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マリリン・モンロー

Marilyn Monroe
概要

​生まれ:1926年6月1日 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス

没年月日:1962年8月5日(36才)

代表作:

ナイアガラ」(共演:ジョゼフ・コットン)

紳士は金髪がお好き」(共演:ジェーン・ラッセル)

百万長者と結婚する方法」(共演:ローレン・バコール)

七年目の浮気」(監督:ビリー・ワイルダー)

お熱いのがお好き」(共演:ジャック・レモン、監督:ビリー・ワイルダー)

受賞歴:

​・ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞「お熱いのがお好き」

結婚歴:

・ロッキード航空機製造会社の整備工と16才で結婚(1942~1946)

・野球選手のジョー・ディマジオ(1954~1955)

・劇作家のアーサー・ミラー(1956~1961)

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永遠のアイコン☆セクシーと可愛いを併せ持った知的で努力家な名女優

オーナーの一言

マリリン・モンローといえば、伝説的なセクシーなブロンド女優として世界中に今もなお高い人気を誇っていますよね!

しかも、実際の映画映像などを観ると、セクシーなだけでなく、とっても可愛らしい♪個人的には、特に声や表情のあどけなさが大好きです☆

また、彼女が歩んできた道を知れば、どれほどの努力家だったかがよくわかると思います。モデルとして成功するようにと、髪の色を金髪に変え、髪型もストレートヘアに変えたり、女優として成功するために生活苦になろうとヌードモデルをやりながら演技学び続け、エージェントを探し続け、映画会社から契約を切られても、すぐに移籍しながら、何度も何度も数多くの端役に出演し続けたりと、まさに信念の人であり、大変な勉強家であった努力の人と言っていいでしょう。

また、WOWOWで放送されたマリリン・モンロー最後のインタビューという番組を観た時には、マリリンという人がいかに、プロ意識の強い勉強家であり、そして知的レベルの高い人なのかということを痛感しました。

このインタビューはマリリンがなくなるほんの1ヶ月ほど前に、LIFE誌の記者によって3日くらいかけて取材した際に収録されたものらしいのですが、その中でマリリンは、まず「ネクタイをはずしてもいいですか?」と聞かれてと、「どうぞどうぞ、私なんて靴まで脱いじゃってるもの(笑)」と笑いながら記者の緊張をほぐしてあげていました。こんな気遣いのできる人だったのですね!

また、名声について聞かれると、キャビアに例えて「ステキだし、美味しいけれど、毎日出されたら、多過ぎっ!て、なるでしょ?それと同じね」と、ものすごくわかりやすいく、かつオシャレな比喩を持ち出して説明しています。

さらに、プライベートについては、ゲーテの名言を挙げて「才能は孤独のうちに育ち、人格は社会の荒波の中で最適に形成される」という言葉に言及。プライベートな経験がなければ才能は育たない。プライベートは大切な時間だけど、マスコミはそれを理解してくれないという趣旨のコメントをしていました。

極めつけは、LIFE誌の記者が後日、出来上がった原稿をマリリンに渡したところ、マリリンから連絡がきて、直しておいたわと言われたそうです。この記者ははじめ修正が入ったとガッカリしたそうですが、読んでみると彼女の原稿は完璧だったと感心し、マリリン・モンローという人は、実はとても知的だということを確信したそうです。


マリリン・モンローの研究家の中では有名な話らしいのですが、実はマリリンは大変な読書家で勤勉だったそうで、実際、大人になってからUCLAで美術史を受講までしていたとのこと。

また、すでにスター女優となってからもアクターズ・スクールで演技を学び直しています。しかも、プライベートレッスンではなく、大勢の生徒たちに混じって一般のコースを受講していたそうなんですね!

