グレース・ケリー
Grace Kelly
生まれ:1929年11月12日 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア
没年月日:1982年9月14日(享年52才)
代表作:
「真昼の決闘」(共演:ゲイリー・クーパー)
「モガンボ」(共演:クラーク・ゲーブル)
「ダイヤルMを廻せ!」(共演:レイ・ミランド)
「裏窓」(共演:ジェームズ・ステュアート)
「喝采」(共演:ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン)
受賞歴:
・アカデミー主演女優賞「喝采」
・ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞「喝采」、助演女優賞「モガンボ」
結婚歴:
モナコ大公と結婚し、モナコ公妃となった↓
・レーニエ3世(モナコ公)(1956~1982)女子2人、男子1人
グレース・ケリーといえば、ハリウッド女優として人気絶頂期にモナコ大公から見初められ、モナコ公妃となった伝説の女優。
気品のある上品な美しさは有名で、クール・ビューティーと呼ばれました。アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優としてイングリッド・バーグマンに並び3作品でヒロインを務めています。
ある時、妊娠していることを隠すために、カメラを向けられた際にエルメスのバッグ「サック・ア・クロワ」でお腹を隠したため、このバッグが大変有名になったことがありました。これを受けてエルメスは、このバッグの商品名をケリーバッグと改名したというエピソードまである程の人気ぶりでした。
ほぼ全出演作品リスト
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1948年 TV「Kraft Television Theatre」(様々な役で複数話に登場、ほか1952–1954にも出演)
1950-53 TV「The Philco Television Playhouse」(様々な役で複数話に登場、ほか1952–1954にも出演)
1950年 TV「Actors Studio」(様々な役で複数話に登場、ほか1952–1954にも出演)
1951年 TV「Prudential Family Playhouse」(エピソード「Berkeley Square」に出演)
1951年 映画「14時間の恐怖」(with ポール・ダグラス、バーバラ・ベル・ゲデス)
1951-52 TV「Armstrong Circle Theatre」(4エピソードに出演)
1952年 TV「CBS Television Workshop」(エピソード「Don Quixote」に出演)
1952年 TV「Hallmark Hall of Fame」(エピソード「The Big Build Up」に出演)
1952年 映画「真昼の決闘」(with ゲイリー・クーパー)
1952-53 TV「Lux Video Theatre」(3エピソードに出演)
1953年 TV「Toast of the Town」(エピソード「Teahouse of the August Moon」に出演)
1953年 映画「モガンボ」(with クラーク・ゲーブル)
1954年 映画「ダイヤルMを廻せ!」(アルフレッド・ヒッチコック監督 with レイ・ミランド)
1954年 映画「裏窓」(アルフレッド・ヒッチコック監督 with ジェームズ・ステュアート)
1954年 映画「トコリの橋」(with ウィリアム・ホールデン、フレドリック・マーチ)
1954年 映画「喝采」(with ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン)
1954年 映画「緑の火・エメラルド」(with スチュワート・グレンジャー)
1955年 映画「泥棒成金」(アルフレッド・ヒッチコック監督 with ケーリー・グラント)
1956年 映画「白鳥」(with アレック・ギネス)
1956年 映画「上流社会」(with フランク・シナトラ、ビング・クロスビー、ルイ・アームストロング、セレステ・ホルム)
1956年 ドキュメンタリー映画「The Wedding in Monaco」(グレース・ケリー本人として出演)
オーナー厳選作品のご紹介
↑グレース・ケリーのファッションに注目したトップ10動画
上記動画の作品とは別に、グレイス・ケリー出演映画の中から管理人的オススメ映画を何本かご紹介します↓
まずは、なんと言ってもグレース・ケリーの代表作といえば映画「喝采」(1954:The Country Girl)でしょう。
グレイス・ケリーはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しました!グレース・ケリーの迫真の演技が見れますよ☆
共演はビング・クロスビーとウィリアム・ホールデンで監督は映画「三十四丁目の奇蹟」で知られるジョージ・シートンです。
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2作目は、1952年の映画「真昼の決闘」(原題:High Noon)です!
