バーバラ・スタンウィック
Barbara Stanwyck
生年月日:1907年7月16日 アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン
没年月日:1990年1月20日(82才)
代表作:
「ステラ・ダラス」(製作:サミュエル・ゴールドウィン)
「レディ・イヴ」(共演:ヘンリー・フォンダ)
「群衆」(共演:ゲイリー・クーパー、監督:フランク・キャプラ)
「教授と美女」(ゲイリークーパー、ハワードホークス、ビリーワイルダー)
「深夜の告白」(共演エドワード・G・ロビンソン、監督ビリー・ワイルダー)
受賞歴:
・アカデミー賞 名誉賞
・ゴールデングローブ賞 助演女優賞「The Thorn Birds」
・ゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞
・エミー賞 女優賞「The Thorn Birds」
・エミー賞 主演女優賞「The Barbara Stanwyck Show」
・エミー賞 主演女優賞「バークレー牧場」
・AFI 生涯功労賞
結婚歴:
・ヴォードヴィリアンのフランク・フェイ(1928~1935)養子の息子1人
・イケメン俳優のロバート・テイラー(1939~1951)
個人的には長澤まさみに似ていると思う(笑)バーバラ・スタンウィックについて、あなたはどんなイメージを持ってますか?
私は、次の3つです。
1つめは、なんといっても古き良きハリウッド時代の巨匠、フランク・キャプラ監督のお気入り女優だったということです。フランク・キャプラと言えば映画「素晴らしき哉、人生!」や「スミス都へ行く」「我が家の楽園」などで知られる伝説的な映画監督ですが、そんなキャプラ監督が若い頃から目をつけて、何度もヒロイン役に抜擢していたのがバーバラ・スタンウィックでした。
タッグを組んだ映画は「希望の星」「奇蹟の処女」「たそがれの女」「風雲のチャイナ」「群衆」の5本にもおよびます!なかでも映画「奇蹟の処女」は私も大のお気に入り作品です☆
ちなみに、映画「つばさ」や「スタア誕生」で有名な監督のウィリアム・A・ウェルマンとも5度程タッグを組んでいます。
2つめは、なんでもこなせるマルチなカメレオン女優だった彼女の才能です!バーバラ・スタンウィックは、モデルであり、ダンサーでもあり、そして女優として、ステージ、映画、TVと本当に幅広く活躍した女優です。
ある時は偽の宗教指導者、ある時は機関車掌の娘、ある時は町を牛耳る女ボス、ある時は実業家の妻、ある時は詐欺師、そしてある時は記者と、まさに七変化☆ジャンルも犯罪映画から、スクリューボールコメディ、社会派作品、西部劇、メロドラマと本当に幅広い!
さらに、時代に合わせて舞台から映画、そしてTVドラマへと移行して長年に渡り愛され続けた女優でした。また、自身の年齢に合わせて、その時その時に最適な役柄を選んでいるようにも思えます。
そのくらい、観ていて気持ちよく、ハマリ役と感じる演技を魅せてくれています♪
3つめは、人柄がよく、表裏のない気持ちの良い性格だったようで、多くの人から好かれていたそうで、多くの業界人から共演や出演を望まれた女優だったそうです。ある脚本家などは、理想の妻像として挙げていたくらいです。
なお、バーバラ・スタンウィックはアメリカ映画協会(AFI)選出した「映画スター ベスト100」では、第11位でした☆
(ちなみに、1位はキャサリン・ヘプバーン、2位はベティ・デイヴィス、3位はオードリー・ヘプバーン)
ほぼ全出演作品リスト
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1929年(22才の年) 映画「壁の中の声(The Locked Door)」(監督:ジョージ・フィッツモーリス)
1930年(23才の年) 映画「希望の星(Ladies of Leisure)」(監督:フランク・キャプラ、製作:ハリー・コーン)
1931年(24才の年) 映画「Ten Cents a Dance(十仙ダンス)」(監督:ライオネル・バリモア、共演:リカルド・コルテス)
1931年(24才の年) 映画「Night Nurse(夜の看護婦)」(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、共演:クラーク・ゲーブル)
1931年(24才の年) 映画「The Miracle Woman(奇蹟の処女)」(監督:フランク・キャプラ、製作:ハリー・コーン)
1932年(25才の年) 映画「Forbidden(たそがれの女)」(監督フランクキャプラ、共演ラルフ・ベラミー、アドルフ・マンジュー)
1932年(25才の年) 映画「Shopworn」(共演:ザス・ピッツ)
1932年(25才の年) 映画「So Big!(母)」(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、共演:ベティ・デイヴィス)
1932年(25才の年) 映画「The Purchase Price」(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、共演:ジョージ・ブレント)
1933年(26才の年) 映画「The Bitter Tea of General Yen(風雲のチャイナ)」(監督フランクキャプラ、共演ニルスアスター)
1933年(26才の年) 映画「Ladies They Talk About(女囚の意気地)」(共演:プレストン・フォスター、ライル・タルボット)
1933年(26才の年) 映画「Baby Face(紅唇罪あり)」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:ジョージ・ブレント)
1933年(26才の年) 映画「Ever in My Heart」(監督:アーチー・L・メイヨ、共演:オットー・クルーガー、ラルフ・ベラミー)
1934年(27才の年) 映画「Gambling Lady」(監督:アーチー・L・メイヨ、共演:ジョエル・マクリー、パット・オブライエン)
1934年(27才の年) 映画「A Lost Lady」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:フランク・モーガン、リカルド・コルテス)
1934年(27才の年) 映画「The Secret Bride」(監督:ウィリアム・ディターレ、共演:ウォーレン・ウィリアム)
1935年(28才の年) 映画「The Woman in Red」(監督:ロバート・フローリー、共演:ジーン・レイモンド)
1935年(28才の年) 映画「Red Salute(娘無軌道旅行)」(監督:シドニー・ランフィールド、共演:ロバート・ヤング)
1935年(28才の年) 映画「Annie Oakley(愛の弾丸)」(監督:ジョージ・スティーヴンス、共演:メルヴィン・ダグラス)
1936年(29才の年) 映画「A Message to Garcia(ガルシアの伝令)」(監督ジョージ・マーシャル、共演ウォーレス・ビアリー)
1936年(29才の年) 映画「The Bride Walks Out」(監督:リリー・ジェイソン、共演:ロバート・ヤング)
1936年(29才の年) 映画「His Brother's Wife(愛怨二重奏)」(監督:W・S・ヴァン・ダイク、共演:ロバート・テイラー)
1936年(29才の年) 映画「Banjo on My Knee(膝にバンジョー)」(監督:ジョン・クロムウェル、共演:ジョエル・マクリー)
1936年(29才の年) 映画「The Plough and the Stars(鍬と星)」(監督:ジョン・フォード、共演:プレストン・フォスター)
