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オードリー・ヘプバーン

Audrey Hepburn
概要

​生まれ:1929年5月4日 ベルギー ブリュッセル(国籍はイギリス)

没年月日:1993年1月20日(63才)スイス

代表作:

ローマの休日」(共演:グレゴリー・ペック、監督ウィリアム・ワイラー

麗しのサブリナ」(共演:ハンフリー・ボガート、監督ビリー・ワイルダー)

ティファニーで朝食を」(共演:ジョージ・ペパード)

シャレード」(共演:ケーリー・グラント)

マイ・フェア・レディ」(共演:レックス・ハリソン)

受賞歴:EGOT達成者!)

・アカデミー主演女優賞「ローマの休日」、ジーン・ハーショルト友愛賞

​・ゴールデングローブ賞 主演女優賞「ローマの休日」、セシル・B・デミル賞

・エミー賞 情報番組個人業績賞「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」

・グラミー賞 児童向け朗読アルバム賞「オードリー・ヘプバーン 魅惑の物語」

・トニー賞 演劇主演女優賞「オンディーヌ」、特別賞

結婚歴:

・ 俳優・映画プロデューサーのメル・ファーラー(1954~68)男子1人

・ イタリア人精神科医で10才下のアンドレア・ドッティ(1969~82)男子1人

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アカデミー、エミー、グラミー、トニー賞すべてを受賞した、麗しの実力派女優
 

オーナーの一言

オードリー・ヘプバーンといえば、数多くの代表作とともに、可愛らしい外見とオシャレなイメージ、そして晩年のチャリティー活動が印象的な女優さんですよね☆

初の主演映画「ローマの休日」でいきなりアカデミー主演女優賞に輝いてから、「麗しのサブリナ」や「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」など映画史に残る多数の名作で、アイコニックなヒロインを演じました。

また、実はかなりの演技派で努力家。結果として、オスカー、エミー、グラミー、そしてトニー賞と各分野で高い評価を得て、数好くないEGOT達成者でもあります!

そして、イングリッド・バーグマンのように、多国語を話すことができ、なんと6か国語を話したといわれています。英語、オランダ語、フランス語、イタリア語。あと少し、スペイン語とドイツ語です。

さて、あなたのお気に入りのオードリー映画は何ですか?まだ観たことがない作品もこのページを参考に興味を持っていただけたら嬉しいです♪

 

ほぼ全出演作品リスト

ほぼ全出演作一覧
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1948年 映画「オランダの七つの教訓」(オランダ映画、映画デビュー作)
1951年 映画「若気のいたり」(イギリス映画)
1951年 映画「素晴らしき遺産」(イギリス映画)
1951年 映画「ラベンダー・ヒル・モブ」(イギリス映画、チャールズ・クライトン監督)
1951年 映画「若妻物語」(イギリス映画)
1952年 映画「初恋」(イギリス映画)
1952年 映画「モンテカルロへ行こう」(イギリス&フランス共同制作映画)
1953年 映画「ローマの休日」(アメリカ、with グレゴリー・ペック、ウィリアム・ワイラー監督) アカデミー主演女優賞
1954年 映画「麗しのサブリナ」(with ハンフリー・ボガート、監督ビリー・ワイルダー)
1956年 映画「戦争と平和」(with ヘンリー・フォンダ、原作レフ・トルストイ)
1957年 映画「パリの恋人」(with フレッド・アステア、監督スタンリー・ドーネン)
1957年 映画「昼下りの情事」(with ゲイリー・クーパー、監督ビリー・ワイルダー)
1959年 映画「緑の館」(with アンソニー・パーキンス、監督メル・ファーラー)
1959年 映画「尼僧物語」(with ピーター・フィンチ、監督フレッド・ジンネマン)
1960年 映画「許されざる者」(with バート・ランカスター、監督ジョン・ヒューストン)
1961年 映画「ティファニーで朝食を」(with ジョージ・ペパード、監督ブレイク・エドワーズ)
1961年 映画「噂の二人」(with シャーリー・マクレーン、監督ウィリアム・ワイラー)
1963年 映画「シャレード」(with ケーリー・グラント、監督スタンリー・ドーネン)
1964年 映画「パリで一緒に」(with ウィリアム・ホールデン、監督リチャード・クワイン)
1964年 映画「マイ・フェア・レディ」(with レックス・ハリソン、監督ジョージ・キューカー)
1966年 映画「おしゃれ泥棒」(with ピーター・オトゥール、監督ウィリアム・ワイラー)
1967年 映画「いつも2人で」(with アルバート・フィニー、監督スタンリー・ドーネン)
1967年 映画「暗くなるまで待って」(with アラン・アーキン、監督テレンス・ヤング)
1976年 映画「ロビンとマリアン」(with ショーン・コネリー)
1979年 映画「華麗なる相続人」(with ベン・ギャザラ、監督テレンス・ヤング)
1981年 映画「ニューヨークの恋人たち」(with ベン・ギャザラ)
1989年 映画「オールウェイズ」(監督スティーヴン・スピルバーグ)
1993年 映画「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」(ナレーターとして出演) 死後にエミー賞 情報番組個人業績賞を受賞