監督は映画「地上より永遠に」のフレッド・ジンネマン。主演はゲイリー・クーパーです。
この映画では、ゲイリー・クーパーの新婚妻の役を演じています。なかなかのキーパーソンぶりを発揮してますし、何より若くて初々しいグレース・ケリーが見られて感激です。しかもウェスタン調のドレス姿♪
映画自体も、まるで人気TVドラマ「24」のような展開で面白いですよ★
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オススメ3作目は1954年の映画「裏窓」です!
アルフレッド・ヒッチコック監督の作品で、名優ジェームズ・ステュアートと共演しました!
ヒッチコックはグレース・ケリーがお気に入りだったようで、他にも映画「ダイヤルMを廻せ!」や「泥棒成金」でヒロインを務めています。
本作でのグレース・ケリーも本当に綺麗でした。上流階級のパーティ好きな女性という役柄だったので、様々なドレス姿のグレース・ケリーや、セクシーなネグリジェ姿なども見られますよ!
さらに他の人と会っている際に、こっそりとこっちに向かって手を振ってくれたり、自分にむかって後ろでで秘密のサインをくれたりするのが、なんとも嬉しくなっちゃいました(笑)
ちなみに、本作の原作は、ウィリアム・アイリッシュというアメリカの推理作家の小説です。
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オススメ4作目は1956年のミュージカル映画「上流社会」。
豪華なお屋敷やヨットなど、まさに優雅な上流社会という感じのセットは見ているだけでウットリしちゃいます。キャサリン・ヘプバーン主演の映画「フィラデルフィア物語」のミュージカル版映画です。
グレース・ケリー最後の映画出演で、しかも劇中グレース・ケリーの水着姿が見られます!これだけでも観る価値ありですね(笑)
ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ルイ・アームストロング、セレステ・ホルムなど豪華キャストとの共演も魅力の1つです!
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オススメ5作目は1955年のヒッチコック映画「泥棒成金」。
監督は、アルフレッド・ヒッチコック。共演は、ケイリー・グラントです!
この映画は、イタリア・フランスを舞台にした映画で、ケイリー・グラントが有名な宝石泥棒を演じています。グレースケリーと関係が深いモナコ市街も登場していますよ。
ストーリー自体がルパン三世みたいで面白いです!かつ、グレース・ケリーも美しく、ちょっと、いたずら娘っぽくて可愛らしいです☆本作でも様々なオシャレ衣装を着こなし、宝石を身にまとい、ゴージャス感にあふれていますね♪
ざっくりと生い立ちをご紹介
1929年
11月12日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれています。
父親はアイルランド系で、なんと、オリンピックで生涯に3つの金メダルを獲得した人物です!
もともとレンガ職人だったのですが、1920年、オリンピックのボート競技で金メダリストに!この大会では2つの金メダルを獲得。さらに4年後のオリンピックでも金メダルを1つ獲得して英雄的人物になります。
そしてその後、レンガ工事の請負会社を設立して大成功を収め、億万長者となったそうです!
1935年には、僅差で落選しましたが、フィラデルフィアの市長選に民主党候補として立候補するまでになっています。
そのため、グレース・ケリーは裕福な家庭で育ちました。
ちなみに、グレース・ケリーの父親の兄弟もスゴイ人たちばかりで、1人はボードヴィルの花形コメディアンであり、パラマウントやMGMの映画にも出演した俳優でした。
そして、もう1人は、ピューリッツァー賞受賞の劇作家であり脚本家であり監督というからスゴイ一家ですよね。
グレース・ケリーの母親はドイツ系で、アイビーリーグの1校でもある名門私立大学のペンシルベニア大学で体育を教えていたことがあるそうです。また、若い頃にはモデルもしていたというから、才色兼備ですね!