1937年(30才の年) 映画「Internes Can't Take Money(紐育の顔役)」(監督スタンリー・リッジス、共演ジョエル・マクリー)
1937年(30才の年) 映画「This Is My Affair」(監督:ウィリアム・A・サイター、共演:ロバート・テイラー)
1937年(30才の年) 映画「Stella Dallas(ステラ・ダラス)」(監督:キング・ヴィダー、製作:サミュエル・ゴールドウィン)
1937年(30才の年) 映画「Breakfast for Two」(監督:アルフレッド・サンテル、共演:ハーバート・マーシャル)
1938年(31才の年) 映画「Always Goodbye」(監督:シドニー・ランフィールド、共演:ハーバート・マーシャル)
1938年(31才の年) 映画「The Mad Miss Manton(美人は人殺しがお好き)」(監督リリージェイソン、共演ヘンリーフォンダ)
1939年(32才の年) 映画「Union Pacific(大平原)」(監督セシル・B・デミル、共演ジョエル・マクリー、エイキム・タミロフ)
1939年(32才の年) 映画「Golden Boy(ゴールデン・ボーイ)」(監督ルーベンマムーリアン、共演ウィリアムホールデンほか)
1940年(33才の年) 映画「Remember the Night」(監督ミッチェルライゼン、共演フレッドマクマレイ、脚本ロバートリスキン)
1941年(34才の年) 映画「The Lady Eve(レディ・イヴ)」(監督:プレストン・スタージェス、共演:ヘンリー・フォンダ)
1941年(34才の年) 映画「Meet John Doe(群集)」(監督:フランク・キャプラ、共演:ゲイリー・クーパー)
1941年(34才の年) 映画「You Belong to Me(新妻はお医者さま)」(監督ウェズリー・ラッグルズ、共演ヘンリー・フォンダ)
1941年(34才の年) 映画「Ball of Fire(教授と美女)」(監督:ハワード・ホークス、共演:ゲイリー・クーパー)
1942年(35才の年) 映画「The Great Man's Lady」(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、共演:ジョエル・マクリー)
1942年(35才の年) 映画「The Gay Sisters(三人姉妹)」(監督:アーヴィング・ラパー、共演:ジョージ・ブレント)
1943年(36才の年) 映画「Lady of Burlesque(バーレスクの貴婦人)」(監督ウィリアムAウェルマン、共演マイケル・オシェイ)
1943年(36才の年) 映画「Flesh and Fantasy(肉体と幻想)」(監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ、共演:シャルル・ボワイエ)
1944年(37才の年) 映画「Double Indemnity(深夜の告白)」(監督:ビリー・ワイルダー、共演:エドワード・G・ロビンソン)
1944年(37才の年) 映画「Hollywood Canteen(ハリウッド玉手箱)」(カメオ出演)
1945年(38才の年) 映画「Christmas in Connecticut(クリスマス・イン・コネチカット)」(監督:ピーター・ゴッドフリー)
1945年(38才の年) 映画「Hollywood Victory Caravan」(監督ウィリアム・D・ラッセル、共演ボブ・ホープ、ボガート等)
1946年(39才の年) 映画「My Reputation」(監督:カーティス・バーンハート、共演:ジョージ・ブレント)
1946年(39才の年) 映画「The Bride Wore Boots」(監督:アーヴィング・ピッチェル、共演:ロバート・カミングス)
1946年(39才の年) 映画「The Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)」(監督ルイス・マイルストン、共演カーク・ダグラス)
1947年(40才の年) 映画「California(カリフォルニア)」(監督:ジョン・ファロー、共演:レイ・ミランド)
1947年(40才の年) 映画「The Two Mrs. Carrolls(第二の妻)」(監督:ピーター・ゴッドフリー、共演:ハンフリー・ボガート)
1947年(40才の年) 映画「The Other Love(いのち短かし)」(監督:アンドレ・ド・トス、共演:デヴィッド・ニーヴン)
1947年(40才の年) 映画「Cry Wolf(恐怖の叫び)」(監督:ピーター・ゴッドフリー、共演:エロール・フリン)
1947年(40才の年) 映画「Variety Girl(ハリウッド・アルバム)」(カメオ出演)
1948年(41才の年) 映画「B.F.'s Daughter」(監督:ロバート・Z・レナード、共演:ヴァン・ヘフリン)
1948年(41才の年) 映画「Sorry, Wrong Number(私は殺される)」(監督アナトール・リトヴァク、共演バート・ランカスター)
1949年(42才の年) 映画「The Lady Gambles」(監督:マイケル・ゴードン、共演:ロバート・プレストン)
1950年(42才の年) 映画「East Side, West Side」(監督:マーヴィン・ルロイ、共演:エヴァ・ガードナー)
1950年(43才の年) 映画「The File on Thelma Jordon(情事の代償)」(監督ロバート・シオドマク、共演ウェンデル・コーリー)
1950年(43才の年) 映画「No Man of Her Own」(監督:ミッチェル・ライゼン、共演:ジョン・ランド)
1950年(43才の年) 映画「The Furies(復讐の荒野)」(監督:アンソニー・マン、共演:ウォルター・ヒューストン)
1950年(43才の年) 映画「To Please a Lady(スピード王)」(監督:クラレンス・ブラウン、共演:クラーク・ゲーブル)
1951年(44才の年) 映画「The Man with a Cloak」(監督:フレッチャー・マークル、共演:ジョゼフ・コットン)
1952年(45才の年) 映画「Clash by Night(熱い夜の疼き)」(監督:フリッツ・ラング、共演:マリリン・モンローほか)
1952年(45才の年) TVコメディ「The Jack Benny Program」(ゲスト出演:EP「Gaslight」、ジャック・ベニー主演)
1953年(46才の年) 映画「Jeopardy(人妻の危機)」(監督:ジョン・スタージェス、共演:バリー・サリヴァン)
1953年(46才の年) 映画「Titanic(タイタニックの最期)」(監督:ジーン・ネグレスコ、共演:クリフトン・ウェッブ)
1953年(46才の年) 映画「All I Desire(わたしの願い)」(監督:ダグラス・サーク、共演:ライル・ベトガー)
1953年(46才の年) 映画「Blowing Wild(吹き荒ぶ風)」(監督:ヒューゴー・フレゴネーズ、共演:ゲイリー・クーパー)
1953年(46才の年) 映画「The Moonlighter(ザ・ムーンライター)」(監督:ロイ・ローランド、共演:フレッド・マクマレイ)
1954年(47才の年) 映画「Witness to Murder(殺人目撃者)」(監督ロイローランド、共演ジョージサンダース、ゲイリーメリル)
1954年(47才の年) 映画「Executive Suite(重役室)」(監督ロバートワイズ、共演ウィリアムホールデン、フレドリックマーチ)
1954年(47才の年) 映画「Cattle Queen of Montana(バファロウ平原)」(監督:アラン・ドワン、共演:ロナルド・レーガン)
1955年(48才の年) 映画「The Violent Men(欲望の谷)」(監督ルドルフマテ、共演グレンフォード、エドワードGロビンソン)
