ジュディ・ガーランド
Judy Garland
生年月日:1922年6月10日 アメリカ合衆国ミネソタ州グランド・ラピッズ
没年月日:1969年6月22日(享年47才:英国ロンドン)
代表作:
「オズの魔法使」(監督:ヴィクター・フレミング)
「若草の頃」(監督:ヴィンセント・ミネリ)
「イースター・パレード」(共演:フレッド・アステア)
「サマー・ストック」(共演:ジーン・ケリー)
「スタア誕生」(監督:ジョージ・キューカー)
受賞歴:
・アカデミー子役賞(「オズの魔法使」「青春一座」)
・ゴールデングローブ賞 女優賞(「スタア誕生」)、セシル・B・デミル賞
・グラミー賞 最優秀アルバム賞、最優秀歌唱賞(Judy at Carnegie Hall)、特別賞
・トニー賞 特別賞
結婚歴:
・英国出身の作曲家デヴィッド・ローズ(19~22才の年:離婚)
・米国の映画監督ヴィンセント・ミネリ(23~29才の年:離婚)
・ショービジネスのスポンサー・プロデューサー(30~43才の年:離婚)
・米国の俳優(43~47才の年:離婚)
・米国のミュージシャンで起業家(47才の年:死別)
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天才子役にして、一流ダンサーで女優、そしてグラミー受賞のJAZZシンガー
現代でも、なお大勢のファンがいる伝説的女優ジュディ・ガーランドについて、あなたはどんなイメージを持ってますか?
ジュディ・ガーランドといえば、天才子役としてアカデミー子役賞を受賞。引き続き、大人になってからも、踊れて歌える女優として、人気女優であり続けました。
当時の2大人気ミュージカル俳優だった、フレッド・アステアとジーン・ケリーの2人ともと共演を果たしている6人の女優のうちの1人でもあります。(ほかはリタ・へイワースやデビー・レイノルズなど)
さらに、ジャズシンガーとしても、ロンドンやニューヨークでのステージ活動を通して大成功を収めていて、女優でありながら、歌手としてグラミー賞を受賞しています♪
ちなみに、女性として初めてグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞したのは、ジュディ・ガーランドになりますし、さらに、セシル・B・デミル賞を女性で初めて受賞したのも彼女になります。
その他にも、ゴールデングローブ賞女優賞や、トニー賞まで受賞していて、本当にマルチな才能の持ち主と言えるでしょう。
芸能一家に生まれ、小さな頃から舞台に立ち歌って踊る生活をしていた、まさに、生まれながらのエンターテイナーですね。
残念なのは、47才という若さで亡くなってしまっている点。マリリン・モンロー(享年36才)同様、非常に悔やまれます。
そんなジュディ・ガーランドは、アメリカ映画協会(AFI)が選出した「映画スター ベスト100」で第8位にランクインしています☆(ちなみに、1位はキャサリン・ヘプバーン、2位はベティ・デイヴィス、3位はオードリー・ヘプバーン)
ほぼ全出演作品リスト
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1936年(14才の年) 映画「Every Sunday」(共演:ディアナ・ダービン)
1936年(14才の年) 映画「Pigskin Parade」(監督:デイヴィッド・バトラー、共演:ジャック・ヘイリー、ベティ・グレイブル)
1937年(15才の年) 映画「Broadway Melody of 1938(踊る不夜城)」(共演:ロバート・テイラー、エレノア・パウエル)
1937年(15才の年) 映画「Thoroughbreds Don't Cry」(監督:アルフレッド・E・グリーン、共演:ミッキー・ルーニー)
1938年(16才の年) 映画「Everybody Sing」(監督:エドウィン・L・マリン、共演:ビリー・バーク、アラン・ジョーンズ他)
1938年(16才の年) 映画「Love Finds Andy Hardy(初恋合戦)」(共演:ミッキー・ルーニー、ラナ・ターナー)
1938年(16才の年) 映画「Listen, Darling(リッスン、ダーリン)」(共演:フレディ・バーソロミュー、メアリー・アスター他)
1939年(17才の年) 映画「The Wizard of Oz (オズの魔法使)」(監督:ヴィクター・フレミング、共演:フランク・モーガン他)
1939年(17才の年) 映画「Babes in Arms (青春一座)」(監督:バスビー・バークレー、共演:ミッキー・ルーニー)
1940年(18才の年) 映画「Andy Hardy Meets Debutante」(監督:ジョージ・B・サイツ、共演:ミッキー・ルーニー)
1940年(18才の年) 映画「Strike Up the Band」(監督:バスビー・バークレー、共演:ミッキー・ルーニー)
1940年(18才の年) 映画「Little Nellie Kelly」(監督:ノーマン・タウログ、共演:ジョージ・マーフィ)
1941年(19才の年) 映画「Ziegfeld Girl (美人劇場)」(ロバート・Z・レナード、ジェームズ・ステュアート、ラナ・ターナー)
1941年(19才の年) 映画「Life Begins for Andy Hardy(二人の青春)」(監督:ジョージ・b・サイツ、共演:ミッキー・ルーニー)
1941年(19才の年) 映画「Babes on Broadway」(ミッキー・ルーニー、ドナ・リード、マーガレット・オブライエン他)
1942年(20才の年) 映画「For Me and My Gal」(監督:バスビー・バークレー、共演:ジーン・ケリー)
1943年(21才の年) 映画「Presenting Lily Mars」(共演:ヴァン・ヘフリン、フェイ・ベインター)
1943年(21才の年) 映画「Thousands Cheer(万雷の歓呼)」(ジーン・ケリー、キャスリン・グレイソン、ミッキー・ルーニー)
1943年(21才の年) 映画「Girl Crazy (ガール・クレイジー)」(監督:ノーマン・タウログ、共演:ミッキー・ルーニー)
1944年(22才の年) 映画「Meet Me in St. Louis(若草の頃)」(監督:ヴィンセント・ミネリ、共演:マーガレット・オブライエン)
1945年(23才の年) 映画「The Clock」(監督:ヴィンセント・ミネリ、共演:ロバート・ウォーカー)
1945年(23才の年) 映画「ジーグフェルド・フォリーズ」(共演:フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ルシル・ボール他)
1946年(24才の年) 映画「ハーヴェイ・ガールズ」(共演:アンジェラ・ランズベリー、レイ・ボルジャー他)
1946年(24才の年) 映画「Till the Clouds Roll By (雲流るるはてに)」(共演:ロバート・ウォーカー、フランク・シナトラ他)
1948年(26才の年) 映画「The Pirate(踊る海賊)」(監督:ヴィンセント・ミネリ、共演:ジーン・ケリー他)
1948年(26才の年) 映画「Easter Parade (イースター・パレード)」(共演:フレッド・アステア、アン・ミラー他)
1948年(26才の年) 映画「Words and Music (ワーズ&ミュージック)」(共演:ジーン・ケリー、ミッキー・ルーニー他)
1949年(27才の年) 映画「In the Good Old Summertime(グッド・オールド・サマータイム)」(バスター・キートン他)
1950年(28才の年) 映画「Summer Stock (サマー・ストック)」(監督:チャールズ・ウォルタース、共演:ジーン・ケリー他)
1954年(32才の年) 映画「A Star Is Born (スタア誕生)」(ジョージ・キューカー監督、ジェームズ・メイソン他)
1960年(38才の年) 映画「Pepe (ペペ)」(声の出演のみ。監督:ジョージ・シドニー、共演:カンティンフラス)
1961年(39才の年) 映画「Judgment at Nuremberg(ニュールンベルグ裁判)」(共演:スペンサー・トレイシー他)
1962年(40才の年) 映画「Gay Purr-ee」(声優として参加。エイヴ・レヴァイトーのミュージカル・アニメ作品)
1962年(40才の年) TV「The Judy Garland Show」(ミュージカル・バラエティ番組)
1963年(41才の年) 映画「A Child Is Waiting (愛の奇跡)」(監督:ジョン・カサヴェテス、共演:バート・ランカスター他)
1963年(41才の年) 映画「I Could Go On Singing」(監督:ロナルド・ニーム、共演:ダーク・ボガード他)
1963年(41才の年) TV「The Judy Garland Show」(ミュージカル・バラエティ番組)
1964年(42才の年) TV「The Judy Garland Show」(ミュージカル・バラエティ番組)
1996年(死後に発売) コンサートDVD「Judy Garland: The Concert Years」
オーナー厳選作品のご紹介
ジュディ・ガーランド出演映画の中から、当サイトのオーナーがオススメする作品を、何本かご紹介します☆
まずは、映画「オズの魔法使」(1939:The Wizard of Oz)です!