ちなみに、グレース・ケリーには兄、姉、そして妹がいましたので、4人兄弟姉妹ですね。
学生時代には、演劇とダンスの授業も受けていて、高校の卒業文集では、好きな女優としてイングリッド・バーグマンを、そして好きな俳優としてはジョセフ・コットンを挙げていたようです。
1948年(19才の年)
高校卒業後、数学の成績があまりよくなかったため、難関校であるベニントン大学に入学できなかったということもあり、グレース・ケリーは両親の反対を押し切り、ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技学校で演技を学び、舞台女優を目指します。
モデル業としては、モデル事務所に所属して虫除けスプレーやタバコのコマーシャルに従事したようです。また、演技面では俳優だった叔父にいろいろと相談にのってもらっていたとか。
この頃の住居は、父親の言いつけにしたがって、マンハッタンにあるバルビゾン・ホテルに3年ほど住んでいたようです。
ちなみに、グレース・ケリーが演技学校を卒業する際に演じた役は、フィリップ・バリー原作の戯曲「フィラデルフィア物語」のヒロイン役でした。
1949年(20才の年)
舞台「父」でブロードウェイ・デビュー。
共演は、映画「エデンの東」の父親約などで知られる俳優のレイモンド・マッセイでした。
また、この頃に映画「マーティ」などを監督したことでも知られるTVプロデューサーのデルバート・マンのテレビ番組にもキャスティングされて、テレビ番組に初出演しています。
1951年(22才の年)、
ハリウッドで映画デビュー。作品は「14時間の恐怖(Fourteen Hours)」。
グレース・ケリーの舞台を観た、映画「ナイアガラ」などの監督として知られるヘンリー・ハサウェイが、小さいながらもグレース・ケリーを配役します。
本作で、グレース・ケリーは、映画「熱い夜の疼き」や「重役室」などへの出演で知られる俳優のポール・ダグラスや、映画「道」や「白鯨」、TVドラマ「原子力潜水艦シービュー号」などで知られる俳優のリチャード・ベイスハート、そして映画「ママの想い出」やTV「ダラス」への出演で有名な女優のバーバラ・ベル・ゲデスなどと共演しています。
共演者からは、グレース・ケリーはとても気さくで協力的な女優だったと好評で、作品公開後には、早くも「グレース・ケリー・ファンクラブ」が設立され、アメリカ国内で人気を得ます☆
なお、この映画を撮影しているセットの現場で、人気俳優のゲイリー・クーパーに見初められてもいます。
1952年(23才の年)、
映画プロデューサーから、映画「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーの共演者としての出演オファーを受け、引き受けます!
本作でのケリーの演技自体は、あまり高い評価はあたえられませんでしたが、いきなり大スターのゲイリー・クーパーと共演できるなんて、すごいですよね♪
さらに、この作品でゲーリー・クーパーは2度目のアカデミー主演男優賞を受賞しました☆他にも、アカデミー音楽賞、歌曲賞、編集賞に輝き、1997年にアメリカ映画協会が選出した「アメリカ映画ベスト100」では第33位にランクインしました。
監督は、映画「地上より永遠に」や「尼僧物語」で有名なフレッド・ジンネマンで、脚本は映画「招かれざる客」で知られるスタンリー・クレイマーが担当。
ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーの他には映画「素晴らしき哉、人生!」や「駅馬車」「風と共に去りぬ」で有名なトーマス・ミッチェルなども出演しています。
ちなみに、日本語版のWikipediaによると、グレース・ケリーとゲーリー・クーパーには恋の噂があったようです。
また、この頃に、パラマウント映画社で衣装を担当していた有名ファッションデザイナーで16才ほど年上のオレグ・カッシーニと交際し、結局結婚にはいたりませんでしたが婚約までしていたようです。
1953年(24才の年)、
グレース・ケリーは、引き続き、ニューヨークで演技の勉強を続けながら、舞台やTVドラマなどに出演したり、映画のオーディションを受けたりしていました。
そんな折、彼女のことを知った大物映画監督のジョン・フォードが7年契約のオファーを持ちかけてきます。グレース・ケリーは、指定したマンハッタンにあるマンハッタンハウスというマンションに住まわせてもらうことなどを条件に、この契約を結び、映画での役をもらいます。
そして映画「モガンボ」にメインキャストの1人として出演。
本作は、アフリカ大陸にあるケニアの首都ナイロビで撮影されました。
監督は、映画「駅馬車」や「怒りの葡萄」「捜索者」などで知られるジョン・フォードで、共演は、映画「風と共に去りぬ」で有名な大スターのクラーク・ゲーブルでした!またもや人気俳優との共演ですね☆
ちなみに、もともとは先述のファッションデザイナー、オレグ・カッシーニの元妻でもあった女優ジーン・ティアニーが演じるはずだった役でしたが、彼女が直前に降板したため代わりにグレース・ケリーが引き受けることになったようです。
他にも、ヒロイン役には、当時フランク・シナトラの妻だった女優のエヴァ・ガードナーが出演しています。
本作で、グレース・ケリーは初のアカデミー助演女優賞にノミネートされました!(受賞は逃す)また、ゴールデングローブ賞で助演女優賞に輝くという快挙を成し遂げます!