そういえば、インタビューの中では、たとえセリフが一言だけだったとしても、その一言に気持ちを込めて私は全力で演じるようにしてきたわとも言っていました。

自身の製作会社を設立した際には、記者会見を開き、将来はドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」を演じたいと記者たちに向かって公言していたそうです。当時の記者たちはバカにしたように一笑に付したそうですが・・・。

個人的には、映画「イヴの総て」でわずかですが、演技の天才と称された名女優ベティ・デイヴィスと共演しているシーンを観るたびに、マリリンがイヴ役を演じていたら、どんな映画になっていただろうと想像せずにはいられません。


気遣いもできて、かわいらしくて、知的で、努力家。このインタビューの中で印象に残っているマリリンの言葉がさらに3つありました。

1つはセックスシンボルと呼ばれることについて、
「セックス・シンボルって、そもそも意味わかんない言葉よね。それに何か、人じゃなくて、物みたいな言い方じゃない?私は物じゃない」という痛切な言葉。

2つ目は、人気がなくなったらどうする?と聞かれて、
「たとえ人気がなくなったって、なんとか生きていくわ。だって(孤児院に出されて里親をたらいまわしにされていた)5才の頃から必死でなんとか生きてきたんだもの」

そして3つ目は、将来の仕事観について、
「私は、これからもいろんな役を演じていくつもりでいるわ。だって、人生は40からって言うでしょ?」と言っていたのが非常に印象的でした。

人気スターになっても、なおマリリンは未来を見据えて努力し続けていた。セクシーな女優として有名であるということは、なんだか皆をだましているような気がする。そして自分自身さえもだましているような気さえする、というようなことも言っていたなぁ。ある意味、マリリンは完璧主義者だったと言えるのかもしれませんね。

そんな彼女の、独特な歩き方をするモンロー・ウォーク(フェラガモの靴)や、映画作品でマリリンが歌った「I Wanna Be Loved By You」、ジョン・F・ケネディ大統領に歌った「ハッピー・バースデイ」、そして寝る時は全裸にシャネルの香水5番のみをまとっているという発言など、多くの逸話が残っています。

​それだけに、36才という若さで亡くなってしまったのは本当に残念なことですね。もっと長生きしていたらオードリー・ヘプバーンやイングリッド・バーグマンとの豪華共演も見られたかも!?ちなみに、同世代の俳優ジェイムズ・ディーンは24才で亡くなっており、音楽家のモーツァルトは35才、ショパンは39才(または40才)で亡くなったとされています。


 

ほぼ全出演作品リスト

ほぼ全出演作一覧
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1947年 白黒ドラマ映画「Dangerous Years」(ウェイトレス役で、わずかなシーンにのみ登場)
1948年 白黒映画「嵐の園」(少しだけ登場。クレジットなし)
1948年 白黒映画「レディース・オブ・ザ・コーラス」(共演:アデル・ジャーゲンス)
1949年 白黒映画「ラヴ・ハッピー」(共演:ハーポ・マルクス、製作:メアリー・ピックフォード)
1950年 白黒映画「彼女は二挺拳銃」(クレジットなし、主演:アン・バクスター)
1950年 白黒映画「アスファルト・ジャングル」(共演:ジーン・ヘイゲン、監督:ジョン・ヒューストン)
1950年 白黒映画「イヴの総て」(端役。共演ベティ・デイヴィス、アン・バクスター、監督ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ)
1950年 白黒映画「The Fireball」(共演:ミッキー・ルーニー、監督:テイ・ガーネット)
1950年 白黒映画「Right Cross」(端役。共演:ジューン・アリソン、リカルド・モンタルバン、監督:ジョン・スタージェス)
1951年 白黒映画「ふるさと物語」(共演:ドナルド・クリスプ)
1951年 白黒映画「素晴らしき哉、定年!」(共演:モンティ・ウーリー、監督:ハーモン・ジョーンズ)
1951年 白黒映画「恋愛アパート」(共演ジューン・ヘイヴァー、監督ジョゼフ・M・ニューマン、脚本 I・A・L・ダイアモンド)
1951年 白黒映画「結婚しましょう」(共演:クローデット・コルベール)
1952年 白黒映画「熱い夜の疼き」(共演:バーバラ・スタンウィック、監督:フリッツ・ラング)
1952年 白黒映画「結婚協奏曲」(共演:ジンジャー・ロジャース、監督:エドマンド・グールディング)
1952年 白黒映画「ノックは無用」(共演:リチャード・ウィドマーク)
1952年 白黒オムニバス映画「人生模様」(「警官と賛美歌」の話に端役で出演。共演:チャールズ・ロートン)
1952年 白黒映画「モンキー・ビジネス」(共演:ケーリー・グラント、ジンジャー・ロジャース、監督:ハワード・ホークス)
1953年 カラー映画「ナイアガラ」(共演:ジョゼフ・コットン、ジーン・ピーターズ)
1953年 カラー映画「紳士は金髪がお好き」(共演:ジェーン・ラッセル、監督:ハワード・ホークス)
1953年 カラー映画「百万長者と結婚する方法」(共演:ローレン・バコール、ベティ・グレイブル)
1954年 カラー映画「帰らざる河」(共演:ロバート・ミッチャム、監督:オットー・プレミンジャー)
1954年 カラー映画「ショウほど素敵な商売はない」(共演ドナルド・オコーナー、エセル・マーマン、監督ウォルター・ラング)
1955年 カラー映画「七年目の浮気」(共演:トム・イーウェル、監督:ビリー・ワイルダー)
1956年 カラー映画「バス停留所」(共演:ドン・マレー)
1957年 カラー映画「王子と踊り子」(共演:ローレンス・オリヴィエ、監督:ローレンス・オリヴィエ)
1959年 白黒映画「お熱いのがお好き」(共演:ジャック・レモン、トニー・カーティス、監督:ビリー・ワイルダー)
1960年 カラー映画「恋をしましょう」(共演:イヴ・モンタン、監督:ジョージ・キューカー)
1961年 白黒映画「荒馬と女」(共演:クラーク・ゲーブル、モンゴメリー・クリフト、監督:ジョン・ヒューストン)