 
オーナー厳選作品

 
 
オーナー厳選作品のご紹介

それでは、オードリー・ヘプバーン出演映画の中から管理人的オススメ映画を何本かご紹介します!

まずは、なんと言ってもオードリー・ヘプバーンの代表作といえば1953年のアメリカ映画「ローマの休日でしょう。

この作品でオードリー・ヘプバーンは弱冠24才にしてアカデミー主演女優賞を受賞しました!

共演者は映画「アラバマ物語」で有名な俳優グレゴリー・ペックで、監督は映画「我等の生涯の最良の年」や「ベン・ハー」で知られているウィリアム・ワイラーです。

 

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2作目は、1964年の映画「マイ・フェア・レディ」です!オードリー・ヘプバーン35才の年ですね。

共演俳優は、舞台版「マイ・フェア・レディ」のオリジナル・キャストでもあるイギリス俳優のレックス・ハリソン。

 

そして監督は、映画「若草物語」「ガス燈」「スタア誕生」などで知られるジョージ・キューカーです。

​作品賞や監督賞、主演俳優賞など8部門を受賞しました。オードリ・ヘプバーンって、こんなに演技派だったんだ!と驚く作品です。いろんな役ができて幅広い実力を知ることができる作品ですよ♪内容も最高に面白い傑作なので、オススメ!

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オススメ3作目は1954年の映画「麗しのサブリナ」です。オードリー・ヘプバーンが25才頃の作品ですね。

 

共演者は、映画「カサブランカ」で有名なハンフリー・ボガートと、映画「慕情」などで有名なウィリアム・ホールデン。

監督は映画「七年目の浮気」や「お熱いのがお好き」などで知られる巨匠ビリー・ワイルダーです!

本作でのオードリー・ヘプバーンの髪型は「サブリナ・カット」と呼ばれて大流行!さらに彼女が着ていた衣装もデパートなどで飛ぶように売れたそうですよ♪

余談ですが、舞台となった邸宅は、米映画会社パラマウント社長のビバリーヒルズ邸なんだとか☆

原作は戯曲なのですが、1995年にも「サブリナ」というタイトルで、リメイクされ、その際にはハリソン・フォードとグレッグ・キニアが主演を務めました。オードリーが演じたサブリナ役は、ジュリア・オーモンドというイギリスの女優が務めました。

 

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オススメ4作目は1961年の映画「ティファニーで朝食を」です。オードリーが32才頃の作品ですね。

ニューヨークで自由奔放に生きる女性を描いたアメリカの小説が原作です

監督はコメディ映画「ピンク・パンサー」シリーズで知られるブレイク・エドワーズ。共演者は、TVドラマ「特攻野郎Aチーム」で有名なジョージ・ペパード。

この映画の反響も大きく、2017年には宝石店として有名なティファニーが、ダイニングスペースをオープンさせた程。また、劇中にオードリーの歌った「ムーン・リバー」という曲も世界的にヒットして、作曲者がアカデミー主題歌賞と作曲賞に輝きました♪

 

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5作目は、1963年の映画シャレード」です。オードリー・ヘプバーンが34才の年に公開された作品ですね。

