしても世界的スターとなる。

1916年(27才の年)、エッサネイ社を去りエドナらと共にミューチュアル社と高額契約。「チャップリンの移民」等を製作

1917年(28才の年)、エドナ・パーヴァイアンスと破局。友人関係は継続

1917年(28才の年)、ファースト・ナショナル社と配給契約。自らプロデューサーとしても活動スタート

1918年(29才の年)、チャップリン・スタジオを建設。「犬の生活」や「担へ銃」を製作

 

1918年(29才の年)、パーティで知り合った17才の子役女優ミルドレッド・ハリスと妊娠したと嘘をつかれ結婚

1919年(30才の年)、ファースト・ナショナル社と契約したまま、 2月5日に親友のダグラス・フェアバンクス、人気女優メアリー・ピックフォード、映画監督D・W・グリフィスらとともに、映画製作会社ユナイテッド・アーティスツを設立。

1919年(30才の年)、ミルドレッド・ハリスが今度は本当に妊娠し息子を出産するが不幸にして3日後に死去

1920年(31才の年)、ミルドレッド・ハリスと離婚。映画「キッド」のフィルムを差し押さえようと離婚訴訟を起こされる

1921年(32才の年)、初の長編映画「キッド」を公開。その後、映画「のらくら」も製作

1921年(32才の年)、長期ヨーロッパ旅行へ。H・G・ウェルズなど有名人達と交流。旅行記「My Wonderful Visit」を執筆

1923年(34才の年)、ファースト・ナショナル社との契約を終え、ようやく退社

1923年(34才の年)、映画「巴里の女性」を公開。

1924年(33才の年)、「キッド」出演が縁で知り合った、当時16才だった女優リタ・グレイと結婚。できちゃった婚。

1925年(36才の年)、映画「黄金狂時代」を公開。息子チャールズ・チャップリン・ジュニア誕生。

1926年(37才の年)、息子シドニー・チャップリン誕生。

1927年(38才の年)、妻のリタ・グレイから離婚訴訟をおこされ、多額の和解金を支払い離婚。

1928年(39才の年)、映画「サーカス」公開。

1929年(40才の年)、映画「サーカス」に大して、第1回アカデミー賞にて名誉賞を受賞するも、受賞式は欠席する。

1931年(42才の年)、映画「街の灯」公開。プレミアにはアインシュタイン夫妻と共に登場し同席。

1931年(42才の年)、16ヶ月にも及ぶ世界旅行へ出発。バーナード・ショー、ウィンストン・チャーチル、マハトマ・ガンジー、ケインズ、アインシュタインらと交流。その後、来日するも、ちょうど1932年の五・一五事件で犬養毅 首相が暗殺され、危うく巻き添えになるところだったという経験をする。

1932年(43才の年)、女優ポーレット・ゴダードと交際スタート。旅行記「コメディアンが見た世界」を執筆。

1936年(47才の年)、映画「モダン・タイムス」公開。劇中の「ティティーナ」をデタラメ語で歌って、初めて肉声を披露。

1936年(47才の年)、旅行中だった中国にてポーレット・ゴダードと結婚。

1940年(51才の年)、映画「独裁者」公開。ラストシーンでは5分間のファシズムに反対する情熱的なスピーチを披露。

1941年(52才の年)、新人女優ジョーン・バリーと出会い次作のヒロインを予定していたが、精神的に不安定で奇行が目立ったため、契約を解除したが、その後もチャップリン邸へ不法侵入したり、1943年にはチャップリンの子供を妊娠したと発表までした。

FBIと組んで裁判訴訟まで起こされ無罪を勝ち取るが、子供の認知訴訟については血液検査の結果、チャップリンが父親でる可能性はないと結論づけられたにもかかわらず、証拠と認められず父親として成人になるまで養育費を支払うよう命じられた

 

1942年(53才の年)、女優ポーレット・ゴダードと離婚。

1942年(53才の年)、小説家ユージン・オニールの娘で女優のウーナ・オニールと出会い、交際をスタート。

1943年(54才の年)、ウーナ・オニールと4度目の結婚。その後、生涯夫婦でした。なんと2人の間には8人もの子供が誕生しています。

1947年(58才の年)、映画「殺人狂時代」公開。映画の原作はもともとオーソン・ウェルズがチャップリンに持ちかけてきた話だったが、チャップリンが脚本も主演も務めてほしいと言われたので、だったら自分で自由に製作したいと伝え、権利を買い取る。後に権利問題でオーソン・ウェルズが執拗に主張してきたことでチャップリンは閉口したと自伝に書いています。