 
オーナー厳選作品

 
 
オーナー厳選作品のご紹介

上記の動画とは別に、マリリン・モンロー出演映画の中から当サイトオーナーのオススメ映画を何本かご紹介します↓

まずは、なんと言ってもマリリン・モンローの代表作といえば映画「七年目の浮気」(1955:The Seven Year Itch)でしょう。

マリリン29才の年の作品ですね。

監督・脚本はビリー・ワイルダーで、作中、地下鉄の通気口からの風でマリリンの白いスカートがふわりとめくれるシーンは映画史上もっとも有名なシーンの1つとなっていますね☆Wikipediaによると、このスカートはオークションで4億円近い価格で落札されたそうです!

共演はでトム・イーウェルで、彼は本作でゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞しました。

 

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2作目は、1959年の映画お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)です!マリリン33才の年の作品。

共演は、ジャック・レモンと、トニー・カーティス。監督は、映画「七年目の浮気」でもタッグを組んだビリー・ワイルダーです!映画も大ヒットしましたが、わざと長さの違うハイヒールを履いて腰をクネクネと動かしながら歩くモンロー・ウォークも有名になりました。

さらに、作中にマリリンが歌った「I Wanna Be Loved By You」もセクシーな歌い方が特徴的で有名になりました♪

また、作中のセリフで、「Nobody's perfect(完璧な人なんていないさ)」というのもよく知られています。

ちなみに、Wikipediaによると、なんと撮影中、マリリン・モンローは妊娠中だったとのことです。ただし、子宮外妊娠だったとのことで結局、子供を産んでいないそうです。日本語のWikipediaには、実は十代の頃に出産したことがあると言っていたらしいいのですが、本当のところはわかっていません。

受賞歴としては、アカデミー衣装デザイン賞と、ゴールデングローブ賞の作品賞、男優賞、女優賞を受賞しています。そして、アメリカ映画協会(AFI)が2000年に選出した「アメリカ喜劇映画ベスト100」で堂々第1位に輝きました!

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オススメ3作目は1953年の映画「紳士は金髪がお好き」(原題:Gentlemen Prefer Blondes)です!マリリン・モンロー27才の年の作品です。原作小説がブロードウェイ・ミュージカル化されたものを、映画化した作品ですね。

監督は映画「ヨーク軍曹」や「赤ちゃん教育」「ヒズ・ガール・フライデー」「教授と美女」などで有名な名監督ハワード・ホークスです!

同じくグラマー女優として人気だったジェーン・ラッセルという女優とのダブル主演になります♪

もう、本作のマリリンは可愛くて可愛くて仕方ない小悪魔的な美女を演じています!この役柄のマリリンは、かなりのハマり役だと思います!