なお他にも、エヴァ・ガードナーがアカデミー主演女優賞にノミネートされています。(受賞は逃す)
ちなみに、日本版Wikipediaによると、グレース・ケリーとクラーク・ゲイブルには恋の噂があったそうです。
また、映画「モガンボ」出演の後には、TVドラマシリーズ「The Philco Television Playhouse」の「The Way of an Eagle」というエピソードに出演して、フランスの人気俳優ジャン=ピエール・オーモンと共演しています。
日本版のWikipediaによると、こちらのジャン=ピエール・オーモンとも恋の噂があったようです。
1954年(25才の年)、
そしてこの年は人気映画への出演ラッシュとなります!
まずヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ!」にヒロインとして出演。
映画「ダイヤルMを廻せ!」では、映画「失われた週末」やTVドラマ「刑事コロンボ」のエピソード「悪の温室」での犯人役などで知られるレイ・ミランドと共演。
ちなみに、日本版Wikipediaによると、レイ・ミランドとは恋の噂があったようです。
さらに、もう1本のヒッチコック映画「裏窓」にも出演。
本作では、映画「素晴らしき哉、人生!」や「フィラデルフィア物語」の他ヒッチコックお気に入り俳優の1人としても有名なジェイムズ・スチュワートと共演しています。
なお、グレース・ケリーもヒッチコックのお気に入り女優だったので、本作はヒッチコックお気に入り俳優と女優が主演の作品ということになりますね!
ヒッチコックは、グレース・ケリーのことを「Grace Kelly is a snow covered volcano」(グレース・ケリーは、雪で覆われた火山だ)と表現しています。これは、グレース・ケリーの綺麗で白い、美しい見た目に隠された内面の情熱のことを言ってるんですかね~☆
実はヒッチコックは、「ダイヤルMを廻せ!」の撮影時に既にグレース・ケリーに映画「裏窓」の構想について話していて、グレースもその頃から出演することを半ば了承していたようです。そして、実際にマーロン・ブランド主演の映画「波止場」への出演オファーを断って、映画「裏窓」に出演しました。
参考までに、ヒッチコックのお気に入りは、俳優では共に4本のヒッチコック映画に出演したジェイムズ・スチュワートとケーリー・グラントで、女優では共に3本のヒッチコック映画に出演したグレース・ケリーとイングリッド・バーグマンでした。
グレース・ケリーは学生時代に憧れの女優としてイングリッド・バーグマンを挙げていましたから、ついに憧れの女優と同じくらい有名になれたということですね☆
さらに、同年には映画「喝采」にも出演しています。
監督は、映画「三十四丁目の奇蹟」や「聖処女」でも有名なジョージ・シートンで、
共演は、映画「我が道を往く」や「ホワイト・クリスマス」「上流社会」などで有名なビング・クロスビー、そして映画「第十七捕虜収容所」や「麗しのサブリナ」で有名なウィリアム・ホールデンです。
本作は非常に高い評価を得て、監督のジョージ・シートンがアカデミー脚本賞を受賞したほか、グレース・ケリーも、ついに初のアカデミー主演女優賞に輝きました!グレース・ケリーは、本作でゴールデン・グローブ賞 主演女優賞も受賞しています☆
ちなみに、日本語版のWikipediaによると、共演者したビング・クロスビーとグレース・ケリーの間には恋の噂があったようです。