ジュディ・ガーランドが17才の年に公開された作品。もう言わずもがなのミュージカル映画の中でも名作中の名作ですね!
知恵と、勇気と、そして心を求めて旅をするという、普遍的な真実の映画です。子供から大人まで楽しんで見られる作品。私も大好きな1本で、ことあるごとに観ては元気をもらっています。
劇中、ジュディ・ガーランドが歌う「虹の彼方に (Over The Rainbow)」は、めちゃくちゃ有名な1曲です♪
この頃のジュディ・ガーランドは一番可愛いですよね☆必見です!
原作は、アメリカの児童文学作家、ライマン・フランク・ボームの童話になります。
監督は、映画「風と共に去りぬ」で有名なヴィクター・フレミングで、
共演には、映画「巨星ジーグフェルド」などで知られるフランク・モーガンほか、ブロードウェイの興行王フローレンツ・ジーグフェルドの妻としても知られるビリー・バークなども出演しています。
そして、製作は映画「心の旅路」や「哀愁」などで知られる映画監督のマーヴィン・ルロイが務めました。
ちなみに、この映画は、現実の世界はモノクロで、魔法の国はカラー映像になっているという面白い手法が使われているのも見所の1つです。
なんと、本作は2022年11月現在、アマゾンのプライム・ビデオで視聴できました。プライム会員は無料で観放題です。私もプライムビデオで観ましたよ☆
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2作目は、映画「若草の頃」(1944:Meet Me in St. Louis)です!
ジュディ・ガーランドが22才の年に公開された作品。
この作品には感動したなぁ~!ジーンと胸が熱くなる本当に大好きな良い作品☆古き良きアメリカの家族を描いた物語になっています。似たタイトルで「若草物語」というのも有名ですが、個人的には「若草の頃」の方が好きです。
ジュディ・ガーランドの歌う劇中歌の「Have Yourself a Merry Little Christmas」(上の動画 真ん中)は、今でも人気のクリスマスソングの定番となりましたね♪
監督は、映画「恋の手ほどき」でアカデミー監督賞を受賞したヴィンセント・ミネリ。
ヴィンセント・ミネリは、本作でジュディ・ガーランドと出逢い翌年に2人は結婚して、娘のライザ・ミネリも誕生しました。
共演は、なんと言っても本作でアカデミー子役賞に輝いた人気子役のマーガレット・オブライエンが名演で印象的でした!
そのほかにも、四姉妹の母親役には、映画「偉大な嘘」でアカデミー助演女優賞に輝いたメアリー・アスター、複数の作品でジュディ・ガーランドと共演しているルシル・ブラマー、TVドラマシリーズ「名犬ラッシー」で知られるジューン・ロックハートなどが出演しています。
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3作目は、映画「サマー・ストック」(1950:Summer Stock )です!
ジュディ・ガーランドが27才の年に公開された作品。
ジーン・ケリーと共演したミュージカル映画になりますが、個人的には、ジーン・ケリーと共演した作品の中で一番好きな作品です!
ジュディ・ガーランドは、当時の2大人気ミュージカル俳優だった、フレッド・アステアとジーン・ケリーの2人両方と共演を果たした6人の女優のうちの1人でもあります。(他はリタ・へイワースやデビー・レイノルズなど)
コメディとしてもゲラゲラ笑える内容で、かつ、ジュディが歌う「Get Happy」はジャズのスタンダードナンバーとして今でも歌われている人気曲となりましたね♪
監督は、映画「イースター・パレード」や「上流社会」「恋の手ほどき」などで知られるチャールズ・ウォルタースで、共演には他にも、映画「カバー・ガール」などで知られるフィル・シルヴァースや、映画「芸人ホテル」などで知られるグロリア・デ・ヘイヴンなども出演しています。
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4作目は、映画「イースター・パレード」(1948:Easter Parade)です!
ジュディ・ガーランドが25才の年に公開された作品。
共演は、フレッド・アステアです!
ジュディ・ガーランドは、当時の2大人気ミュージカル俳優だった、フレッド・アステアとジーン・ケリーの2人両方と共演を果たした6人の女優のうちの1人でもあります。(他はリタ・へイワースやデビー・レイノルズなど)
ちなみに、本作には最初、ジーン・ケリーが主演を務めるはずでしたが骨折をしてしまったために、フレッド・アステアが代役を務めました。なお、当時、フレッド・アステアはすでに引退宣言をしていたのですが、ジーン・ケリーが直接依頼したこともあり2年ぶりの映画復帰をしたとか。
ほかには、映画「踊る大紐育」や「マルホランド・ドライブ」で知られるアン・ミラーなども出演しています。
監督は、映画「イースター・パレード」や「上流社会」などで知られるチャールズ・ウォルタースです。
本作はアカデミー編曲賞を受賞しています。とっても、スマートでやっぱりフレッド・アステアは品がありますよね!そして、ジュディ・ガーランドはパワフルなジーン・ケリー、華麗なフレッド・アステアの両方としっかり共演できちゃうスゴイ女優だなぁと改めて感じた1本です☆
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上記に挙げた以外にも、ジュディ・ガーランド出演のオススメ映画がたくさんありすぎるので、あと5本だけここで箇条書きにして紹介しておきます(笑)
1954年(31才の年) の映画「スタア誕生 (A Star Is Born)」
監督は映画「マイ・フェア・レディ」や「フィラデルフィア物語」で知られるジョージ・キューカーで、
ジュディ・ガーランドは本作でゴールデングローブ賞 主演女優賞に輝きました!