ミュージカル映画なので、マリリンのセクシーで可愛いダンスや歌が披露されていますが、それほどミュージカルミュージカルしてないので、ストーリー映画としてもスゴく面白いコメディ映画になってます。

劇中で歌われている曲「Diamonds Are a Girl's Best Friend」(ダイアモンドは女の親友)も、大ヒットして有名になりました。マドンナが自身の曲「マテリアル・ガール」のMVでオマージュしたりしていますね♪

ちなみに、作中、ジェーン・ラッセルに「なんとか彼に1万5千ドル出させることはできない?」と言われたマリリンが「1時間45分かかるわ」と返事するシーンが一番好きです(笑)

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オススメ4作目は1953年の映画「ナイアガラ」。マリリン・モンローが27才の年の作品です♪この作品で、マリリンはブレイクしたと言われています!

監督は映画「死の接吻」や「勇気ある追跡」で知られるヘンリー・ハサウェイ。共演は、映画「市民ケーン」や「第三の男」などへの出演で知られる、オーソン・ウェルズ作品の常連俳優ジョゼフ・コットンです。

ストーリーもすごく面白いサスペンスもので、​マリリン・モンローの演技のうまさも堪能できます!同じ年に出演した映画と比べてみると、まったく別人のように見え、実力派女優としても遜色ない存在感で、さすが飽きさせませんね!

​悪女の役まわりなのですが、なぜか小悪魔的なマリリンも可愛すぎて憎めません(笑)

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オススメ5作目は1953年の映画「百万長者と結婚する方法」。マリリン・モンローが27才の年の作品です♪

原作は舞台で、監督は映画「タイタニックの最期」や「足ながおじさん」で知られるジーン・ネグレスコ。

共演者は、ハンフリー・ボガートの妻としても知られる女優ローレン・バコール!

 

その他、ジャッキー・クーガン(チャップリン「キッド」の子役として有名)の元妻としても知られる美脚女優ベティ・グレイブルや、映画「巨星ジーグフェルド」のウィリアム・パウエル、「帰らざる河」などでもマリリンと共演しているロリー・カルホーン、そして映画「アダム氏とマダム」への出演やトニー賞俳優として知られマリリンとも何度か同じ映画に出演しているデヴィッド・ウェインなどが出演しています。

もう、マリリンは、こういう、おとぼけ女子を演じたら随一ですよね!近眼すぎて壁に激突したり、人にぶつかったりするコミカルな演技には笑わされました☆メガネ女子なマリリン・モンローが見られます。

3人の女性が主役ですが、マリリンの存在感は別格ですよ♪かわいらしくて、そしてけなげでもある今回の役柄も大好きです。作中、ファッションモデルとして紳士は金髪がお好き」で歌った「ダイアモンドは女の親友」というセクシードレスを着ています(笑)

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オススメ6作目は1952年のコメディ映画「モンキー・ビジネス」。マリリン26才の年の映画なので、ブレイクする1953年の前年にあたります☆

監督は映画「紳士は金髪がお好き」でもタッグを組んだハワード・ホークスで、共演は大スターのケーリー・グラントと、映画「恋愛手帖」でオスカーに輝いた女優ジンジャー・ロジャースです!なんという豪華キャストでしょう☆

マリリンがオープンカーでケイリー・グラントとドライブするシーンが見れるとは思っていなかったので、感動しちゃいました(笑)

ちょっとオトボケな社長秘書役をマリリン・モンローが演じているのですが、これがまた可愛いんです♪やっぱりマリリンはちょっとオトボケなカワイイキャラが似合ってますね!もちろん、無邪気で小悪魔的なマリリンも観れますよ☆

​作品としては、めちゃくちゃ面白くてゲラゲラ笑いながら一気に見終わってしまった感じです。楽しいコメディ作品ですね。特に、ケーリー・グラントと奥さんのカケアイが面白いですよ。オススメ!

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オススメ7作目は1956年のカラー映画「バス停留所」です。マリリン30才の年の映画です。

ちょうど、マリリンがあらためて演技の勉強をするために、ニューヨークの名門アクターズスクールで学びなおした後に出演したという作品にあたりますね。マリリンは実際、この作品の演技が認められて、受賞こそ逃しましたが、ゴールデングローブ賞 女優賞にノミネートされました♪

個人的には、この作品のマリリンは大好きで、まずファーストカットの窓際でたそがれるシーンでの登場がカッコよすぎるんですよ!