1955年(48才の年) 映画「Escape to Burma(辺境の追跡)」(監督:アラン・ドワン、共演:ロバート・ライアン)
1956年(49才の年) 映画「There's Always Tomorrow」(監督:ダグラス・サーク、共演:フレッド・マクマレイ)
1956年(49才の年) 映画「The Maverick Queen(烙印なき男)」(監督:ジョセフ・ケイン、共演:バリー・サリヴァン)
1956年(49才の年) 映画「These Wilder Years」(監督:ロイ・ローランド、共演:ジェームズ・キャグニー)
1957年(50才の年) 映画「Crime of Passion」(監督:ガード・オズワルド、共演:レイモンド・バー)
1957年(50才の年) 映画「Trooper Hook(荒野の追跡)」(監督チャールズ・マーキス・ウォーレン、共演ジョエル・マクリー)
1957年(50才の年) 映画「Forty Guns(四十挺の拳銃)」(監督:ジョセフ・バイロック、共演:バリー・サリヴァン)
1958-59年(51-52才の年) TVドラマ「Zane Grey Theatre」(4エピソードにゲスト出演)
1960-61年(53-54才の年) 映画「The Barbara Stanwyck Show」(番組ホスト。プライムタイム・エミー賞 主演女優賞 受賞)
1961年(54才の年) TVアンソロジー・シリーズ「General Electric Theater」(ゲスト出演。ロナルド・レーガン出演)
1961-64年(54-57才の年) TV西部劇ドラマ「Wagon Train(幌馬車隊)」(4エピソードにゲスト出演)
1962年(55才の年) 映画「Walk on the Wild Side(荒野を歩け)」(監督:エドワード・ドミトリク、共演:ジェーン・フォンダ)
1964年(57才の年) 映画「Roustabout(青春カーニバル)」(監督:ジョン・リッチ、共演:エルヴィス・プレスリー)
1964年(57才の年) 映画「The Night Walker(ナイト・ウォーカー)」(監督ウィリアム・キャッスル、共演ロバート・テイラー)
1965-69年(58-62才の年) TVドラマ「The Big Valley(バークレー牧場)」(主演。プライムタイム・エミー賞女優賞受賞)
1980年(73才の年) TVドラマ「チャーリーズ・エンジェル」(ゲスト出演)
1983年(76才の年) TVミニドラマ「The Thorn Birds(刺鳥)」(メインキャスト。ゴールデングローブ賞助演女優賞&エミー賞)
1985年(78才の年) TVドラマ「Dynasty(ダイナスティー)」(ゲスト出演)
1985-86年(78-79才の年) TVドラマ「The Colbys(コルビーズ)」(メインキャストとして出演)
バーバラ・スタンウィック出演映画の中から当サイト オーナーのオススメ作品を何本かご紹介します☆
まずは、フランク・キャプラ監督の映画「奇蹟の処女(The Miracle Woman)」(1931)です!
バーバラ・スタンウィックが24才の年に公開された作品。
監督は、バーバラ・スタンウィックとは生涯でなんと5度もタッグを組んだフランク・キャプラで、本作は2度目のタッグの時の映画になります。
フランク・キャプラ監督は、映画「素晴らしき哉、人生!」や「スミス都へ行く」「或る夜の出来事」「我が家の楽園」などで知られるイタリア生まれのハリウッドを代表する巨匠ですね。
本作では、まだ若くて初々しい頃のバーバラスタンウィックが精一杯の演技を見せてくれているのですが、全然、不自然でもなくむしろ可愛らしすぎて最後まで釘付けになってしまいました♪ストーリーもキャプラらしく人間愛に溢れていて大好きです☆
個人的には、外見も雰囲気も全体的に長澤まさみに似ていると思うのですが、皆さんはどう思われますか?
ちなみに本作は2022年4月現在、アマゾンのプライム・ビデオで視聴できるようです。プライム会員は無料で観放題です。私もプライムビデオで観ましたよ☆
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2作目は、1941年(34才の年) の映画「レディ・イヴ(The Lady Eve)」です!
監督は、映画「サリヴァンの旅」や「パームビーチ・ストーリー(旧邦題:結婚五年目)」等で知られるプレストン・スタージェス
で、共演は映画「黄昏」「怒りの葡萄」「十二人の怒れる男」などで有名なオスカー俳優ヘンリー・ファンダです。
この作品では、バーバラ・スタンウィックが詐欺師の父親を持つ、自身もやはり詐欺師の娘を演じています。
聡明で強気な彼女らしい役柄で、観ていてますますバーバラ・スタンウィックが好きになってしまいそうな作品です♪また、作品のストーリー自体も面白く、個人的には特に、男への仕返しの方法が秀一すぎて笑いました(笑)
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オススメ3作目は1939年(32才の年)の映画「大平原(Union Pacific)」です!
監督は大物映画プロデューサーとしては有名なセシル・B・デミルで、共演は、映画「海外特派員」などで知られる二枚目俳優のジョエル・マクリーです。
この作品は、第1回カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールに輝いています☆
バーバラ・スタンウィックは、やっぱりこういう勝気でおてんばな、ワンパク娘がとてもよく似合いますね♪全編を通して、とても可愛らしいですよ。
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オススメ4作目は1941年(34才の年) の映画「教授と美女(Ball of Fire)」です。
監督はハワード・ホークスで、共演はゲイリー・クーパーです。
この作品には、他にもヘンリー・トラヴァースやエリシャ・クック・Jrといった俳優たちも出演しています。
私はゲイリー・クーパーも大好きなので、バーバラ・スタンウィックに操られる彼を観るのは、特に面白く可笑しかったです♪バーバラ・スタンウィックとゲーリー・クーパーは映画「群集」でも共演していますね☆
なお、ハワード・ホークス監督は1948年に自身で本作を映画「ヒット・パレード」としてリメイクしています。
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オススメ5作目は1941年(34才の年)の映画「群集(Meet John Doe)」です。
監督は映画「素晴らしき哉、人生!」や「或る夜の出来事」「スミス都へ行く」「我が家の楽園」などで知られる巨匠のフランク・キャプラです。
バーバラ・スタンウィックはフランク・キャプラ監督と生涯でなんと5度もタッグを組んでいます。本作は最後のタッグ作品になりますね。
映画「教授と美女」でも共演したゲイリー・クーパーと再び共演した作品で、古き良きアメリカという雰囲気の漂う、心が洗われるような作品に仕上がってます。
なお、ゲーリー・クーパーとは、さらに映画「吹き荒ぶ風」でも共演しています。
ちなみに本作「群集」は2022年4月現在、アマゾンのプライム・ビデオで視聴できるようです。プライム会員は無料で観放題です。私もプライムビデオで観ましたよ☆
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最後に、作品内容はともかく(笑)、バーバラ・スタンウィックとスペシャルなスターたちとの共演作品をいくつか紹介しておきますね。
1952年(45才の年)の映画「熱い夜の疼き(Clash by Night)」ですが、この作品では、なんと、マリリン・モンロー(26才の年)とバーバラ・スタンウィックが夢の共演を果たしています!