監督はミュージカル映画「雨に唄えば」などで有名なスタンリー・ドーネン。スタンリー・ドーネンは映画「パリの恋人」や「いつも2人で」等でもオードリーと組んでいます。

共演者は、ヒッチコック映画の常連としても有名なケーリー・グラント。ストーリーにひねりがあり、なかなか面白い作品♪

こういうサスペンスものもこなせちゃうオードリーの演技力の幅には感心しちゃいますね☆

 

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ざっくり生い立ち

 

 

 

ざっくりと生い立ちをご紹介

1929年5月4日、ベルギーのブリュッセルで生まれる。本名は、オードリー・キャスリーン・ヘプバーン=ラストン。

父親は、ボヘミア出身の男性で、Wikipediaによれば一度もまともに職業に就いたことはないが、趣味は一流で13ヶ国語ができたとのこと。

母親は、オランダの貴族の出身で、母の父親は男爵で市長も務めた人物なのだとか。母親は2度目の結婚でオードリーを産んだため、最初の結婚の時に出産した異父兄が2人いる。

1935年​(6才の年)、父親が家庭を捨てて出て行ってしまう。

1937年(8才の年)、イギリスのケントへ移住。

1939年​(10才の年)、両親の離婚が正式に成立。オランダへ戻る。アーネム音楽院に通いバレエを習う。第二次世界大戦勃発。

1945年(16才の年)、第二次世界大戦終結。戦時中は食糧不足で栄養失調に苦しむ。この体験が後にユニセフへの献身に繋がる。

1945年(16才の年)、この頃から3年間、オランダのアムステルダムで本格的にバレエを学ぶ。

1948年(19才の年)、オランダの教育用の旅行フィルム「オランダの七つの教訓」にオランダ航空のCA役で映像作品初出演。

イギリスへ渡り、ロンドンにあるランバート・バレエ団にて、さらにバレエを学ぶ。家計を支えるため舞台劇にも出演する。

1949年(20才の年)、舞台で共演したフランス人の歌手と初めて真剣な交際をする。

1950年(21才の年)、舞台での演技がイギリス映画会社の配役担当者の目につき、イギリスの映画俳優リストに登録。

 

1950年(21才の年)、男爵の男性と恋に落ち翌年1951年12月に婚約。

1951年(22才の年)、映画「素晴らしき遺産」「若気のいたり」「ラベンダー・ヒル・モブ」「若妻物語」に出演。

ブロードウェイ戯曲「ジジ」の著者、フランス人女流作家シドニー=ガブリエル・コレットが「モンテカルロへ行こう」の撮影現場でオードリーと出会い、「私のジジを見つけたわ!」と言って、「ジジ」への出演が決定。同年に公開され絶賛の嵐を受ける!

1952年(23才の年)、映画「初恋」に主人公の妹でバレリーナ役として出演。フランス映画「モンテカルロへ行こう」に出演

アメリカはハリウッド映画「ローマの休日」のカメラテストで王女役に大抜擢される。パラマウント社と契約。

​男爵の男性と破局。生活のすれ違いのためとされている。

1953年(24才の年)、映画「ローマの休日」公開。初の主演作!(with グレゴリー・ペック、監督ウィリアム・ワイラー)

 

いきなり、アカデミー主演女優賞を受賞する!(他ゴールデングローブ賞 主演女優賞なども受賞)

母親が開いたパーティーにて、グレゴリー・ペックの紹介で俳優メル・ファーラーと出会う。

1954年(25才の年)、映画「麗しのサブリナ」に主演し、こちらも再び大成功を収める。(共演:ハンフリー・ボガート、ウィリアム・ホールデン、監督ビリー・ワイルダー) 撮影期間中、共演者のウィリアム・ホールデン(既婚者)とは恋愛関係にあったと噂されていた。またWikipediaによると、ハンフリー・ボガートがオードリーのことを女優としてあまり認めていなかったという噂をオードリー自身は耳にしていたらしい。