さらに、ロデオ会場ではみんなの前で恥ずかしいから私のことを大声で呼ばないでよ!と言うシーンがあるのですが、それがもう可愛らしくて可愛らしくて(笑)

作品を観ていると、ますでマリリンと恋愛してるような感覚を味わえちゃう最高の作品ですよ☆

ざっくり生い立ち

 

 

 

ざっくりと生い立ちをご紹介

1926年6月1日にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれています。

母子家庭に育ち、出生証明書には、本名ノーマ・ジーン・モーテンソンと記載されていたそうです。

ただし、父親については、よくわかっておらず複数の候補が挙がっているとか。また、生まれたまもなく、母親のよってモーテンソンというラストネームから、ベイカーと改名されたため、マリリン自身は、ノーマ・ジーン・ベイカー​と名乗っていたそうです。

ちなみに、1956年(30才の年)には本名をマリリン・モンローと正式に改名しています。

母親は、米大手映画会社のRKOでフィルムカッターの仕事をしていましたが、精神を病んでしまったために、母親の親友の女性に預けられます。その後マリリンが9才の年に、その女性が結婚することになり、マリリンは孤児院へ。

​さらに、それから里親の元を転々として、あまり大切にされずに育ったため吃音症を患うようになってしまったそうです。

1942年(16才の年)、第二次世界大戦中。高校を半年で中退。その後、周囲の大人のススメで航空機製造会社の整備工と結婚。

1944年(18才の年)、夫が徴兵された後、4月頃から自身も軍需品産業の工場に勤め始める。

工場で勤務中に、陸軍の報道部員がマリリンの写真を撮影。Wikipediaには写真が載っています

1945年(19才の年)、この写真を見たカメラマンにススメられ、ハリウッドのモデル事務所へ応募。工場勤務を辞めて、モデルとして博覧会のイベントコンパニオンなどを経験する。

その後、別のカメラマンと知り合い、モデルとして誘われて長期撮影旅行に出かける。やがて、1946年までに、水着姿などで33誌ものカバーガールを務め、髪の毛をストレートにしてブロンドに染めるなど熱心にモデル活動に専念する。

1946年(20才の年)、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し、マリリン・モンローという芸名で8月から契約をスタート!(パラマウントは不合格だった)

ちなみに、マリリンという名前は美人で有名だったブロードウェイの舞台女優マリリン・ミラーにあやかってつけたそうです。

夫から仕事への理解を得られずに離婚。

1948年(22才の年)、映画嵐の園」に端役で初出演するが、契約を切られる。しかし、すぐにコロムビア映画へ移籍して、映画「レディース・オブ・ザ・コーラス」に準主役で出演する。ただし、コロンビア映画とはこの一本のみで契約終了。

その後は、生活苦から再び「Golden Dreams」というタイトルのカレンダーでヌードモデルなどをしながら演技の勉強​と、エージェントを探し続ける日々。

ちなみに、この頃に撮影したヌード写真が後の1952年3月にスキャンダルの元(というか絶好の宣伝)となる。

 

1949年(23才の年)、敏腕エージェントの尽力もあり、次々に映画に出演するようになる。この年は、メアリー・ピックフォード製作の映画「ラヴ・ハッピー」に出演。

1950年(24才の年)、映画「彼女は二挺拳銃」に端役で出演。主演はアン・バクスター。また、映画「イヴの総て」にも端役ながら出演し、ベティ・デイヴィスやアンバクスターと共演しています!一瞬だけですが(笑)その他にも、ジョン・ヒューストン監督の映画アスファルト・ジャングルなど数本の映画に出演を果たす。

再び20世紀FOXと、今度は7年契約を結ぶ。

1951年(25才の年)、映画「ふるさと物語」や「素晴らしき哉、定年!」「恋愛アパート」(脚本は、I・A・L・ダイアモンド)、「結婚しましょう」(主演はクローデット・コルベール)などに出演。