ちょうど、マリリン・モンローが大ブレイクする前年くらいの時期ですね。2人が普通に共演しているシーンを観たときは感動しちゃいました。大好きな女優の共演ですからね!
あとは、1950年(43才の年) の映画「スピード王(To Please a Lady)」では、クラーク・ゲーブルと共演しています。こちらも気の強い者同士、なかなか見ごたえのあるタッグだと思いませんか?(笑)
バーバラ・スタンウィックは他にもビリー・ワイルダー監督と組んだ映画「深夜の告白(Double Indemnity)」や、フレッド・アステアらと共演した映画「重役室(Executive Suite)」、タイタニック号の映画「タイタニックの最期(Titanic)」、その他にもTVドラマ「バークレー牧場(The Big Valley)」など生涯に渡って多種多様な作品に出演しています♪
予告編動画などを観て、興味がわいた作品があったらぜひ観てみてくださいね☆
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このコーナーで紹介しきれなかった膨大な数の映画やTVドラマについては、下記にある予告編動画の紹介コーナーで探してみてくださいね!
ざっくりと生い立ちをご紹介
1907年7月16日にアメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリンで生まれています。
本名は、ルビー・キャサリン・スティーヴンスで、5人兄弟の末っ子。3人の姉と、1人の兄がいます。
両親は共に労働階級で、不幸にも、まだ4才の時に母親が流産による合併症で亡くなってしまいます。
母親のこの流産は、飲酒運転をしていた路面電車に轢かれたことによる要因が大きいようです。
さらに、父親も2週間後にパナマ運河採掘の仕事に参加したきり行方知れずとなってしまいます。
まだ幼かったバーバラ・スタンウィックと兄については、年長の姉が育てていたようですが、やがてその姉がショーガールの職を得ると、バーバラ・スタンウィックは里親に出されることになります。
里親との生活は嫌だったようで、バーバラはたびたび里親の元から逃げ出し1年で4回も里親を変わったことさえあったようです。
1916年(9才の年)、姉について劇団のツアーに同行
ショーガールだった姉の巡業についてまわり、一緒に踊りの練習などをしていたそうです。また、この頃バーバラ・スタンウィックは映画「ポーリンの危難」などで知られる女優のパール・ホワイトに憧れていたそうです。
1921年(14才の年)、中学を中退して就職
バーバラ・スタンウィックは14才の時に学校を中退して、デパートで商品を包装する仕事に就きます。
さらに、そのすぐ後には電話局での事務職に就き、経済的には1人で暮らせるレベルにまでなります。
しかし、女優業に憧れていたため、なんとか業界に近づこうと、今度は有名なファッション雑誌「ヴォーグ」の洋服の型取りの仕事にも挑戦。ですが、こちらは合わなかったようですぐにクビになっています。
そして次の仕事としては、ジェローム・H・レミック音楽出版社にてタイピストの職を得ます。
ですが、やはりバーバラ・スタンウィックは女優としてショービジネス入りがしたかったため、ついに反対していた姉たちも諦めてショービジネス入りを認めてくれたようです。
1923年(16才の年)、ジーグフェルド・フォリーズ
バーバラ・スタンウィックが16才頃には、ニューヨークはマンハッタンのタイムズスクエア近くにある劇場にて、当時絶大な人気を誇っていたジーグフェルド・フォリーズという踊り子グループの一員になるためのオーディションに受かります。
バーバラは、この頃のことを「ただ生きていくためのお金を稼ぎ、食べて、良いコートを着たかった」だけだと語っています。
ちなみに、ジーグフェルド・フォリーズはフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアというプロデューサーが興行したレビューの一種で、コーラスガールたちについての映画も数多く製作されています。なかでも映画「巨星ジーグフェルド」はアカデミー作品賞を受賞するなど有名ですね。
まさか、バーバラ・スタンウィックがジーグフェルドのコーラスガールの一員だったとは驚きました!
ちなみに、この頃の友達の1人には、映画「巴里のアメリカ人」に出演していたピアニストのオスカー・レヴァントがいたそうです。
1926年(19才の年)、演劇デビュー
たまり場となっていたパブのオーナーによって演劇の興行主に紹介されたのをきっかけに、「The Noose」という演劇に出演デビューすることとなります。
この演劇がなんと9ヶ月のロングラン公演になる大人気ぶり!そして、この頃に演劇プロデューサーの1人からの助言で、本名のルビーから芸名のバーバラ・スタンウィックを使用するようになります。
名前の由来は、演劇「The Frederick Girl」のヒロイン、バーバラ・フリーチーという役名と、舞台女優のジェイン・スタンウィックを混ぜて作られたとのこと。
また、この頃に「The Noose」で共演していた既婚の俳優レックス・チェリーマンと恋仲にあったと言われているようです。
1927年(20才の年)、演劇「バーレスク」に主演!一躍スターに!
演劇「バーレスク」の主役に抜擢されたバーバラ・スタンウィックは一躍ブロードウェイの人気スターとなります☆
この当時の「バーレスク」を観た人の中には、生涯で観た演劇の中で最高の作品だったと語っている俳優などもいるくらい大ヒットを記録したようです。
また、この頃にはハリウッドからバーバラ・スタンウィックに対してのオファーが絶えなかったようです。
そしてついに、サイレント映画「Broadway Nights」で銀幕デビューを果たします。
1928年(21才の年)、コメディ俳優と結婚
不幸にもパリに向かって航海中だった、バーバラと恋仲にあったとされる既婚俳優のチェリーマンが敗血症を患ってしまい死去。まだ31才という若さだったといいます。
その後、「バーレスク」を演じていた時期に友人のオスカー・レヴァントから俳優のフランク・フェイを紹介されて、同年1928年に結婚。
その後、すぐにハリウッドへ移り住みました。ちなみに、この時、バーバラにとっては初めての結婚でしたが、フランク・フェイにとっては2度目の結婚でした。
1929年(22才の年)、トーキー映画に初出演
バーバラが出演した初めてのトーキー映画は「壁の中の声(The Locked Door)」でした。
監督は、映画「マタ・ハリ」などで知られるジョージ・フィッツモーリスです。
また、同年にはもう1作、映画「Mexicali Rose」にも出演。こちらの共演者は、映画「奇蹟の処女」でも共演するサム・ハーディーでした。
どちらもヒットはしませんでしたが、これらの作品を観た映画監督のフランク・キャプラがバーバラ・スタンウィックに惚れ込み、自身の映画のヒロインとして選びます!以降、バーバラ・スタンウィックは、なんとフランク・キャプラ監督の映画5作品にヒロインとして出演しています。
1930年(23才の年)、フランク・キャプラ監督の映画に初出演☆
フランク・キャプラ監督と組んだ記念すべき第1作目は、映画「希望の星(Ladies of Leisure)」でした。製作はハリー・コーン。
1931年(24才の年)、フランク・キャプラ監督の映画へ2作目の出演
再びフランク・キャプラ監督と組んで、映画「The Miracle Woman(奇蹟の処女)」に出演。製作はやはりハリー・コーン。ちなみに、この作品は私も大好きな1本です☆
この年には映画「Night Nurse(夜の看護婦)」にも出演し、クラーク・ゲーブルと共演しています!