​ちなみに、オードリーの映画衣装は本作以降、多数の作品でジバンシーが担当している。

同年、ブロードウェイの舞台「オンディーヌ」にも出演。なんと、トニー賞 主演舞台女優賞に輝く☆

さらに、同年、「オンディーヌ」で共演した俳優のメル・ファーラーと結婚!スイスで挙式。結婚生活は14年間続いた(ちなみに、メル・ファーラーは4度目の結婚でした)

1956年(27才の年)、映画「戦争と平和」に出演(共演:ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラー

1957年(28才の年)、ミュージカル映画「パリの恋人」に主演し、フレッド・アステアと共演。監督は「シャレード」でも組む事になるスタンリー・ドーネン。

1957年(28才の年)、映画「昼下りの情事」にも出演して、ゲイリー・クーパーと共演。監督は再びビリー・ワイルダー。

1959年(30才の年)、映画「尼僧物語」に出演。大ヒットを記録する。

1959年(30才の年)、映画「緑の館」に出演。監督は夫のメル・ファーラーが務め、共演者はアンソニー・パーキンス。

 

1960年(31才の年)、映画許されざる者」(共演バート・ランカスター、監督ジョン・ヒューストン)に出演。唯一の西部劇出演

同年、2度の流産を経て、長男のショーンを出産する。

1961年(32才の年)、映画「ティファニーで朝食を」(with ジョージ・ペパード、監督ブレイク・エドワーズ)に主演。ジバンシィ製の黒のドレスの他、ファッション面でも大いに人気を得る。

同年、インターナショナル・ベスト・ドレッサーに選ばれて殿堂入り!

同年、映画「噂の二人」(with シャーリー・マクレーン、監督ウィリアム・ワイラー)にも主演。

1963年(34才の年)、映画「シャレード」(with ケーリー・グラント、監督スタンリー・ドーネン)に主演。

1964年(35才の年)、映画「パリで一緒に」(with ウィリアム・ホールデン、監督リチャード・クワイン)で、映画「麗しのサブリナ」以来、再びウィリアム・ホールデンと共演。

 

1965年(36才の年)、「マイ・フェア・レディ」(with レックス・ハリソン、監督ジョージ・キューカー) 主演。大絶賛される!

この頃にスイスに家を購入し、息子とゆったりとした時間を過ごすようになる。

1966年(37才の年)、映画「おしゃれ泥棒」(with ピーター・オトゥール、監督ウィリアム・ワイラー)

1967年(38才の年)、映画「いつも2人で」(with アルバート・フィニー、監督スタンリー・ドーネン)で、スタンリー・ドーネン監督とは3度目のタッグ。オードリーは楽しげに撮影したとされ、演技についても高く評価されている作品。(2022年1月現在、なぜかAmazonで日本語版DVDが見つかりませんでした・・・)

同年、夫メル・ファーラーとの別居を発表。

同年、映画「暗くなるまで待って」(with アラン・アーキン、監督テレンス・ヤング)にも出演。5回目のアカデミー主演女優賞ノミネート。

​この1967年を区切りに約15年間に及ぶ女優生活に区切りをつけ、プライベートの時間を大切にするようになります。

1968年(39才の年)、夫メル・ファーラーと離婚。同年、船旅で10才年下のイタリア人精神科医と出会い恋に落ちる

1969(40才の年)、イタリア人精神科医の男性と結婚。

1970(41才の年)、男の子ルカを出産。

1976年(47才の年)、休業状態だった女優業に復活して、映画「ロビンとマリアン」に出演!ショーン・コネリーと共演している作品です!

1979年(50才の年)、映画「華麗なる相続人」(with ベン・ギャザラ、監督テレンス・ヤング)に出演。シドニー・シェルダン原作「血族」の映画化です。音楽は「ニューシネマ・パラダイス」のエンニオ・モリコーネです。

共演したベン・ギャザラと不倫関係にあったと言われている。

1980年(51才の年)、友人の紹介でオランダ人俳優ロバート・ウォルダースと出逢う。

1981年(52才の年)、映画「ニューヨークの恋人たち」(with ベン・ギャザラ)で再びベン・ギャザラと共演。監督は「ペーパー・ムーン」で知られるピーター・ボグダノヴィッチ。