1952年(26才の年)、映画「熱い夜の疼き」(主演はバーバラ・スタンウィック)、「結婚協奏曲」、ノックは無用」、などに出演。さらにオーヘンリー短編集を映画化したオムニバス映画「人生模様」では「警官と賛美歌」の話に端役で出演し、チャールズ・ロートンと共演。

 

そして、映画「モンキー・ビジネス」では、準メインキャストの1人、社長秘書として大スター、ケーリー・グラントとガッツリ共演!監督はハワード・ホークスでした。

 

この頃、名前が知られるようになってきたマリリンの、数年前に生活苦から撮影したヌード写真がスキャンダルの元となる。しかし、これがかえってマリリン・モンローに対する注目を集めて、結果的に今後の映画は立て続けにヒットし、マリリンも一躍有名な女優となる。

1953年(27才の年)、映画「ナイアガラ」にメインキャストとして出演し、ジョゼフ・コットンやジーン・ピーターズと共演。

この作品のヒットによって、マリリン・モンローは女優としてさらなる飛躍をとげる!まさに出世作と言えるでしょう。

ちなみに、本作の中では、腰やお尻を大きく左右に振りながら歩くマリリン・ウォークを初めて披露しています♪

また、この年には、ハワード・ホークス監督の映画「紳士は金髪がお好き」にも主演して、ジェーン・ラッセルと共演。さらに、映画「百万長者と結婚する方法」では、主役の1人としてローレン・バコールとも共演を果たす。

3作とも大ヒットしたため、この年は、まさにマリリンにとっての当たり年で、コレを機に一気にハリウッド・スターへの階段を昇り始める☆

1954年(28才の年)、映画「帰らざる河」に出演。また、映画「王様と私」で有名なウォルター・ラング監督のミュージカル映画「ショウほど素敵な商売はない」にも出演して、ドナルド・オコーナーや、エセル・マーマンらと共演しています。

ただし、お色気路線やオトボケ女性といった決まりきった配役にウンザリし始めていたマリリンは、不満を募らせて一時的に女優休業宣言。しかし、翌年には「七年目の浮気」にて復帰している。

さらにこの年、ニューヨーク・ヤンキースのメジャーリーガーだったジョー・ディマジオとサンフランシスコ市庁舎にて結婚

​マリリンもジョーも2人とも2度目の結婚だった。

結婚の翌月には、日本の読売ジャイアンツが夫妻を日本に招待したため、新婚旅行を兼ねて3週間ほど日本に滞在し、帝国ホテルにも泊まっています。

しかし、結局、結婚から274日後の約9ヵ月後、10月4日にジョー・ディマジオと離婚。離婚後も親交は続けた。

また、本年の後半には映画制作会社「マリリン・モンロー・プロダクション(MMP)」を設立

1955年(29才の年)、映画「七年目の浮気」に出演。監督はビリー・ワイルダー!地下鉄の通気口からの風でスカートがめくれ上がるシーンは、あまりにも有名☆なお、この作品がマリリン出演作品の中で最も興行収入を稼いだ作品となった。

セックス・シンボルとしてのイメージから脱却したかったマリリンは、ニューヨークへ渡り、数々の有名スターを輩出している名門アクターズ・スタジオにて、再度、演技の指導を受ける。

​この頃に劇作家のアーサー・ミラーや、俳優のマーロン・ブランドと交際。

ちなみに、マリリンはチャップリン映画を観るのも好きだったようで、時期は不明ですが、チャップリンの息子とも交際していたとか。

1956年(30才の年)劇作家のアーサー・ミラーと結婚。映画「バス停留所」に出演して、ゴールデン・グローブ賞 女優賞にノミネートされる。(受賞は逃す)

1957年(31才の年)、ローレンス・オリヴィエ監督・主演・製作の映画「王子と踊り子」に主演。この頃から精神的に不安定な状態が続く。睡眠薬を飲み過ぎて精神病院に入院したことも。流産を経験。

1959年(33才の年)、ケネディの妹と結婚した俳優ピーター・ローフォードや、フランク・シナトラの紹介で、大統領となったジョン・F・ケネディと知り合う。

再び、ビリー・ワイルダー監督とタッグを組んだ、映画「お熱いのがお好き」に主演。ジャック・レモンらと共演。ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞に輝く!