また、共演者のジェームズ・メイソンも、ゴールデングローブ賞 主演男優賞を受賞しています。
本作はもう、何度もリメイクされている名作ですね☆
1946年(24才の年) の映画「ハーヴェイ・ガールズ」
本作はたくさんの女性たちがパワフルに生きる姿を描いていて、観ているだけで元気をもらえます♪また、コメディとしても面白くて、ゲラゲラ笑えるシーンも多いですよ。共演は、人気TVシリーズ「ジェシカおばさんの事件簿」で有名なアンジェラ・ランズベリーなどです!
1941年(19才の年) の映画「美人劇場 (Ziegfeld Girl)」
監督は映画「高慢と偏見」で知られるロバート・Z・レナードで、共演者には、なんと映画「素晴らしき哉、人生!」や「スミス都へ行く」などで知られるジェームズ・ステュアートや、映画「ジキル博士とハイド氏」や「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で知られるラナ・ターナーなどがいます!
本当に豪華なキャスティングに加えて、タイトルどおり美人がたくさんいる劇場シーンに圧巻されますよ(笑)
1937年(15才の年) の映画「踊る不夜城 (Broadway Melody of 1938)」
主演は、映画「哀愁」への出演やバーバラ・スタンウィックの元夫としても知られるロバート・テイラーと、映画「踊るニューヨーク」への出演やタップの女王として有名なエレノア・パウエルなのですが、ジュディ・ガーランドもキャンディを持った一見おバカに見える少女だけど、実は歌って踊れるスゴすぎる子役としてちょこっと登場していて、とっても可愛いですよ♪
1946年(24才の年) の映画「雲流るるはてに (Till the Clouds Roll By)」
この作品はもう内容が素晴らしくて感動的だったので紹介しました。ジュディ・ガーランドは劇中に少しだけ登場する大スターのマリリン・ミラー役を演じています!マリリン・ミラーといえば、1920年代にトップミュージカルスターとして君臨した人気女優で、実はマリリン・モンローという芸名はこの女優にあやかってつけられました。
本作には、映画「君去りし後」や「愛の調べ」などで知られるロバート・ウォーカーのほか、映画「若草の頃」などで知られるルシル・ブラマーや、映画「オーシャンと十一人の仲間」や「地上より永遠に」などで知られる歌手で俳優のフランク・シナトラなども登場しています♪
ちなみに「スタア誕生」以外の上記4作品は、2022年11月現在、アマゾンのプライム・ビデオで視聴できました!プライム会員は無料で観放題です。私もプライムビデオで観ましたよ☆
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このコーナーで紹介しきれなかった膨大な数の映画やTVドラマについては、下記にある予告編動画の紹介コーナーで探してみてくださいね!
ざっくりと生い立ちをご紹介
1922年6月10日、アメリカ合衆国ミネソタ州グランド・ラピッズ生まれ
本名は、フランシス・エセル・ガムで、3人姉妹の末っ子です。
両親は2人ともヴォードヴィリアンで、映画劇場を運営していたようです。
1924年(2才の年)、舞台デビュー
早くも、実家でもある映画劇場で、家族と一緒に舞台へあがり、「ジングル・ベル」のコーラスを披露しています。
その後も3姉妹で数年に渡りこの劇場でパフォーマンスを披露。ちなみに、その際には母親がピアノで伴奏を弾いていたそうです。
1926年(4才の年)、カリフォルニア州ランカスターへ引越し
父親が同性愛者であるという噂をたてられ、一家でカリフォルニア州ランカスターという場所へ引越します。
ここでも、父親は劇場を購入し、運営をスタート。
そして、母親は娘たちマネージャーとして、彼女達を映画業界へ進出させようと動き出します。
1928年(6才の年)、
ジュディ・ガーランドは姉たちと3姉妹で「The Gumm Sisters(ザ・ガム・シスターズ)」という名前でダンススクールに入ります。
ちなみに、このダンス学校はエセル・メグリンという映画監督が運営していたのですが、エセル・メグリンは、「メグリン・キディーズ」という16才までの子供たちだけで構成されるパフォーマンス劇団も主催していたようです。
この劇団のメンバーがスゴくて、ジュディ・ガーランドをはじめ、ミッキー・ルーニー、アン・ミラー、そしてシャーリー・テンプルなどそうそうたる顔ぶれです!
1929年(7才の年)、映画デビュー
短編映画「The Big Revue」で映画デビューを果たします。
この作品の中で、姉妹は「That's the Good Old Sunny South」という曲を歌って踊りました。
1930年(8才の年)、
姉妹でワーナー・ブラザースの3本の短編映画に出演。
その後、姉妹で巡回ツアーなどもこなすようになります。
1934年(12才の年)、
グループ芸名を「ザ・ガム・シスターズ」から「ザ・ガーランド・シスターズ」に変更します。
名前の由来には諸説あるようですが、この年に公開されたハワード・ホークス監督の映画「特急二十世紀」で、キャロル・ロンバードが演じていた役名リリー・ガーランドに由来しているという説などがあるようです。
また、個人名のフランシスも、ジュディに変更。こちらは当時人気があったホーギー・カーマイケルという作曲家の歌「ジュディ」からインスパイアされたものだとか。
1935年(13才の年)、
姉妹でMGMの短編カラー映画「La Fiesta de Santa Barbara」に出演。
また、この頃にMGM社の共同創始者のルイス・B・メイヤーが、ある作曲家にガーランド・シスターズの劇を観に行って、どんな様子だったか教えてくれないかと依頼。その数日後にはジュディ・ガーランドと父親はMGMのオーディションを受けることになります。
オーディションでジュディは「Zing! Went the Strings of My Heart」などを披露したとか♪MGMはすぐにジュディ・ガーランドと契約を結びます。
ですが、実のところ、子役としては年上だし、大人の役を演じるには若すぎるということで、ジュディにどんな配役をするかは、この当時まだまったく見当が付いてなかったみたい(笑)
ジュディ・ガーランドはMGMの演技スクールへ、エヴァ・ガードナーや、ラナ・ターナー、そしてエリザベス・テイラーなどと一緒に通ったとのこと。
なお本年に、姉妹グループの1人が結婚することになり、ザ・ガーランド・シスターズは解散しているようです。
さらに、この年には、父親が髄膜炎(ずいまくえん)で亡くなってしまい、大変なショックを受けます。
1936年(14才の年)、
ミュージカル短編映画「Every Sunday」に出演して、映画「天使の花園」や「オーケストラの少女」で知られる女優ディアナ・ダービンと共演。
1937年(15才の年)、クラーク・ゲーブルへバースデーソングを捧げて大喝采
ジュディ・ガーランドは、なんとMGM社が開催した人気スターのクラーク・ゲーブルの36才を祝う誕生パーティーの席で、クラーク・ゲーブルに向かって、「You Made Me Love You (I Didn't Want to Do It)」という歌を披露して、大喝采を浴びます。
そして、このことが転じて、映画「踊る不夜城(Broadway Melody of 1938)」に出演!作中でも、映画スターのクラーク・ゲーブルに憧れている少女という設定で、クラーク・ゲーブルの写真に向かって同曲を披露しています。
本作では、アメを片手に持った一見おバカな少女が実は素晴らしエンターテイナーだったという役柄を演じていて、個人的には可愛らしくて好きです(笑)
ちなみに、この映画の主演は、映画「哀愁」への出演やバーバラ・スタンウィックの元夫としても知られるロバート・テイラーと、映画「踊るニューヨーク」への出演やタップの女王として有名なエレノア・パウエルでした。
監督は、映画「踊るブロードウェイ」や「踊るアメリカ艦隊」「五番街の出来事」などで知られるロイ・デル・ルースです。
また、この年に映画「Thoroughbreds Don't Cry」へ出演して、初めてミッキー・ルーニーと共演。
ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーは名コンビとして、10作品もの映画で共演して、大ヒットを連発しました!