1947年(58才の年)、この頃から正式にFBIがチャップリンをアメリカから国外追放しようと赤狩りの標的として調査し始める

1952年(63才の年)、映画「ライムライト」公開。イギリスへ船で向かっている途中、アメリカから国外追放される

1953年(64才の年)、スイスに移住を決め、レマン湖近くにある4万坪以上もある家を購入。

1957年(68才の年)、映画「ニューヨークの王様」を、ロンドンに新しく設立した製作会社アッティカにて製作・公開

 

1964年(75才の年)、自伝本を出版。世界的なベストセラーとなる

1967年(78才の年)、映画「伯爵夫人」公開。唯一のカラー映画。ソフィア・ローレンとマーロン・ブランド主演。また、この頃からゆっくりと健康状態が悪化し始め、脳卒中などを起こす。

1972年(83才の年)、アメリカのアカデミー賞でアカデミー名誉賞を授与される。歓迎の中にも、どこかアイロニーがあったと述べている。

1974年(85才の年)、回顧録「映画のなかのわが人生」(My Life In Pictures)を執筆

1977年(88才)、12月25日の早朝、脳卒中により永眠。

トリビア動画

 

 

 

トリビア動画

若き頃の凛々しいチャップリン↓

来日して、日本文化や歌舞伎に触れるチャップリン↓

​日本とチャップリンと言えば、初来日した際にちょうど五・一五事件が勃発し、実はチャップリンも暗殺される予定だったんですよね。実際に、レストランまでつけられて脅されたりしています。

また、萩本欽一さんが、アポなしでスイスまでチャップリンに会いに行って、やはり門前払いをくらいますが、「チャップリンは嘘つきだ!」などと大声で叫んだりして、4日間も出待ちをし、粘った結果、ようやく会ってもらい、歓迎してもらったというエピソードは有名ですね(汗)

ちなみに、三谷幸喜さんもスイスのチャップリン邸前まで行ってます。対面は叶いませんでしたが、秘書の人に似顔絵を渡したら、1ヶ月後くらいにサインを送ってくれたんだそうです。

また淀川長治さんは、チャップリンが、お忍びで日本の神戸に寄港していた際に、大阪から乗船していた船まで駆けつけて40分くらいでしたっけ?2人きりで話ができたと語っていますよね。

きっと世界中からこういった人たちが、たびたび押しかけてきていたことでしょう。チャップリンも大変です。。

国外追放されたアメリカから何年も経ってから、ようやくアカデミー名誉賞を授与されるチャップリン。自伝では、このアメリカでの出来事にはどこか皮肉めいたものがあったと書いてあります。

ちなみにプレゼンテーターは「お熱いのがお好き」や「アパートの鍵貸します」で有名な俳優のジャック・レモン↓

 

いつ観ても大爆笑できる「モダン・タイムス」の有名なシーン。音楽も有名で近年カバーされていたりもします↓

 

スイスの邸宅でくつろぐチャップリン。自伝によるとスイスで友人になったピアニストのクララ・ハスキルの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をよく聞いていたとか↓

ファンレターを読むチャップリン↓

 

「モダン・タイムズ」のエンディングでポーレット・ゴダードと↓

​ちなみに、ポーレット・ゴダードで思い出すのが、やはり天才映画監督のフランク・キャプラとチャップリンのエピソード。

 

キャプラはチャップリンの8歳年下ですが、生きた時代的には十分、重なっているのに、どうして二人の天才は出逢わなかったのか、もしくは親友にならなかったのか不思議でしようがありませんでした。

そこで、調べてみると・・・!ロサンゼルス・タイムズの記事によれば、なんと、フランク・キャプラはチャップリンに会いに行っていたのですが、門前払いされていたみたいです!(笑)

というのは、チャップリンの親友ダグラス・フェアバンクスが1939年に亡くなった際、ダグラスはアカデミー賞を運営している団体映画芸術科学アカデミーの初代会長だったため、アカデミー賞から特別な賞を授与したいと企画。
それならと、元妻のメアリー・ピックフォードと息子のフェアバングスJrは、その賞を授与する役目を、親友だったチャップリンに頼みたいと、当時、第7代目の会長だったフランク・キャプラに依頼したんだそうです。