1960年(34才の年)、映画「恋をしましょう」でイヴ・モンタンと共演。監督はジョージ・キューカー。

クラーク・ゲーブルが急死。翌年公開の映画「荒馬と女」を撮り終えた後だった。

1961年(35才の年)、クラーク・ゲーブルやモンゴメリー・クリフトと共演した映画「荒馬と女」が公開される。この作品は夫のアーサー・ミラーが脚本を手がけ、ジョン・ヒューストンが監督を務めた。

 

本作は、マリリン・モンローとクラーク・ゲーブル両者にとって最後の映画出演となる。

夫のアーサー・ミラーと離婚。

1962年(36才の年)、マディソンスクエア・ガーデンで行われた、ジョン・F・ケネディの45歳の誕生日パーティに出席。セクシーなドレスで「Happy Birthday To You」を披露する。なお、ファースト・レディだったジャクリーン夫人は欠席している

マリリンは再び精神的に不安定になり、元夫だったジョー・ディマジオなどを頼るようになる。

 

8​月5日、ロサンゼルス、ブレントウッドの自宅にて亡くなった。警察の要請で司法解剖した監察医はトーマス野口で、睡眠薬を大量に摂取したためによる急性中毒を起こし、電話で救急車を呼ぼうとしたが力尽きてしまったと結論づけた。

なお、2番目の夫だったジョー・ディマジオは、マリリンと離婚後は再婚せずに、マリリンの晩年を支え、マリリンの死後も20年にわたり週3回、彼女のお墓に赤い「アメリカン・ビューティー」という品種のバラを送り続けた。

↓映画「紳士は金髪がお好き」の中でマリリンが歌った「Diamonds Are A Girl's Best Friend(ダイヤモンドは女の一番の親友)」という歌の中に登場する3つのジュエリー・ブランド☆ティファニーカルティエハリー・ウィンストン

マリリンの死後

出演予定だった、ジョージ・キューカー監督でディーン・マーティンとの共演映画「女房は生きていた(Something's Got to Give)」はお蔵入り。結局、同じく1940年の映画「ママのご帰還(My Favorite Wife)」のリメイクである作品が、ドリス・デイ主演で翌年に別の監督によって「Move Over, Darling(女房は生きていた)」として製作されています。

マリリンの私物の中から日記手帳のようなものが見つかり、そこに散りばめられたメモや想いを公開する形で「マリリン・モンロー魂のかけら(Fragments)」という本が出版されました。

そして、この断片メモを何人かの女優たちが読み上げるという形のドキュメンタリー映画が、「マリリン・モンロー 瞳の中の秘密」です。出演者には、リンジー・ローハン、ユマ・サーマン、グレン・クローズなどがいます。

また、自伝本「My Story」という本も出版されています。

こちらは、よくわからないのですが、映画「モンキー・ビジネス」の脚本にも参加していた作家と共同で仕上げたとされていて、マリリン・モンロー・プロダクションの共同設立者でカメラマンだったミルトン・グリーンにマリリンが原稿を預けていたものだったとされているようです。

あと、映画「王子と踊り子」の裏側を描いた映画「マリリン7日間の恋」が公開されました。主演は、ミシェル・ウィリアムズと、ケネス・ブラナーです。

そして、ネットフリックスでマリリンの半生を描いた映画「Blonde」が、アナ・デ・アルマス主演で製作されました。Netflix初の18禁指定の作品となるようで、2022年の9月に公開予定とのことです。(2022年6月現時点)

マリリンにまつわる、その他トリビア

また、マリリンのトリビア的情報を加えておくと、マリリン・モンローは長く1箇所に住むというよりも、賃貸に数ヶ月だけ住んでは引っ越すというノマド的な生活をしていたそうです。

 

長期の場合は、ホテルに泊まることが多く、お気に入りのホテルはザ ビバリーヒルズ ホテルというホテルで、その中でもバンガロー1という部屋が特に気に入っていたようです。他にも、セントレジスホテルや、ホテル ベル エアーなどにも宿泊していたそうです。trip.comなどに写真がたくさん掲載されていましたので興味のある方は探してみてください

 

ジョー・ディマジオと来日した時には、東京にある帝国ホテルでしたね。こちらは一休.comなどで検索できますよ

​ついでにマリリンの好きだったと言われているものをいくつか挙げておくと、

 