ミッキー・ルーニーといえば、オードリー・ヘプバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」で日系アメリカ人のユニオシ役を演じたことが強烈に印象に残っていますが、可愛らしくて爽やかな子役として有名になった俳優なんですよね(笑)
1938年(16才の年)、ミッキー・ルーニーと名コンビに
映画「初恋合戦(Love Finds Andy Hardy)」に出演して、名コンビのミッキー・ルーニーと2度目の共演。
この作品は大ヒットを記録して、2人のコンビは「backyard musicals(裏庭ミュージカル)」などと呼ばれるようになります。
また、この作品には、映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で有名な、当時17才前後だった人気女優のラナ・ターナーなども出演しています。
1939年(17才の年)、名作「オズの魔法使」で大ブレイク!
映画「オズの魔法使 (The Wizard of Oz)」に主演!
本作はジュディ・ガーランドの代表作であると同時に、ミュージカル映画の代名詞とも言うべき名作中の名作です!
ジュディ・ガーランドはこの作品でアカデミー子役賞を受賞して、一気に人気スターとなります。
ちなみに、このアカデミー子役賞は史上12人の子役に授与されましたが、1961年の授与以降は授与されておらず、現在は廃止されたようです。ジュディ・ガーランドは、シャーリー・テンプル、ディアナ・ダービン、ミッキー・ルーニーに続く4人目の受賞者でした。
ジュディ・ガーランドが歌った劇中歌「Over the Rainbow」(虹の彼方に)は世界的に有名で、今でも歌い継がれる名曲でありながら、ジュディ・ガーランドの代表作としても知られています♪
監督は、本作や映画「風と共に去りぬ」で知られるヴィクター・フレミングで、共演には、ブロードウェイの興行王フローレンツ・ジーグフェルドの妻として有名な女優のビリー・バークなども出演しています。
原作は、アメリカの児童文学作家ライマン・フランク・ボームの童話になります。
この映画は、私も大好きで、いつ観ても元気と勇気をくれる1本です。オススメ!
余談ですが、最初ジュディが演じたドロシーの役は、映画「テンプル」ちゃんシリーズで知られる、ジュディよりも6才ほど年下のシャーリー・テンプルが配役される予定だったようです。
それと、本作の撮影は1938年10月13日から始まり、1939年3月16日までかかり、製作費としては当時の約2億円(Wikipediaによると2021年現在に換算して約39億円)以上で、さらにプロモーション費用なども合わせると、なんと総額約4億円(Wikipediaによると2020年現在に換算して約60億円)くらいはかかってしまったとのことです。
評論家からは高評価を得られましたが、利益はといえば、費用がかかりすぎて1940年代に再上映されるまでは、それほど稼げ出せなかったようです。
たしかに、たくさんのエキストラも登場すると、オズ国でのシーンは全てカラーで、現実の世界では全てモノクロという凝りに凝った演出もなされていて、大掛かりなセットが組まれていますからね!
映画「青春一座 (Babes in Arms)」に出演。
本作は、初めてジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーの2人が主演を務めた作品になります。
監督は、映画「ゴールド・ディガーズ」や「私を野球につれてって」などで知られるバスビー・バークレーでした。
主演のジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーの2人は、本作のプロモーションのために全国を巡ったそうです。
なおWikipediaによると、ジュディは後年、当時の子役スターたちは、スタジオから、多忙なスケジュールを乗り切るようにとアンフェタミンという刺激薬を処方されて、さらに、眠る前には睡眠薬としてバルビツール酸系を渡されていたと述懐しています。また、そのことが後々、ドラッグ依存にもつながってしまい生涯苦しんでしまうハメになったと憤慨していたようです。
いかし、一方でミッキールーニーは、これを否定して、MGM社は何も処方を促したりしなかったため映画スタジオに責任はないと語っていたようです。
また、映画スタジオはジュディ・ガーランドに対して常にダイエットを要求して、ある時などは、レタス1皿とスープ一杯のみを食事としてとらせようとしたこともあったとか。
そして、ジュディ・ガーランドはあれほど映画や音楽で世界的な大成功を収めながら、生涯にわたって自信喪失の状態であったと言われています。彼女が抱えていた精神的なプレッシャーは、本当に想像もできないくらい重いものだったんでしょうね。。。
1940年(18才の年)、
この年には、2作の映画でミッキー・ルーニーと共演します。
1作目は、映画「初恋合戦」でもタッグを組んだジョージ・B・サイツ監督の映画「Andy Hardy Meets Debutante」。
2作目は、映画「私を野球につれてって」などで知られるバスビー・バークレー監督の映画「Strike Up the Band」です。
また、映画「Little Nellie Kelly」にも出演して、初めて大人の女性役を演じています。
監督は、映画「スキピイ」でアカデミー監督賞を受賞したノーマン・タウログで、共演は、映画「踊るニュウ・ヨーク」や「踊る不夜城」などで知られるジョージ・マーフィでした。
また、この頃にはジャズ・クラリネット奏者でラナ・ターナーの元夫としても知られるアーティ・ショウと恋仲にあったといわれているようです。
しかし本年に、アーティー・ショウは結局、女優ラナ・ターナーと結婚してしまいます。
その後、ジュディ・ガーランドは音楽家のデヴィッド・ローズと交際をスタートして、デイヴィッド・ローズは、ジュディ・ガーランドの18才の誕生日に婚約指輪をプレゼントしています。
ただ、実はこの時はまだデヴィッド・ローズが戸籍上は結婚していたためにスタジオから離婚成立まで待つよう忠告されたみたいです。ちなみに、この時デヴィッド・ローズと結婚していたのは、チャップリン映画「殺人狂時代」で知られる女優マーサ・レイですよ。
ちなみに、恋仲になったどちらの男性もジュディ・ガーランドよりも10才以上年上です。
1941年(19才の年)、ミュージシャンと結婚
7月27日に離婚が成立したデイヴィッド・ローズと満を持して結婚します。
Wikipediaによると、その後、妊娠もするも、母親とスタジオから反対されて中絶をしているようです。
映画「美人劇場 (Ziegfeld Girl)」に出演。
監督は、映画「巨星ジーグフェルド」や「高慢と偏見」で知られるロバート・Z・レナードで、
ジュディ・ガーランドは若手スターの役を演じました。
また、主演としては、映画「素晴らしき哉、人生!」や「スミス都へ行く」などで知られるジェームズ・ステュアートと、映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で知られるラナ・ターナーでした。
さらに、ミッキー・ルーニーとも2作で共演しています。
1作目は、映画「初恋合戦」でもタッグを組んだジョージ・b・サイツ監督の映画「二人の青春 (Life Begins for Andy Hardy)」で、
2作目は、映画「Babes on Broadway」になります。
共演は、映画「黒蘭の女」などで知られるオスカー女優のフェイ・ベインターで、そのほかにも、実はエキストラとして、映画「地上より永遠に」や「素晴らしき哉、人生!」などで知られるドナ・リードと、映画「若草の頃」や「若草物語」などで知られるマーガレット・オブライエンが出演しています。
1942年(20才の年)、ジーン・ケリーと共演!