しかも監督は第1回アカデミー賞で作品賞を受賞した映画「つばさ」や「スタア誕生」で有名なウィリアム・A・ウェルマンです。
1932年(25才の年)、フランク・キャプラ監督の映画へ3作目の出演&ベティ・デイヴィスと共演!
映画「Forbidden(たそがれの女)」へ出演。フランク・キャプラ監督の作品。3度目の出演となります。製作はハリー・コーン。
共演は、チャップリン映画「巴里の女性」や、映画「犯罪都市」などに出演したアドルフ・マンジューや、トニー賞主演男優賞受賞俳優のラルフ・ベラミー。
また、映画「Shopworn」では、映画「人生は四十二から」などで知られる女優ザス・ピッツと共演。
さらに、映画「So Big!(母)」では、なんと若き24才頃のベティ・デイヴィスと共演しています!
監督は、第1回アカデミー作品賞受賞の映画「つばさ」や「スタア誕生」で知られるウィリアム・A・ウェルマンで、製作はワーナー・ブラザース設立者のジャック・ワーナー。
そして、同年には再びウィリアム・A・ウェルマン監督の映画「The Purchase Price」にも出演し、ジョージ・ブレントと共演。
私生活では、この年に夫のフランク・フェイとバーバラ・スタンウィックは生後10ヶ月の養子を迎え入れています。
1933年(26才の年)、フランク・キャプラ監督の映画へ4作目の出演
フランク・キャプラ監督の映画「The Bitter Tea of General Yen(風雲のチャイナ)」に出演。同監督作品、4度目の出演となります。
共演したスウェーデンの俳優ニルス・アスターが、メイクが素晴らしいのか演技が素晴らしいのか、中国人の役を見事にこなしていてビックリしました。
1935年(28才の年)、フランク・フェイと離婚
バーバラ・スタンウィックはうまくブロードウェイから映画への移行期に、時流にのれてスターとなりましたが、一方で夫のフランクは映画界では芽が出ずに、バーバラとの口論も絶えなくなってきて、結局、離婚。約7年の結婚生活にピリオドを打ちます。息子の親権はバーバラが獲得して、育てることになりました。
ただ、この養子の息子とは親子の仲がうまくいかず、彼が大人になってからも数回しか会わない程度の疎遠な仲となってしまったようです。
ちなみに、一部の人達の間では、2人の友人でもあったウィリアム・A・ウェルマン監督は、バーバラたちの仲をヒントに映画「スタア誕生」のストーリーを考えついたとも言われているそうです。
1936年(29才の年)、ロバート・テイラーと共演
その後も毎年3作から4作もの映画に出演し続け、この年には映画「His Brother's Wife(愛怨二重奏)」へ出演して、イケメン俳優のロバート・テイラーと共演。
この頃から、ロバート・テイラーと親密な仲になっていく。ただし情熱的な恋人同士というよりは、バーバラが4才年下のロバート・テイラーのメンター(先生)として面倒をみていたというような間柄に近かったようです。
また、ジョン・フォード監督の映画「The Plough and the Stars(鍬と星)」にも出演。
1937年(30才の年)、映画「ステラ・ダラス」で初のオスカーノミネート!
映画「This Is My Affair」などへ出演。共演は、二枚目スターのロバート・テイラー。
1930年代のバーバラ・スタンウィックは人気絶頂期ともいえる時期で、評論家によってはこの頃のバーバラ・スタンウィックを観ていなければバーバラを知っているとは言えないとまで語っているほどです。
そんな時期に、映画「Stella Dallas(ステラ・ダラス)」へ出演。監督は映画「ビッグ・パレード」などで有名なキング・ヴィダー。製作は名プロデューサーで、後に映画「教授と美女」でもタッグを組むサミュエル・ゴールドウィンです。
本作の演技で、バーバラ・スタンウィックは初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされました!(受賞は惜しくも逃す)
1938年(31才の年)
映画「The Mad Miss Manton(美人は人殺しがお好き)」などへ出演。共演はヘンリー・フォンダ。
1939年(32才の年)、イケメン俳優ロバート・テイラーと再婚
映画「Union Pacific(大平原)」へ出演。監督は名プロデューサーとしても有名なセシル・B・デミル。共演は、映画「海外特派員」などで知られるジョエル・マクリーや、「ボー・ジェスト」で有名なブライアン・ドンレヴィ、そしてオスカー俳優のアンソニー・クインなどです。
この作品は、第1回のカンヌ国際映画祭 パルム・ドール(最高賞)を受賞しました☆
同年、映画「Golden Boy(ゴールデン・ボーイ)」へも出演。監督は、映画「ジキル博士とハイド氏」などで知られるルーベン・マムーリアンで、共演は、アドルフ・マンジューやウィリアム・ホールデンなどです。
ちなみに、映画「麗しのサブリナ」で知られるウィリアム・ホールデンは本作でクビ寸前だったそうですが、バーバラが監督にもう少し様子を見守ってあげてほしいとかばってくれたらしく、ホールデンは大変感謝していたそうです。2人は長年の友人でした。
また、この年、私生活では、1936年頃より交際していたイケメン俳優ロバート・テイラーと結婚。ロサンゼルスに大きな牧場も購入したそうです。
1941年(34才の年)、ヘンリー・フォンダとゲイリー・クーパーづくしの1年
映画「The Lady Eve(レディ・イヴ)」へ出演。監督は、映画「サリヴァンの旅」や「パームビーチ・ストーリー」で有名なプレストン・スタージェスで、共演はヘンリー・フォンダです。
この作品はスクリューボール・コメディの代表的な作品の1つとして有名です。
さらに同年、映画「Meet John Doe(群集)」で監督のフランク・キャプラと5度目の最後のタッグを組みます!
共演はゲイリー・クーパーです。この映画には他にもエドワード・アーノルドや、ウォルター・ブレナンなども出演しています。
また、映画「You Belong to Me(新妻はお医者さま)」では、再びヘンリー・フォンダと共演を果たしています。こちらの監督は映画「シマロン」(1931)や「妾は天使ぢゃない」で知られるウェズリー・ラッグルズです。
そして、そして、さらに映画「Ball of Fire(教授と美女)」ではゲイリー・クーパーと再び共演!監督は「紳士は金髪がお好き」などで知られるハワード・ホークスです。
本作でバーバラ・スタンウィックは2度目のアカデミー賞 主演女優賞にノミネートされています。
この年には、ヘンリー・フォンダと2回、ゲイリー・クーパーとも2回ずつ共演するという、なんとも豪華な1年になりましたね!