寝る時につけるのは、香水はシャネルの5番

 

チョコレートはコンパーテス(日本店舗も青山とかにあります)というアメリカのチョコレートショップがお気に入りで、

ビバリーヒルズのレストランで提供されるロマノフ・インスパイアド・チョコレート・スフレというチョコスフレが好物だったとも言われているようです。

 

飲み物はシャンパン。

 

食べ物ではフランスのモン・サン=ミッシェルにある名店「ラ・メール・プラール」のスフレオムレツや、

来日時にはロイヤルホストのオニオンスープを飲んだとも聞いたことがありますね。

ファッションセンスは相当よくて、ジーンズをオシャレに着こなした最初の女性スターとも

​愛用のスニーカーは、Keds(ケッズ)というブランド。

愛用の​ハイヒールは、サルバトーレ・フェラガモです。

また、時計では、ブランパンというスイスの老舗高級ブランドのヴィンテージ時計を所有していたそうです。

上記で紹介したお気に入りのホテル、ビバリーヒルズ・ホテルのバンガロー1の動画

トリビア動画

 
 
 
トリビア動画

 

ルーシー・リューやケイティ・キャシディ、キャリー=アン・モスらがマリリンを語ってます↓

マリリン・モンローの突然の死は、今でも多くの都市伝説を生んでいます↓

マリリンの幼い頃と思しき写真や、その他いろんなマリリンの映像が見れます↓

ジェーン・ラッセルがマリリンの死について語っていたことを解説している動画↓

色んな作品でのマリリンとプライベートショットも少しみれる動画↓

1951年のオスカーにて、フレッド・アステアに紹介されて、アカデミー録音賞のプレゼンターを務めるマリリン↓

 

シャネル公式チャンネルにて、ナンバー5の香水の動画。マリリンの肉声が聞けます!夜、寝る時に何を着るのか聞かれたから、このNo5だけよって答えたの。だって本当のことだもの。というようなことを答えてます☆カワイイ♪↓

シャネル公式チャンネルにて、ナンバー5の香水のショートバージョン動画。マリリンの肉声が聞けます!夜、寝る時に何を着るのか聞かれたから、このNo5だけよって答えたの。だって本当のことだもの。というようなことを答えてます☆カワイイ♪

↓その他のマリリン・モンローの動画

余談ですがマリリン・モンローとミランダ・カーって顔ちょっと似てませんか?↓

ちなみに、メリル・ストリープとケヴィン・ベーコン主演の映画「激流」って、ちょっとだけマリリン・モンロー&ロバート・ミッチャム主演の映画「帰らざる河」に似てませんか?「帰らざる河」は、大自然の中、ギターを奏でながら弾き語りをしているマリリン・モンローを観られる映画ですよ♪どちらの作品もストーリーはハラハラする展開なのに、自然が綺麗で癒されちゃう大好きな映画です(笑)

ちなみに、マリリン・モンローの身長は165cm前後で、体重は53.5gくらいだったと言われています。また、スリーサイズはB91~94、W61、H86という数値が定説となっているようですが、真偽の程は不明なのだとか。ネット上ではJカップだと言っている人もいました。気になるところですね(笑)ちなみに、↓の動画では有名人の身長を比べていますが、オードリーの方が高かったんですね。合成でも2人が並んでいるだけでなんかスゴイ!共演してほしかったなぁ~。。

ケネディ大統領の45才の誕生日パーティーにて、バースデイソングを歌うセクシードレスのマリリン・モンロー↓

ちなみに、マリリンは、自分が壇上に登った時、あまりに皆が静まりかえったから、わお!下着でも見えてしまっているのかしら?って思ったわ。ああいう静けさは沈黙に愛撫されているようで好きだけどね。という趣旨の言葉を残しています。

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予告編 動画集

 

 

 

映画予告編動画

代表作を新しい作品順に並べています。全作品網羅ではないです。本国版の動画を多くしています。


↓当サイト「すごスタ図鑑」のYouTubeチャンネルに「マリリン・モンローのすべて」という動画をUPしました♪内容は、この特集ページの内容をギュッと凝縮したものになっています☆

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