また、本年には映画「トコリの橋」にも主演。
本作の原作はアメリカの作家ジェームズ・ミッチェナーの小説で、こちらの映画では、再びウィリアム・ホールデンと共演しています。
そうそう、日本版Wikipediaによれば、ウィリアム・ホールデンとも恋の噂があったそうです。
ここまでみてきたように、グレース・ケリーは共演者との恋の噂が絶えませんが、これは日本語版Wikipediaによると、厳格な父親に冷淡に育てられたためとしています。チャップリン並みの共演者キラーですよね(笑)
さらにもう1本、この年には映画「緑の火・エメラルド」にも出演しています。
監督は、映画「史上最大の作戦」の監督の1人としても知られるアンドリュー・マートンで、共演は、映画「灰色の男」や「情炎の女サロメ」で知られるイギリスの俳優スチュワート・グレンジャーでした。
1955年(26才の年)、
映画「泥棒成金」に出演して、3度目にして最期のアルフレッド・ヒッチコック監督映画でヒロインと務めました。
共演者は、ヒッチコック監督のお気に入り俳優の1人、ケーリー・グラントです。
なおケーリー・グラントは、後のインタビューで、「自身のキャリアを振りかえってみて、一番お気に入りだった女優は誰ですか?」という趣旨の質問をされて、「そうだな、イングリッド・バーグマンと言いたいところだけど、グレース・ケリーは最高だったね。彼女は心の静けさを持ち合わせているよ」というニュアンスの返答をしたそうです。
また、この年には、フランスで開催されたカンヌ国際映画際に出席。その際、モナコ大公宮殿にてモナコ公のレーニエ3世と出会っています。
1956年(27才の年)、
映画「白鳥」に出演。
監督は、映画「ギルダ」や「武器よさらば」「楽聖ショパン」などで知られる、ハンガリー生まれのハリウッドで活躍した監督のチャールズ・ヴィダーで、
共演は、映画「戦場にかける橋」や「アラビアのロレンス」で有名なオスカー俳優のアレック・ギネスです。アレック・ギネスと言えば、映画「スター・ウォーズ」シリーズでオビ=ワン・ケノービ役を演じたイギリス俳優としても知られていますね。
また、共演者には、映画「007/オクトパシー」や「恋の手ほどき」「ボヴァリー夫人」などで知られるフランス人俳優のルイ・ジュールダンもいました。ルイ・ジュールダンは、TVドラマ「刑事コロンボ」シリーズの「美食の報酬」というエピソードで犯人役を演じた俳優としても知られていますね。
さらに本年は、映画「上流社会」にも出演。
これがグレース・ケリーが女優として最後に出演した映画作品となりました。
この作品は、ブロードウェイ作品を映画化した、キャサリン・ヘプバーン、ジェイムズ・スチュワート、ケーリー・グラント主演の映画「フィラデルフィア物語」を、さらにミュージカル映画にリメイクした作品となります。
監督は、映画「ブロードウェイのバークレー夫妻」や「イースター・パレード」などで知られるチャールズ・ウォルタースで、
共演者は、映画「我が道を往く」で知られ「喝采」でも組んだビング・クロスビー、そして、映画「地上より永遠に」や「踊る大紐育」「オーシャンと十一人の仲間」などで有名な歌手で俳優のフランク・シナトラがいました。
また、映画「紳士協定」や「イヴの総て」などで有名なオスカー女優のセレステ・ホルムも出演。
さらに、アメリカの伝説的なジャズトランペット奏者として有名なルイ・アームストロングも本人役で登場しています。
そして、この年、私生活では、昨年カンヌで出会ったモナコ大公と結婚すること発表します!