1982年(53才の年)、イタリア人精神科医の男性と離婚。この頃にはオードリーは既に、オランダ人俳優ロバート・ウォルダースと恋愛関係にあり、2人はオードリーの離婚が成立した後、同棲をスタートさせ、オードリーが亡くなるまで一緒に暮らした。

1987年(58才の年)、東京で開催されたユニセフのチャリティー・オーケストラ・コンサートで演奏前のスピーチを披露

1988年(59才の年)、この頃から本作的に各国のユニセフから依頼が来るようになる。第二次世界大戦の後に、ユニセフの前身である救助機関のUNRRAに助けられた経験から喜んで引き受けるようになる

1989年(60才の年)、映画「オールウェイズ」(監督スティーヴン・スピルバーグ) スピルバーグ作品にも出演していたんですね!

1990年(61才の年)、指揮者をしていた知人から誘われて、ユニセフの慈善活動でアメリカの5つの都市で「アンネの日記」からの抜粋を朗読。

1992年(63才の年)、これまでのユニセフ活動などが評価され、当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュから大統領自由勲章を授与。体調不良のため授与式には参加できず、オードリーの死後に届けられた。

1992年(63才の年)、子供向けの昔話を朗読したアルバム「オードリー・ヘプバーン 魅惑の物語」を録音し発表。この作品で死後にグラミー賞「最優秀児童向け朗読アルバム賞」を受賞。

1993年(64才の年)、TVドキュメンタリー(米PBS放送)「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」(ナレーターとして出演) この作品で死後にエミー賞 情報番組個人業績賞を受賞。

エミー賞とグラミー賞は死後に受賞したものだったのですね。

1993年(64才の年)、ガンのために1月20日にスイスの自宅にて死去。誕生日の来る前だったので享年63才。

 

1993年(64才の年)、アカデミー賞の協会から、ジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。息子が代理で受け取った。

ちなみに、オードリーは、なんと6か国語を話せたとか。英語、オランダ語、フランス語、イタリア語。そして少しのスペイン語とドイツ語だそうです。

 

トリビア動画

 
 
 
トリビア動画etc

↓映画「ティファニーで朝食を」の中で「ムーン・リバー」を歌うオードリー♪あたたかい歌声に癒されます☆

 

オードリー・ヘプバーンの生涯を説明した動画↓

 

ケーリー・グラントのトリビュートイベントでのオードリー・ヘプバーン↓

 

英国アカデミー賞でプレゼンターを務めるオードリーの動画↓

 

アカデミー賞にて、死後にジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。プレゼンターはグレゴリー・ペックで代理は息子のショーン↓

 

1954年にアカデミー主演女優賞を受賞した際のオードリー・ヘプバーン。プレゼンターはゲイリー・クーパー↓

 

エチオピアでのボランティア活動とユニセフについてインタビューに答えるオードリー・ヘプバーン↓

 

英国アカデミー賞で特別賞を受賞した際のスピーチ↓

 

スイスのジュネーヴ空港でインタビューに答えてるオードリー。なんとフランス語で話してます。実は6ヶ国語を話せたとのこと。(英語、オランダ語、フランス語、イタリア語。あと少しのスペイン語とドイツ語)↓

 

なんと、米名物司会者のラリー・キングからインタビューを受けています↓

国際連合にて、ユニセフ親善大使としてスピーチを行うオードリー・ヘプバーン↓親善大使って英語でGoodwill Ambassadorって言うんですね!全ての子供には愛情が必要だと熱く語っています☆

おすすめグッズ

 

 

 

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写真やポスターが中心です。中にはサイン入りのものもあるかも!?

予告編 動画集

 

 

 

映画予告編動画

代表作を新しい作品順に並べています。全作品網羅ではないです。本国版の動画を多くしています。

一番上の動画は、2022年に公開される​ドキュメンタリー映画の予告です。

↓当サイト「すごスタ図鑑」のYouTubeチャンネルに「オードリーヘプバーンのすべて」という動画をUPしました♪内容は、この特集ページの内容をギュッと凝縮したものになっています☆

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オードリー・ヘプバーンが好きな人にオススメの俳優&女優​

 

 

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グレゴリー・ペック

ケーリー・グラント

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