なお、ゲーリー・クーパーとはさらに1953年にも共演します。
1942年(35才の年)、
映画「The Great Man's Lady」へ出演。監督はウィリアム・A・ウェルマンです。実はウィリアム・A・ウェルマンとも5本ほどタッグを組んでいるので、バーバラがお気に入り女優の1人だったのでしょうね!共演は、映画「大平原」でも共演したジョエル・マクリー。
映画「The Gay Sisters(三人姉妹)」に出演。共演はジョージ・ブレントで、監督は映画「情熱の航路」などで知られるアーヴィング・ラパー。
1943年(36才の年)、シャルル・ボワイエと共演
映画「Lady of Burlesque(バーレスクの貴婦人)」へ出演。監督はおなじみのウィリアム・A・ウェルマン。
映画「Flesh and Fantasy(肉体と幻想)」へ出演。3本の短編作品からなるアンソロジー映画で、監督は戦前から日本で人気のあったジュリアン・デュヴィヴィエ。共演は映画「ガス燈」や「邂逅」などで知られるシャルル・ボワイエ。
1944年(37才の年)、ビリー・ワイルダー映画に出演
映画「Double Indemnity(深夜の告白)」へ出演。監督はビリー・ワイルダーで、共演は映画「犯罪王リコ」や「倒れるまで」など知られるエドワード・G・ロビンソン。
本作は惜しくも受賞は逃しましたが、アカデミー作品賞や監督賞にノミネートされ、バーバラ・スタンウィックも3度目のアカデミー主演女優賞ノミネートとなりました。
また、ベティ・デイヴィスらの呼びかけで作られた従軍者のための無料食堂を舞台にした映画「Hollywood Canteen(ハリウッド玉手箱)」にも、数多くの映画スターたちと一緒にカメオ出演を果たしています。
1945年(38才の年)
映画「Christmas in Connecticut(クリスマス・イン・コネチカット)」に出演。監督は、映画「白いドレスの女」などで知られるピーター・ゴッドフリーで、共演は、映画「恋愛手帖」などで知られるデニス・モーガン、映画「マルタの鷹」で知られるシドニー・グリーンストリートなどです。
鉄道会社(?)の資金集めのためのキャンペーン・フィルム「Hollywood Victory Caravan」へ出演。監督は映画「花嫁売ります」などで知られるウィリアム・D・ラッセル、ほかにボブ・ホープや、ハンフリー・ボガートなども出演。
1946年(39才の年)
映画「The Bride Wore Boots」へ出演。監督は映画「離愁」や「月世界征服」のアーヴィング・ピッチェルで、共演は映画「ダイヤルMを廻せ!」などで知られるロバート・カミングス。
映画「The Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)」へ出演。監督は、映画「西部戦線異状なし」や「オーシャンと十一人の仲間」のルイス・マイルストンで、共演は映画「シェーン」のヴァン・ヘフリンや、まだ駆け出しだったカーク・ダグラスなど。映画「パリは燃えているか」などで知られるカーク・ダグラスは本作が映画デビュー。マイケル・ダグラスの父親としても有名ですね。
1947年(40才の年)
映画「The Two Mrs. Carrolls(第二の妻)」へ出演。監督は再びピーター・ゴッドフリー、共演はハンフリー・ボガート。
映画「California(カリフォルニア)」へ出演。フランク・シナトラの元妻、女優ミア・ファローの父親としても知られるジョン・ファローが監督で、共演は映画「失われた週末」や「ダイヤルMを廻せ!」などで有名なレイ・ミランド。
映画「The Other Love(いのち短かし)」へ出演。監督はハンガリー出身で映画「肉の蝋人形」で知られるアンドレ・ド・トスで、共演は映画「八十日間世界一周」や「嵐が丘」「007/カジノ・ロワイヤル」などで有名なイギリス人俳優デヴィッド・ニーヴン。
この作品では、バーバラ・スタンウィックはピアニストの役を演じたのですが、ロシア系アメリカ人のピアニスト、アーニャ・ドーフマンから実際に1日3時間のピアノのレッスンをしてもらったそうです。(実際に演奏しているのはアーニャ・ドーフマンで、その動きにシンクロさせる演技をするための練習)
活発な性格のバーバラ・スタンウィックが、ピアノの前にお行儀よく座って練習している姿を思い浮かべると、可愛らしくて、なんだか可笑しくなってきちゃいますね(笑)
映画「Cry Wolf(恐怖の叫び)」へ出演。監督はまたまたピーター・ゴッドフリーで、共演はオーストラリア出身の俳優エロール・フリン。
1948年(41才の年)
映画「B.F.'s Daughter」へ出演。監督は映画「巨星ジーグフェルド」で知られるロバート・Z・レナードで、共演は、映画「呪いの血」でも組んだヴァン・ヘフリン。
そして、この年、有名な映画「Sorry, Wrong Number(私は殺される)」に出演。監督は映画「追想」や「さよならをもう一度」で知られるロシア出身のアナトール・リトヴァクで、共演は映画「地上より永遠に」で有名なバート・ランカスター。
バーバラ・スタンウィックは、惜しくも受賞は逃しましたが、4度目のアカデミー主演女優賞ノミネートとなりました。
1949年(42才の年)
映画「The Lady Gambles」へ出演。監督は、映画「シラノ・ド・ベルジュラック」「夜を楽しく」、そしてマリリン・モンローが出演する予定だった「女房は生きていた」などで知られるマイケル・ゴードンで、共演は映画「大平原」でも共演したトニー賞受賞俳優のロバート・プレストン。
1950年(43才の年)、クラーク・ゲーブルと共演!
映画「East Side, West Side」へ出演。監督は映画「哀愁」「心の旅路」「若草物語」で知られるマーヴィン・ルロイで、共演は、映画「モガンボ」などで知られる女優エヴァ・ガードナー。
映画「The File on Thelma Jordon(情事の代償)」へ出演。本作にはバーバラの兄のバート・スティーブンスも出演している。
映画「No Man of Her Own」へ出演。監督は、映画「ミッドナイト」などのミッチェル・ライゼンで、共演は映画「異国の出来事」などで知られるジョン・ランド。本作にはバーバラの兄のバート・スティーブンスも出演している。
映画「The Furies(復讐の荒野)」へ出演。監督は、映画「ウィンチェスター銃'73」のアンソニー・マンで、共演は映画「黄金」などで知られるウォルター・ヒューストン・
映画「To Please a Lady(スピード王)」へ出演。監督は、映画「肉体と悪魔」などグレタ・ガルボ主演作品を多く手がけたことで知られるクラレンス・ブラウンで、共演は、ご存知、クラーク・ゲーブル!