映画「For Me and My Gal」に出演して、大人気ダンサーで俳優のジーン・ケリーと共演を果たします!
とはいえ、実は当時30才前後で、すでにブロードウェイのスターでもあったジーン・ケリーにとっては、この作品が映画デビューとなります。ジュディ・ガーランドとは仲が良く、息のあった演技ができたようです。
ジュディ・ガーランドとジーン・ケリーは、この後も5本の映画で共演しています。
監督は、映画「私を野球につれてって」などで知られるバスビー・バークレーでした。
1943年(21才の年)、
1月に音楽家のデヴィッド・ローズと別居を開始。
また、この頃にWikipediaによると、既婚者の俳優タイロン・パワーと恋仲になり妊娠するも中絶したようです。
本年には、映画「Presenting Lily Mars」に出演。共演は、映画「シェーン」などで知られるオスカー俳優のヴァン・ヘフリンや、映画「黒蘭の女」などで知られるオスカー女優のフェイ・ベインターです。
この頃のジュディ・ガーランドは大人っぽい衣装などを着せてもらい、美しい1人の女性として登場してはいたものの、いまだに子役時代の「girl-next-door(となりの女の子)」というイメージが強く、なかなか払拭できずにいたようです。
あと前年に引き続き、映画「万雷の歓呼(Thousands Cheer)」に出演して、再びジーン・ケリーと共演しています。
ただ、この映画は第二次世界大戦中のアメリカ軍の士気を高めるために制作された映画で、ジュディ・ガーランドはゲスト出演のみとなっています。
監督は、映画「ショウ・ボート」や「夜の豹」などで知られるジョージ・シドニーで、様々な映画スターたちがゲスト出演を果たしています。
一部を挙げておくと、ミッキー・ルーニー、ルシル・ボール、ドナリードなどがゲスト出演しました。
また、この年にも、ミッキー・ルーニーと映画「ガール・クレイジー (Girl Crazy)」で共演しています。
1944年(22才の年)、大ヒット映画「若草の頃」に出演&離婚
1番目の夫、音楽家のデヴィッド・ローズと離婚。
映画「若草の頃(Meet Me in St. Louis)」に出演して、大ヒット!
本作の中でジュディ・ガーランドは、オリジナル曲の「The Trolley Song」, 「The Boy Next Door」、そして現在でも大変人気のクリスマスナンバー、「Have Yourself a Merry Little Christmas」などを歌っています♪
監督は、映画「恋の手ほどき」や「巴里のアメリカ人」などで知られるヴィンセント・ミネリで、
共演は、本作でアカデミー子役賞を受賞したマーガレット・オブライエンや、映画「偉大な嘘」や「マルタの鷹」などで知られるメアリー・アスター、そして人気テレビシリーズ「名犬ラッシー」への出演で知られるジューン・ロックハートなどが出演しています。
この映画は、内容も最高で、アメリカ映画協会(AFI)が選出した「ミュージカル映画ベスト100」で第10位にランクインしています。私も大好きな1本です!古き良きアメリカの家族愛に感動できますよ。
あと、余談ですが、本作でジュディ・ガーランドのメイクを担当したメイクアップアーティストは腕が良かったようで、彼女を魅力的な大人の女性として際立たせてくれ、ジュディ・ガーランドも大変気に入ったようです。MGM社での本作以降の映画では必ず彼女にメイクアップを依頼していたくらいだったとか。
私生活では、Wikipediaによると、当時リタ・ヘイワースと結婚していた俳優で監督のオーソン・ウェルズと、短い期間ではあったものの、恋仲にあったとされています。
1945年(23才の年)、2度目の結婚
この年に、映画「若草の頃」で知り合ったヴィンセント・ミネリ監督と6月15日に結婚します。
映画「The Clock」に出演。
評判はよかったのですが、観客の期待に反して、ジュディ・ガーランドが歌を披露しない映画でした。
監督は、再び、本年に結婚したヴィンセント・ミネリで、共演はヒチコック映画「見知らぬ乗客」や「雲流るるはてに」などで知られるロバート・ウォーカーです。
さらに、映画「ジーグフェルド・フォリーズ」にも出演。
本作は、MGM社が配給した、オールスター映画です!
なんと、共演には、フレッド・アステアと、ジーン・ケリーが2人ともそろって出演しています!二人が一緒にタップダンスを踊るシーンなどもあり、感動ものですよ☆
ほかにも、人気テレビシリーズ「アイ・ラブ・ルーシー」などで知られるルシル・ボールや、映画「巨星ジーグフェルド」などで知られるウィリアム・パウエル、そして映画「我が家の楽園」や「スミス都へ行く」などで知られるエドワード・アーノルドなどが出演しています。
1946年(24才の年)、ライザ・ミネリを出産
映画「ハーヴェイ・ガールズ」に主演。
本作はゲラゲラ笑えるコメディ映画で、ジュディ・ガーランドはもちろん、他のキャストたちも面白かったです。
共演は、人気TVシリーズ「ジェシカおばさんの事件簿」で有名なアンジェラ・ランズベリーや、「ジーグフェルド・フォーリーズ」でも共演した、映画「デュバリイは貴婦人」などで知られるヴァージニア・オブライエン、そして、映画「バンド・ワゴン」や「雨に唄えば」などで知られるシド・チャリシーなどが出演しています。
監督は、「万雷の歓呼」でも組んだ、映画「夜の豹」などでも知られるジョージ・シドニーでした。
原作は、アメリカの作家サミュエル・ホプキンス・アダムズの同題小説で、彼は映画「或る夜の出来事」の原作小説の著者でもありますね!
本作の劇中歌「On the Atchison, Topeka and the Santa Fe」は、アカデミー歌曲賞を受賞しています。
また、映画「雲流るるはてに(Till the Clouds Roll By)」にも出演。
本作は、作曲家ジェローム・カーンの伝記映画になります。ジェローム・カーンと言えば、「煙が目にしみる(Smoke Gets in Your Eyes)」や「今宵の君は(The Way You Look Tonight)」などを生み出したことで知られています♪
主演は、映画「見知らぬ乗客」で知られるロバート・ウォーカーで、ジュディ・ガーランドは少ししか登場しませんが、往年のミュージカルスターでマリリン・モンローの名前の由来にもなった、マリリン・ミラー役を演じています!