1月に婚約発表して、4月にモナコ大公宮殿で挙式(The Civil Wedding)、さらに翌日にはモナコ大聖堂でカトリック式の挙式を挙げました。ヨーロッパ諸国で生中継され、推定3,000万人の人がTVで観たと言われています。
ハネムーンは7週間におよび地中海をモナコ大公所有のヨットで回ったそうです。
結婚生活では、一男二女の合計3人の子供に恵まれています。
また、女優業からは遠ざかり、公務や公妃として、孤児院や芸術振興基金、モナコ赤十字など、さまざまな慈善事業にも積極的に参加していたそうです。
余談ですが、グレース・ケリーは日本文化も好きで、華道や日本庭園を好んでいたそうですよ。
1957年(28才の年)、
マスコミに妊娠をさとられないようにと、エルメスのバッグ「サック・ア・クロワ」でお腹を隠したことでこのバッグは有名になり、エルメスによって商品名も「ケリーバッグ」に改名されました!
1月に長女を出産しています。
1958年(29才の年)、
3月に長男を出産しています。
1962年(33才の年)、
アルフレッド・ヒッチコック監督は、公妃になったグレースをなんとか女優業に復帰させようと自身の映画「マーニー」のヒロイン役をオファーしています。
グレース・ケリーも最初は乗り気だったようですが、演じる役柄が盗癖のある女性ということなどもあり、モナコ国内からも反対する声があがったため、再考の結果、オファーを辞退したとのことです。
結局のこの作品の主演は、ティッピ・ヘドレンとショーン・コネリーが務め1964年に公開されました。
だいぶ余談ですが、ティッピ・ヘドレンという女優は、ヒッチコック映画「鳥」のヒロインでも有名ですね。彼女の娘も女優のメラニー・グリフィスで、映画「ワーキング・ガール」で主演を務めました。さらに、メラニーの娘も女優で、映画「フィフティ・シェイズ」シリーズで知られるダコタ・ジョンソンですね!
また、映画監督のハーバート・ロスも、自身の代表作となる映画「愛と喝采の日々」への出演をオファーして、グレース・ケリーを映画界へ復帰させようと試みました。
しかし、こちらのオファーは夫のモナコ大公レーニエによって棄却されたようです。こちらの作品には、シャーリー・マクレーンやアン・バンクロフトなどが出演しています。
グレース・ケリーは、その後も本格的に女優復帰することはなく、TV映画「悪のシンフォニー」(リタ・ヘイワースなどが出演)などのナレーションを務めるにとどまりました。
1965年(36才の年)、
2月に3人目の子供である次女を出産しています。
1976年(47才の年)、
20世紀FOXの理事の1人に就任。初の女性委員だったとのことです。
1979年(50才の年)、
夫のレーニエと一緒に、33分間のインディペンデンス短編映画を製作。この作品に、米放送局のABCが興味を示したため、追加のシーンを加えて1時間ものにしてくれたらテレビ放映してもいいという話になっていたそうです。
しかしながら、結局は追加のシーンを撮影する以前の1982年にグレース・ケリーが亡くなってしまったことでお蔵入りとなってしまったそうです。観てみたいですね!
1980年(51才の年)、
花についての本「My Book of Flowers」を出版。
1982年(53才の年)、
9月13日、自動車(イギリスの高級車 1971年型 ローバー P6 3500)を運転中に脳溢血を起こし、崖から車ごと転落。約37メートルも下に落下したそうです。
病院搬送後、翌日の9月14日に死去。誕生日前だったので享年52才で生涯の幕を閉じました。
ちなみに同乗していたグレース・ケリーの娘は当時17才でしたが、脳しんとうと軽い骨折で済んだため2週間後には退院しましたが、入院中だったため、9月18日に行われた母親のグレース・ケリーの葬儀には出席できませんでした。
葬儀には、ケーリー・グラントやダイアナ妃、当時のファースト・レディーだったナンシー・レーガンなどが参列したとのことです。
1994年(死後12年)、
グレース・ケリーを偲び、モナコに日本庭園が作られました。庭園内の茶室の名前は「Jardin de Grace」
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