1951年(44才の年)
映画「The Man with a Cloak」へ出演。監督はフレッチャー・マークル、共演は映画「市民ケーン」や「第三の男」で知られるジョゼフ・コットン。
1952年(45才の年)、実はマリリン・モンローと共演!&夫のロバート・テイラーと離婚。
映画「Clash by Night(熱い夜の疼き)」へ出演。監督は、映画「ドクトル・マブゼ」で有名なフリッツ・ラングで、共演は、なんとブレイク直前のマリリン・モンローなどがいました!
TVコメディ「The Jack Benny Program」にゲスト出演。(EP「Gaslight」、ジャック・ベニー主演)
私生活では、この年、約13年連れ添った夫のロバート・テイラーと離婚。
さらに、この頃、俳優のロバート・ワグナーの自伝本によると、45才だったバーバラ・スタンウィックは映画「タイタニックの最期」で共演した、当時22才だったロバート・ワグナーと交際をスタートして約4年間交際。
また、ヒッチコック映画「ロープ」などで知られる俳優のファーリー・グレンジャーの自伝によれば、1950年代にファーリー・グレンジャーとバーバラ・スタンウィックは一夜限りの関係を持ったとのこと。
1953年(46才の年)、ゲイリー・クーパーと共演!
映画「Jeopardy(人妻の危機)」へ出演。監督は、映画「荒野の七人」や「大脱走」で有名なジョン・スタージェス、共演は、映画「四十挺の拳銃」でも共演するバリー・サリヴァン。
映画「Titanic(タイタニックの最期)」へ出演。バーバラ・スタンウィック版の「タイタニック」ですね!監督は、映画「百万長者と結婚する方法」で有名なジーン・ネグレスコで、共演は、映画「一ダースなら安くなる」等で知られるクリフトン・ウェッブ。
映画「All I Desire(わたしの願い)」へ出演。監督は、ダグラス・サーク、共演は、ライル・ベトガー。
映画「Blowing Wild(吹き荒ぶ風)」へ出演。監督は、ヒューゴー・フレゴネーズで、共演は、ゲイリー・クーパー!
映画「The Moonlighter(ザ・ムーンライター)」へ出演。監督は、映画「ラスヴェガスで逢いましょう」などで知られるロイ・ローランド、共演は、映画「深夜の告白」や「アパートの鍵貸します」で知られるフレッド・マクマレイ。
1954年(47才の年)
映画「Witness to Murder(殺人目撃者)」へ出演。監督は映画「幌馬車隊」や「ラスヴェガスで逢いましょう」のロイ・ローランド、共演は映画「イヴの総て」のジョージ・サンダースや、同じく映画「イヴの総て」への出演と、ベティ・デイヴィスの4番目の元夫として有名なゲイリーメリル。
映画「Executive Suite(重役室)」へ出演。監督は映画「ウエスト・サイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」でオスカーを受賞したロバート・ワイズで、共演は映画「麗しのサブリナ」のウィリアム・ホールデンや、映画「ジキル博士とハイド氏」や「スタア誕生」「我等の生涯の最良の年」のフレドリック・マーチなどです。
映画「Cattle Queen of Montana(バファロウ平原)」へ出演。監督は、アラン・ドワン、共演:元アメリカ合衆国大統領のロナルド・レーガン。このあたりから西部劇への出演が多くなってきます。
また、国立公園で行われた本作のロケでは、氷の張った湖を泳ぐなどの様々なアクションシーンを自らスタントなしで行うなど果敢に挑戦しています。
1955年(48才の年)
映画「The Violent Men(欲望の谷)」へ出演。監督は、ポーランド出身のルドルフ・マテ、共演は映画「ギルダ」のグレン・フォードや、映画「倒れるまで」や「犯罪王リコ」「深夜の告白」などで有名なエドワード・G・ロビンソン。西部劇。バーバラ・スタンウィックは悪女役です(笑)
映画「Escape to Burma(辺境の追跡)」へ出演。監督はアラン・ドワン、共演は映画「史上最大の作戦」のロバート・ライアン。小説の映画化。
1956年(49才の年)
映画「There's Always Tomorrow」へ出演。監督は、ドイツ出身で映画「天はすべて許し給う」などで知られるダグラス・サークで、共演は、映画「深夜の告白」や「アパートの鍵貸します」のフレッド・マクマレイ。
映画「The Maverick Queen(烙印なき男)」へ出演。監督はジョセフ・ケイン、共演はバリー・サリヴァン。またまた西部劇です。
映画「These Wilder Years」へ出演。監督は、再びロイ・ローランド、共演は映画「民衆の敵」や「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」のジェームズ・キャグニー。
1957年(50才の年)
映画「Crime of Passion」へ出演。監督は、ガード・オズワルド、共演は、人気TVドラマ「弁護士ペリー・メイスン」のレイモンド・バー。
映画「Trooper Hook(荒野の追跡)」へ出演。監督は長寿TVドラマ「ガンスモーク」の製作者として有名なチャールズ・マーキス・ウォーレン、共演は、映画「大平原」でも共演したジョエル・マクリー。
映画「Forty Guns(四十挺の拳銃)」へ出演。監督は、サミュエル・フラー、共演は、バリー・サリヴァン。バーバラ・スタンウィックは大勢のガンマンを率いる女ボスの役!
この作品でも、スタントを使わずに自ら馬から落ちて引きづられるという危険なスタントに挑戦。後にハリウッドのスタントマンの殿堂から名誉会員として選出されています。
ちなみに、この年に発売されたバーバラがファンだったロシア系アメリカ人の女流作家の小説「肩をすくめるアトラス」は、バーバラ・スタンウィックのお気に入りの1冊でもあったようです。
1958-59年(51-52才の年)、この頃からテレビへの出演が増える
TVドラマ「Zane Grey Theatre」の4エピソードにゲスト出演。
1960年(53才の年)、ハリウッド名声の歩道
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を獲得☆
1960-61年(53-54才の年)、「バーバラ・スタンウィック・ショー」の放送スタート!
TVドラマシリーズ「The Barbara Stanwyck Show」で番組ホストを務める!プライムタイム・エミー賞 主演女優賞を受賞☆
このシリーズはNBCで全1シーズン合計36話が放送されました。視聴率はあまり奮わなかったようですが、様々なゲストが出演。
主要なゲストスターとしては、ジョセフ・コットン、ピーター・フォーク、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、ダナ・アンドリュース、リュー・エアーズ、ラルフ・ベラミーなどそうそうたる顔ぶれですよね!