他にも、結構オールスターなメンバーが少しだけ登場ということで、映画「若草の頃」でも共演したルシル・ブラマーや、映画「若草物語」で主演を務めたジューン・アリソン、映画「艦隊は踊る」などで知られる人気歌手で俳優のトニー・マーティン、そしてフランク・シナトラが歌を披露していたりもします。
この映画は、ストーリーや雰囲気が大好きで、お気に入りの1本でもあります。なんとなく胸が温かくなる作品ですよね。
私生活では、3月に2番目の夫ヴィンセント・ミネリとの間に娘のライザ・ミネリを出産しています。ライザ・ミネリは後に女優、そして歌手になり、映画「キャバレー」やミュージカル「シカゴ」などに出演します。
1948年(26才の年)、
映画「The Pirate(踊る海賊)」に出演して、再びジーン・ケリーと共演します!
監督は、夫のヴィンセント・ミネリです。音楽は人気作曲家のコール・ポーターが担当しました。
ジュディ・ガーランドはこの映画の撮影期間の頃に、神経衰弱におそわれ、療養所に入っています。
なんとか撮影自体は撮り終えていますが、そのあと、7月に割れたガラスを使って自身の手首を切るという、自殺未遂を起こしています。
このあと、2週間ほど精神病院に入所して療養したとのことです。
なお、映画のほうは製作費がかさんだことや、ジュディ・ガーランドの体調不良により期間が延びてしまったことなどが原因で、あまり収益をあげることはできなかったようです。
つづいて、映画「Easter Parade (イースター・パレード)」に出演して、なんとこちらではトップダンサーのフレッド・アステアと初共演を果たしています。
じつは 、当初の予定では、再びジーン・ケリーと主演を務める予定だったようですが、ジーン・ケリーが足首をケガしてしまったために、代役としてフレッド・アステアが主演を務めることになったようです。
ウィキペディアによると、すでにこの当時にはフレッド・アステアは引退宣言をしており、2年ほど俳優を休業していたそうですが、ジーン・ケリーが直接フレッド・アステアに依頼して実現したそうです。
ちなみに、フレッド・アステアは2年のブランクがあったとは到底思えないほどキレのある動きを披露していて、とっても楽しくて優雅な作品になっていて好きな1本です♪
余談ですが、人気ダンサーだったフレッド・アステアとジーン・ケリーの、両方と共演を果たした女優は6人のみで、ジュディ・ガーランドのほかには、
映画「カバーガール」や「踊る結婚式」で2人と共演した伝説の人気女優リタ・ヘイワース、
映画「雨に唄えば」や「土曜は貴女に」で2人と共演した、キャリー・フィッシャーの母親としても有名なデビー・レイノルズ、
映画「土曜は貴女に」や「踊る大紐育」で2人と共演したヴェラ=エレン、
映画「バンド・ワゴン」や「ブリガドーン」で2人と共演したシド・チャリシー、
そして映画「巴里のアメリカ人」や「足ながおじさん」で2人と共演したレスリー・キャロンになります。
話を本作「イースター・パレード」に戻すと、監督は、映画「上流社会」などで知られるチャールズ・ウォルタースで、ほかにも、映画「踊る大紐育」などでも知られるアン・ミラーなどが出演しています。
本作は、アカデミー編曲賞を受賞して大ヒット!ジュディ・ガーランドにとっても、MGM社で出演した映画の中でトップクラスの興行収入を記録したようです。
なお、このヒットに喜んだMGM社は、さらに映画「ブロードウェイのバークレー夫妻」でも、フレッド・アステアとジュディ・ガーランドを主演させようと企画したのですが、この頃に、ジュディ・ガーランドは再び精神的にまいっており、睡眠薬やアルコール依存などの問題で体調を崩してしまったため降板。
代役として、フレッド・アステアとは長年の名コンビを務めてきたジンジャー・ロジャースが、約10年ぶりにフレッド・アステアの相手役を務めることになりました。
さらに、本年には、映画「ワーズ&ミュージック (Words and Music)」にも出演して、
ミッキールーニー、そしてジーン・ケリーと共演しています。
本作は、作曲家のリチャード・ロジャースと、作詞家のロレンツ・ハートの人生を描いたミュージカル映画化になります。この2人は、ジャズのスタンダードナンバー「Blue Moon(ブルームーン)」や「The Lady Is a Tramp(ザ・レイディー・イズ・ア・トランプ)」などを生み出したコンビになります♪
なお、この映画がミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの最後の共演作となりました。
1949年(27才の年)、
映画「グッド・オールド・サマータイム(In the Good Old Summertime)」に出演。
監督は、映画「美人劇場」でもタッグを組んだ、「巨星ジーグフェルド」や「高慢と偏見」で知られるロバート・Z・レナードで、
共演は、映画「雨の朝巴里に死す」や「ケイン号の叛乱」で知られるヴァン・ジョンソンや、
なんと、チャップリンやハロルド・ロイドと並んで「世界の三大喜劇王」と呼ばれるバスター・キートンが出演しています。
本作は、1940年に、エルンスト・ルビッチ監督、ジェームズ・スチュワート主演の映画「街角 桃色の店」を、ミュージカル映画化した作品になりますね!原作は舞台みたいです。この映画も大好きで、どちらのバージョンもほほえましく観られる秀作ですよ♪
この映画は、大ヒットを記録して、劇中には、当時2~3才前後だったジュディ・ガーランドの娘ライザ・ミネリも出演しています。
また、この時期には、ジュディ・ガーランドも休養をとり無理なダイエットからも解放されていたので、少し元気をとりもどしていたようです。
とはいえ、映画「アニーよ銃をとれ」にもキャスティングされたのですが、こちらは主演を務めることのプレッシャーや監督とウマが合わずに、撮影中に遅刻や欠席が目立ちはじめます。また、うつ病の気もあり結局、降板することになってしまいます。
ジュディ・ガーランドの代役は、映画「地上最大のショウ」などで知られるベティ・ハットンが務めました。
1950年(28才の年)、MGMをクビになる
長期療養施設での休養を経て、映画「サマー・ストック (Summer Stock)」に出演します。
本作では、またまたジーン・ケリーと共演!本作では、人気曲の「Get Happy」などを披露していますよ♪コメディとして内容も面白く、ジーン・ケリーのダンスも力強くて、なかなか見応えのある作品になっていますよ☆
監督は、映画「上流社会」や「歩け走るな!」などで知られるチャールズ・ウォルタースで、
共演には他にも、映画「おかしなおかしなおかしな世界」などへの出演で知られるフィル・シルヴァースなどが出演しています。
本作はヒットしたものの、撮影中にジュディ・ガーランドが再び神経衰弱になってしまい、撮影期間が大幅に伸びてしまい製作費が膨らんでしまったためなどもあり、結果的には赤字になってしまったようです。
この年には、もう1本、映画「恋愛準決勝戦」にて、フレッド・アステアと共演する予定でしたが、やはり精神が安定せず、こちらは降板させられてしまっています。
そして、MGMはジュディ・ガーランドとの契約を一時停止して、結局、15年に及んだジュディとのパートナーシップを解消。ジュディ・ガーランドは、MGMから去ることになりました。
なお、この頃にジュディ・ガーランドは気落ちして割れたガラスの破片を使って首に軽く自傷行為をするも、幸いにしてバンドエイドを貼っておけば大丈夫な程度ですんだそうです。もっとも、マスコミはこの自傷行為を、大げさな自殺未遂として報道したようです。
1950年(28才の年)、友人のビング・クロスビーからラジオ出演のオファー
ジュディ・ガーランドが2度目の自殺未遂をはかったと知ると、友人だった人気俳優で歌手のビング・クロスビーは、彼がホストを務めているラジオ番組への出演オファーをジュディにもちかけます。