そこで、フランク・キャプラはカリフォルニア州ロングビーチでヨット休暇を楽しんでいたチャップリンに会いに、わざわざ3時間もかけて行ったんですが、カタリナ島のヨット置き場で、付き人なのか秘書なのかわかりませんが、ある人にチャップリンに会いたいといったら、今は誰にもジャマされたくないから会えないと断られてしまったんだとか。
 

その後、団体映画芸術科学アカデミーの会長であるフランク・キャプラが会いにいていると伝えてくれと言ったのですが、やはり断られたとこのこと。フランク・キャプラはチャップリンは偉大な映画製作者ですが、人の扱いに対してはイヤな奴だったとコメントを残しています(笑)
 

まあ、キャプラが怒るのも当然ですよね。でも、なぜメアリー・ピックフォードが直接頼まなかったのか、ということと、この、フランク・キャプラの伝言を伝えた人は、本当にちゃんとチャップリンに伝えたんでしょうか?という疑問が湧きますよね。
チャップリンの作品を観たり、自伝などを読んでいると、とてもイヤな奴なんかではなく、むしろ博愛主義者だったと思うのですが・・・。

 

時期的には、自伝で読んだ限りではポーレット・ゴダードのために購入したヨットで2人で旅行していたんでしょうね。あとは、あの頃には、ちょうど「独裁者」を製作中だった頃かと思われます。


タイミングが悪かったとしか言いようがないですね・・・。チャップリンだって、人間です。人と会いたくない時くらい、あるでしょう。
たまたま直接、出くわしていたら、きっと意気投合していたに違いないと思うんだけどなぁ~・・・残念で仕方ないです。

↑なんと、662人ものチャップリン放浪者に扮したチャップリンファンの人達

スイスのコルシエ=シュル=ヴヴェというところにある元チャップリン邸は、なんと現在はチャップリン博物館になっているんですね!そこで、博物館チャップリン・ワールドの1周年記念イベントをチャップリンの誕生日祝いとして開催した模様です。ということは、4月16日かな?

この博物館行ってみたーーーーーい!!公式サイトはコチラ(日本語パンフレットはこちら

 

2020年の段階では、入場料大人で、だいたい2000円~3000円程度みたいですね。2万円くらい払うと最大20人までの団体で行って、ガイド付きの見学ができるようですな。

↑フォークを差したパンで、ロールダンスを披露するノーメイクのチャップリン

可愛いらしくて面白いですね~♪「黄金狂時代」で登場したシーンの再現。たしか、自伝を元にしたロバート・ダウにーJr主演の映画「チャーリー」では、この踊りを披露して、FBIのフーバー長官から怒りを買ってましたね(笑)

↑映画「街の灯」を監督中のチャップリンを撮影した貴重すぎる映像です!

↑映画「ライムライト」の名シーン抜粋

↓映画「ライムライト」ヒロイン役クレア・ブルームのインタビュー

↑ミューチュアル社時代の身公開シーン

↑パリの街灯広告がオシャレすぎる(笑)

↑「A Comedian Sees the World」時代の貴重な写真が見られます

↑AP通信が報じたチャップリンの私生活に関するニュース報道

↑AP通信が報じたチャップリンの私生活に関するニュース報道

↑チャップリンの私生活に関するニュース報道

↑チャップリンの私生活に関するニュース報道

↑年をとっても、お茶目でサービス精神旺盛なチャップリン。涙が出てきます。

↑年をとっても、お茶目でサービス精神旺盛なチャップリン。涙が出てきます。

↑フランス語をしゃべるチャップリン。

↑テニスをするチャップリン。左利きだったんですね!

↑ガンジーに会いに来たチャップリン。ビートルズ並みの歓迎ですね!!

↑チャップリンとソフィア・ローレン。

↑チャップリンの77歳の誕生日パーティー

↑ローマでも大人気のチャップリン!

↑イギリスでも大人気のチャップリン!すごすぎませんか?

↑英国王室によるフィルム・フェスティバルの様子らしいです。華やか~♪この出席した女王はエリザベス2世かな?

↑ヴェニスでゴンドラに乗るチャップリン!