1961年(54才の年)
TVアンソロジー・シリーズ「General Electric Theater」へゲスト出演。ロナルド・レーガンがホストの番組。
1961-64年(54-57才の年)
TV西部劇ドラマ「Wagon Train(幌馬車隊)」の4エピソードにゲスト出演。
1962年(55才の年)
映画「Walk on the Wild Side(荒野を歩け)」へ出演。監督は、映画「十字砲火」や「ケイン号の叛乱」のエドワード・ドミトリクで、共演はヘンリーフォンダの娘で女優のジェーン・フォンダ。
1964年(57才の年)、エルヴィス・プレスリーと共演
映画「「Roustabout(青春カーニバル)」へ出演。監督はジョン・リッチで、共演は、エルヴィス・プレスリー!なんと豪華な共演でしょう☆
映画「The Night Walker(ナイト・ウォーカー)」へ出演。監督は、ウィリアム・キャッスル、共演はバーバラ・スタンウィックの元夫のロバート・テイラー。離婚後も夫と共演できるのは関係が良好だったんですね。
ちなみに、バーバラ・スタンウィックの人柄の良さについては有名で、劇中では気丈な女性を演じることが多かったものの、反面、実生活ではどの撮影現場にいっても誰からも好かれる、親しみやすく、親切な性格だったようです。
なんと、ほとんとの撮影現場のクルー達の奥さんの名前から子供の名前まで覚えているくらい気遣っていたとか。このあたりは、イングリッド・バーグマンにも似ているところがありますね。
バーバラ・スタンウィックと数多くのタッグを組んだ名匠フランク・キャプラ監督などは、バーバラについて「彼女は生まれつき全ての監督や、共演者、撮影クルーや、エキストラから愛される運命にあるようだ。ハリウッドで人気コンテストがあったら、余裕で彼女がトップに輝くだろうね」とまで語っています。
また、共演した俳優やその妻とも仲がよく、特にヘンリー・フォンダはバーバラ・スタンウィックに対して長い間、恋心を抱いていたと言われている程、仲がよかったそうです。
また、たしか共演はしていなかったと思うのですが、同じフランク・キャプラ監督のお気に入りだった俳優のジェームズ・スチュワートとも交流があったようで、2人がツーショットで踊っている写真や、食事をしている写真が数多く残っており、ネット上でみることができるようですね。
1965-69年(58-62才の年)、エミー賞女優賞を受賞
TVドラマシリーズ「The Big Valley(バークレー牧場)」で主演を務める。プライムタイム・エミー賞 女優賞を受賞!2度目のエミー賞となる。
1969年に元夫のロバート・テイラーが57才で死去。バーバラ・スタンウィックは、かなりショックを受けてしばらく休業する。
1980年(73才の年)
TVドラマ「チャーリーズ・エンジェル」にゲスト出演。
1981年(74才の年)
ビバリーヒルズの自宅に夜、強盗が入り、400万円相当額の宝石類を持ち去られてしまうという事件にあう。
1982年(75才の年)、アカデミー賞名誉賞
アカデミー賞名誉賞を受賞。
前年に亡くなったウィリアム・ホールデンを偲んで、バーバラがアカデミー名誉賞を受賞した際のスピーチでは、「彼はいつも私の受賞を望んでくれていました。そして、今夜、ついに彼"ゴールデン・ボーイ"の願いが届いたのです」と感動的言葉を述べています。
1983年(76才の年)、ゴールデングローブ賞助演女優賞と、エミー賞主演女優賞を受賞!
TVミニドラマ「The Thorn Birds(刺鳥)」でメインキャストを務める。ゴールデングローブ賞 助演女優賞と、エミー賞 主演女優賞を受賞!3度目のエミー賞受賞。
1985年(78才の年)
TVドラマ「Dynasty(ダイナスティー)」にゲスト出演。
1985-86年(78-79才の年)
TVドラマ「The Colbys(コルビーズ)」にメインキャストとして出演。本作のメインキャストの1人にはチャールトン・ヘストンもいました。
バーバラ・スタンウィックは9才から喫煙習慣があったそうですが(汗)、この頃にようやく禁煙する。
1986年(79才の年)、セシル・B・デミル賞を受賞
ゴールデン・グローブ賞から、長年にわたってエンターテインメント業界に対して素晴らしい貢献をした人物に贈られる、セシル・B・デミル賞を受賞。
1987年(80才の年)、ライフアチーヴメント賞を受賞
アメリカ映画協会(AFI)から生涯功労賞を授与される。
1990年(83才の年)
1月20日、カリフォルニア州サンタモニカにて死去。享年82才。
死因は心不全および肺疾患だったようです。葬儀はしないでほしいとのことだったため、遺体は火葬されて、遺灰はヘリコプターからカリフォルニア州のローン・パインという、彼女が何本か西部劇を撮影したこともある場所に撒かれたそうです。
トリビア動画
代表作の1つ、映画「ステラ・ダラス」での1シーン↓
1947年(40才の年)に船上で夫のロバート・テイラーとインタビューを受けるバーバラスタンウィック↓
女優のローラ・ダーンがナレーターと務めながら、バーバラ・スタンウィクの作品を振り返る番組の動画↓
映画「ハリウッド玉手箱」(ハリウッド・キャンティーン)でのバーバラ・スタンウィックのカメオ出演部分↓
1982年(75才の年)にアカデミー名誉賞を受賞した際のスピーチ↓
1987年(80才の年)にアメリカ映画協会(AFI)から生涯功労賞を授与された際のスピーチ↓
気に食わない相手にくってかかる勇ましすぎるバーバラ・スタンウィック(笑)映画「Baby Face(紅唇罪あり)」↓
貴重!ナース姿のバーバラ・スタンウィック☆映画「Night Nurse(夜の看護婦)」↓
映画「レディ・イヴ」にて、歌って踊るバーバラ・スタンウィック↓
これはスゴイ!マリリン・モンローと、バーバラ・スタンウィックの共演シーン☆映画「Clash by Night(熱い夜の疼き)」↓
スキーウェア姿のバーバラ・スタンウィックが可愛すぎる♪↓
ロングスカート姿のバーバラ・スタンウィックが綺麗すぎる↓
↓バーバラ・スタンウィックの早着替え+お化粧落とし
↓映画「レディ・イヴ」での1シーン
↓映画「Lady of Burlesque(バーレスクの貴婦人)」での1シーン
↓TV「コルビーズ」に出演時のバーバラ・スタンウィック
↓バーバラの幼い頃の写真が観られる貴重な動画
↓バーバラ・スタンウィックとロバート・テイラーについてのドキュメンタリー
おすすめグッズ
写真やポスターが中心です。中にはサイン入りのものもあるかも!?
映画予告編動画
代表作を新しい作品順に並べています。全作品網羅ではないです。本国版の動画を多くしています。
↓当サイト「すごスタ図鑑」のYouTubeチャンネルに「バーバラスタンウィックのすべて」という動画をUPしました♪内容は、この特集ページの内容をギュッと凝縮したものになっています☆
出演作を検索してみよう♪ → U-NEXT | Hulu | d-TV | AmazonPrime | スカパー!
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