ビング・クロスビーは、「僕らの友人は、すこし困った状況にあったものの、今はもう万事OKさ。彼女に必要なのは僕らの愛と、そしてサポートなんだ。今日は彼女がゲストとしてきています。さあ、みんな彼女に必要なものを与えようじゃないか。いいね」
といって、暖かくジュディ・ガーランドを迎え入れてくれ、なんとこのラジオ番組「The Bing Crosby – Chesterfield Show」には、約1年の間に8回もゲスト出演したようです。
このことが良い機会となり、再びジュディ・ガーランドはキャリアの面で返り咲き始め、歌手として、いよいよヨーロッパ・ツアーに繰り出すことになります。
1951年(29才の年)、ヨーロッパでコンサートツアーが大成功!&2度目の離婚
この年、ジュディ・ガーランドは、2番目の夫ヴィンセント・ミネリと離婚。
しかしキャリアの面では、4ヶ月にわたるコンサートツアーを、イギリスとアイルランドで決行し、満員御礼の大成功を収めています。
さらに、アメリカへ戻ってきてからは、ニューヨークの劇場に出演する契約を結び、こちらも大成功を収め、さらに、ヴォードヴィル復興への貢献を称えられ、トニー賞特別賞まで授与されました。
1952年(30才の年)、3度目の結婚
6月8日にコンサートツアーのマネージャーとプロデューサーを務めていた男性と、カリフォルニアで3度目の結婚。
そして、同年11月には長女を出産しています。
1954年(32才の年)、
ワーナー映画「スタア誕生 (A Star Is Born)」に出演。
監督は、映画「マイ・フェア・レディ」や「フィラデルフィア物語」などで知られるジョージ・キューカーで、
共演は、映画「海底二万哩」や「ジュリアス・シーザー」などで知られるジェームズ・メイソンでした。
余談ですが、ジェームズ・メイソンは晩年、スイスへ移住しており、隣町に住んでいたチャップリンとは親交もあったようですよ。
本作は、1937年に公開された、ジャネット・ゲイナーとフレドリック・マーチ主演の同題映画のリメイクになります。
この撮影でもジュディ・ガーランドは体調不良で撮影に遅刻したりしたため、撮影期間が長引き、ワーナーブラザースの社長ジャック・ワーナーの怒りをかったりしたようです。
しかし、作品自体は評論家からも観客からも高い評価を得て、大ヒットします。
もっとも、今回も撮影期間が延びてしまったために、結果としては製作費上回る収益を確保することはできなかったようです。
この映画で、ジュディ・ガーランドは惜しくも受賞は逃しましたが、アカデミー主演女優賞にノミネートされました。
また、ゴールデン・グローブ賞では、見事、主演女優賞を受賞しています。
1955年(33才の年)、2人目の子供を出産
私生活では、3番目の夫との間に2人目の子供となる男の子を出産。
キャリアの面では、いくつかのテレビのスペシャル番組などに出演し始めるようになります。
そして、米CBS放送と3年間で30万ドル(約3,000万円)の契約を結び、ライブパフォーマンスなどを披露するTVのアンソロジーシリーズ「Ford Star Jubilee(フォード・スター・ジュビリー)」に出演します。
この番組シリーズは、月に1度、土曜の夜9時に放送され、ホストは複数のスターがルーティンで担当したようです。
ジュディ・ガーランドの他にもは、オーソン・ウェルズやデビー・レイノルズ、ジュリー・アンドリュース、ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、ジャック・レモン、クローデット・コルベール、エラ・フィッツジェラルドなど、そうそうたるメンバーが出演したようですね!スゴイ顔ぶれです☆高視聴率だったようですよ♪
1956年(34才の年)、ラスベガスでショー契約
ラスベガスのホテルで4週間に渡りショーに出演するという契約を、週給5万5000ドル(約550万円)で結びます。これは、当時のラスベガスでトップの高額ギャランティだったそうです!
現在でも、セリーヌ・ディオンやブリトニー・スピアーズなどがラスベガスでショーを行っていますが、この頃も同じだったんですね(笑)
ちなみに、ジュディ・ガーランドのパフォーマンスは大変評判がよく、1週間延長になったようですし、さらに同年に別のホテルでも1日2回のショーを行い絶賛されています。
ジュディ・ガーランドのショー・パフォーマンスは生で観てみたかったですね!
1959年(37才の年)、入院
11月に急性肝炎と診断されたため、翌年の1月まで入院。医者からは、余命5年で、もしそれ以上生きられるとしても歌手の仕事は無理だと宣告される。ジュディ・ガーランドはこの告知を聞いて、むしろプレッシャーから解放されるという喜びからホッとしたらしいです。
1960年(38才の年)、退院
医者からの厳しい余命宣告に反して、数か月後には体調が回復し、ロンドンのパラディウム劇場でステージに復帰。
イギリスでの温かい歓迎に感激して、ジュディ・ガーランドはイギリスへ移住することを発表。
また、年初には、米大手出版社のランダムハウスと契約して自伝本を出版することに。ジュディは1960年代を通して、共同作業をすることになった作家と一緒に執筆に取り組んだが、結局完成はしませんでした。
ただ、この時の内容の一部は、2014年に出版された、別の伝記作家が書いた「Judy Garland on Judy Garland: Interviews and Encounters」という本に収録されたようです。
この年には、映画「Pepe (ペペ)」に声の出演のみですが参加しています。
本作は、メキシコ出身のコメディアンで俳優のカンティンフラス主演映画で、多くのスターたちがカメオ出演している作品です。
そのうちの1人としてジュディ・ガーランンドも声のみで出演したというわけですね。
ちなみに、他には、ビング・クロスビー、ジャック・レモン、フランク・シナトラ、キム・ノヴァク、ドナ・リード、ディーン・マーティン、グリア・ガースンなどそうそうたるスターがカメオ出演を果たしています。
1961年(39才の年)、最高のコンサートを開催
4月23日、アメリカはニューヨーク・マンハッタンにある、カーネギーホールにてコンサートを行います。
このコンサートは絶賛され、「ショービジネスの歴史上、最も素晴らしい夜だった」と言われているくらいで、この日の様子が録音された音源アルバム「Judy at Carnegie Hall」もゴールドディスク認定されて、13週におよびビルボードランキング第1位に君臨しました♪
また、このアルバムは、グラミー賞で、最優秀アルバム賞と、最優秀女性歌手、最優秀アルバム技術賞、最優秀録音パッケージ賞などを受賞しています☆
本年には、映画「ニュールンベルグ裁判(Judgment at Nuremberg)」にも出演しています。
本作の主演は、映画「招かれざる客」への出演やキャサリン・ヘプバーンの名パートナーとしても知られるスペンサー・トレイシーをはじめ、「地上より永遠に」のバート・ランカスターや、「嘆きの天使」などで有名なドイツ出身の女優マレーネ・ディートリヒ、「陽のあたる場所」のモンゴメリー・クリフトなど、豪華スターが共演しました。
監督は、映画「招かれざる客」などで知られるスタンリー・クレイマーです。
ジュディ・ガーランドは、本作への出演で、惜しくも受賞は逃しましたが、アカデミー助演女優賞にノミネートされました。
1962年(40才の年)、TV「ザ・ジュディー・ガーランド・ショー」
TV特番として、「The Judy Garland Show」という1回限りのミュージカル・バラエティ番組を放送したところ、大変な人気だったため、なんと、米放送局のCBSは当時の約24億円(2020年調整額 約160億円!)で、毎週放送の番組として出演してくれるようオファーしてきたそうです!