↑ベルリンでのチャップリン!

↑「伯爵夫人」のプレス・カンファレンスの様子。1967年ということなので78歳くらいですね。

↑映画「伯爵夫人」プレミアにてチャップリンとマーロン​・ブランド

↑20年ぶりにアメリカの地へ戻ってきたチャップリン

↑ユニークで独創的なチャップリン!天才アーティストです​☆

おすすめグッズ

 

 

 

おすすめグッズ

写真やポスターが中心です。中にはサイン入りのものもあるかも!?

出逢った有名人達

 
 
 
チャップリンが出会った人々

チャップリン自伝に登場した、チャップリンと出逢った有名人たちをご紹介!

↓俳優​ローレンス・オリヴィエ

 

↓作曲家​ドビュッシー(チャーリーがまだ駆け出しの頃に劇場で挨拶を交わした)

 

↓H・G・ウェルズ(ウェルズの書斎などで話をしたり、食事をしたりしている)

 

↓ジョン・バリモア(たしか、楽屋かどこかでチョコっと話ただけ)

 

↓サマセット・モーム(ロンドンでゆっくり散歩しながら話していたように思います)

 

↓アン・モルガン(銀行家J.P.モルガンの娘で、たしかチャーリーに慈善イベントに出席してほしいと依頼)

 

↓ジェームス・マシュー・バリー(「ピーターパン」の著者ですね。チャップリンと街ブラしています)

 

↓ジョージ・バーナード・ショー(実際に会って話しています)

 

↓エルンスト・ルビッチ(会ったかは忘れましたが、「巴里の女性」からヒントを得て「結婚哲学」が生まれました)

 

新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(映画「市民ケーン」主人公のモデルになった男性でもある)

↓ハーストタワーのご紹介ビデオ

 

↓天才物理学者アルベルト・アインシュタイン(何度か食事したり一緒にプレミア・イベントに行ったりしてます)

 

↓映画監督セルゲイ・エイゼンシュテイン(チャップリンの自伝で彼の作品を褒めている言及があったと思います)

 

↓作曲家のアーヴィング・バーリン(代表曲「ホワイト・クリスマス」)

 

↓経済学者のケインズ(ジョン・メイナード・ケインズ)

 

↓政治家ウィンストン・チャーチル(元イギリス首相)左がチャーチル、右がチャップリン

 

↓政治指導者マハトマ・ガンディー(ガンジー)

 

↓チャップリンとガンジー(ロンドン)

 

↓ナンシー・アスター(英国初の女性議員)

 

↓フランスの芸術家ジャン・コクトー

 

↓ロシアの伝説的ピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフ(チャップリンとは、よく芸術や宗教について話した仲です)

 

↓ウクライナ生まれのアメリカで活躍した名ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツ

 

↓オーソン・ウェルズ

 

↓ショパンの演奏では世界一と謳われた国際的な人気ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン

 

↓画家のパブロ・ピカソ

 

↓哲学者ジャン=ポール・サルトル

 

↓中国の政治家 周恩来

 

↓イギリスの作家、俳優、映画監督、演出家、脚本家、作詞家、作曲家、ノエル・カワード

 

↓ウォルト・ディズニー(ツーショット写真も存在していますので、ぜひ検索してみて下さい

 

↓26才頃に交際したエドナ・パーヴァイアンス

 

29才頃に結婚した17才のミルドレッド・ハリスは見つかりませんでした。。

 

33才頃に結婚した16才のリタ・グレイは見つかりませんでした。。

 

↓43歳頃に交際したポーレット・ゴダード。4年後に結婚

 

↓53歳頃に交際し翌年結婚したウーナ・オニール(ノーベル文学賞作家ユージン・オニールの娘)

 

↓当サイト「すごスタ図鑑」のYouTubeチャンネル「すごスタ図鑑ちゃんねる」に「チャップリンのすべて」を公開しました。

​内容は、この特集ページをギュッと凝縮したものになっています☆

 

 

 
チャールズ・チャップリンが好きな人にオススメの俳優&女優​

 

 

画像をクリックするとAmazonへ、テキストリンクから当サイト関連ページへリンクします。

ダグラス・フェアバンクス

メアリー・ピックフォード

マーロン・ブランド

​ソフィア・ローレン

bottom of page