ジュディ・ガーランドは、以前は毎週の番組をお断りしていたそうですが、この時には税金の未払いなどでお金にやや困っていたらしく承諾します。
ちなみに、まだ週番組になる前に単発の特番として大人気だった第一回目のゲストは、フランク・シナトラとディーン・マーティンです☆豪華~♪
結局、翌年の1963年の9月から毎週放送の番組となりました。
1963年(41才の年)、毎週放送の番組としてTV「ザ・ジュディー・ガーランド・ショー」がスタート
毎週放送のTV番組として、「The Judy Garland Show」が再スタートします。
裏番組の「Bonanza」などが人気だったということなど、さまざまな要因から、結果としては1年(1シーズン:26エピソード)で番組は終了してしまいましたが、人気もあり、エミー賞にもノミネートされるくらい評価も高かったようです。
なお、この番組が放送されていた期間、ジュディ・ガーランドは映画「ギルダ」への出演やリタ・ヘイワースとの名コンビでも知られる俳優のグレン・フォードと恋仲にあったと言われているようです。
1970年(52才の年)
仏映画「渚の果てにこの愛を」に出演。
監督は、フランスの映画監督ジョルジュ・ロートネルで、共演は、アメリカの女優ミムジー・ファーマーでした。
映画「The Naked Zoo」に出演。
監督は、アメリカの映画監督ウィリアム・グレーフェで、共演は、アメリカの俳優ステファン・オリバーです。
1971年(53才の年)
TV「キャロル・バーネット・ショー」シーズン4の第20話にゲスト出演。
同ドラマは1967年から1978年まで全11シーズンも放送された人気テレビドラマシリーズです。
主演は、映画「アニー」で孤児院の院長ミス・ハンニガンを演じたことなどでも知られるキャロル・バーネットです。
TV「ラフ・イン」シーズン5の第3話にゲスト出演
同ドラマは、1968年から1973年まで全6シーズン続いた人気ドラマシリーズ。
主演は、コメディアンのダン・ローワンや、ディック・マーティンです。
1972年(54才の年)
この頃、リタ・ヘイワースは女優業から引退したいと考えていたようです。
しかし、引退するにはお金が足りなかったようで、俳優のロバート・ミッチャムから提案を受けて映画「サンタマリア特命隊」に出演します。
そして本作が、リタ・ヘイワースの最後の映画出演作となりました。
原作はイギリスの小説で、監督は、映画「野のユリ」の監督として有名で、女優セレステ・ホルムの元夫としても知られるラルフ・ネルソンでした。
共演は、映画「過去を逃れて」や「恐怖の岬」「帰らざる河」などで知られるロバート・ミッチャムです。
しかし、この時にはリタ・ヘイワースの健康状態や精神状態はかなり悪化していたようで、セリフがなかなか覚えられない状態だったとのこと。
本当はもう1本、イギリスのホラー・コメディ映画「異界への扉」にも出演することになっていたそうですが、こちらは体調不良を理由に断念しています。
参考までに、「異界への扉」にはキム・ノヴァクやドナルド・プレザンスが主演しました。
1974年(56才の年)
この年に2人の弟がたて続けに亡くなってしまい、リタ・ヘイワースは悲しみのあまり、これまで以上に飲酒量が増えてしまったようです。
1976年(58才の年)
イギリス・ロンドンのヒースロー空港にて、エージェントと一緒に旅行中だったリタ・ヘイワースは怒りが爆発してしまい、飛行機からつまみ出されてしまうという事件が発生。
マスコミに面白おかしく取り上げられてしまったとのことですが、実はリタ・ヘイワースは、当時はまだあまり知られていなかった、アルツハイマーを患っていたようです。
ウィキペディアや厚生労働省の「みんなのメンタルヘルス」サイトなどを見ると、アルツハイマー型認知症というのは、初期症状として怒りっぽくなったりするこもあると書かれていました。
1981年(63才の年)
リタ・ヘイワースは、この前後にようやくアルツハイマーを患っていると診断され、ロサンゼルス上級裁判所から娘のヤスミン・アガ・カーンの介護の元に暮らすようい言い渡されます。
ヤスミン・アガ・カーンはリタ・ヘイワースの晩年の数年間を世話しており、周りの人からリタ・ヘイワースの様子を聞かれた際んは、「彼女はあいかわらず綺麗よ。でもそれは見かけだけで、抜け殻のようだわ」とも漏らしていたようです。
ちなみに、リタ・ヘイワースはこの頃、The San Remo(ザ・サンレモ)というニューヨークのマンハッタンにあるマンションに住んでいたそうです。写真を見る限り、すごく高級そうですね!
1987年(69才の年)
リタ・ヘイワースは、この年の2月に半昏睡状態になり、5月14日、アルツハイマーによる合併症のためマンハッタンの自宅で死去。誕生日の10月になる前でしたので、享年68才でした。
リタ・ヘイワースがアルツハイマーで亡くなったことは、それまであまり知られていなかったアルツハイマーという症状について広く知れ渡らせ、同時に研究費の増加にも貢献し、医学の発展につながったと言われています。
今でも毎年、シカゴとニューヨークでは、リタ・ヘイワース・ガーラというお祭りが開かれて、その収益はアルツハイマー協会へ寄付されているようです。そして、このイベントは1985年に娘のヤスミン・アガ・カーンによって設立されたんだそうです。すごいのは、寄付金の合計額は、72億円以上にもなっているそうです!
トリビア動画
リタ・ヘイワースの生涯を紹介している動画↓
リタ・ヘイワースのテレビ初登場↓
リタ・ヘイワースの生涯を紹介している動画↓
映画監督で俳優のエドワード・ジェームズ・オルモスが語るリタ・ヘイワース↓
「リタ・ヘイワースがハリウッドから脱出した本当の理由」というタイトルの動画↓
映画「ギルダ」でのリタ・ヘイワース↓
↓マドンナの1990年発売のシングル曲「ヴォーグ」の中に16人の往年のハリウッドスターの名前が挙げられているのですが、その中の1人にリタ・ヘイワースの名前もありますね♪
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