フレデリック・ショパンの全てが知りたい!
■まずは名前から・・・
フレデリック・フランソワ・ショパン
「フランソワ」ですから、思い切りフランス人風の名前です。お父さんがフランス人なのです。
■家族構成
ショパンのお父さんは、ニコラ・ショパンというフランス人で、ポーランドに移住してきて、ポーランド貴族の娘だったけど地位を失い、ポーランド貴族の家庭で侍女をしていたユスティナ・クシジャノフスカという女性と結婚しました。
ニコラとユスティナの間には、子供が4人できます。長女、ショパン、三女、四女です。ショパンは姉と妹2人の間に生まれた男の子だったのですね。
■出生
出生地は、ショパンが生まれたのはポーランドになります。ジェラゾヴァ・ヴォラという、首都ワルシャワから50Kmくらい離れた場所です。
ただ、出生年月日については諸説あるようです。昔は結構いい加減だったみたい。
私は1809年の3月1日が正しい気がするなぁ~と思います。
ショパンの誕生日として家族で祝っていたのが3月1日だったというので、日付はもう3月1日ということでいいのではないでしょうか。そして生まれ年は1810年説もあるのですが、ショパンが最初に作曲したポロネーズの楽譜に1817年に作曲したという記載と、8歳という記載がされている楽譜が残っているため、1809年としてほぼ間違いないかと考えています。
ちなみに、生まれて1年~2年後の1810年10月には、住込みだったスカルベク伯爵邸からワルシャワへ引っ越してしまいますので、育ちはワルシャワですね。お父さんはフランス語ができたので伯爵家でご子息の家庭教師をしていました。
■天才
余談ですが、個人的にはクラシック音楽史上で本当に天才レベルだった音楽家というのは、ほんの数人しかいなかったというのが事実だろうと考えています。ショパンはその中に確実に入っていたまさに、真の天才音楽家と言えるでしょう。
ショパンは、さらっと書きましたが8歳でポロネーズを作曲しちゃうくらい早くから天才児としてもてはやされていたそうです。
お母さんのユスティナがピアノを上手に弾く人だったので最初は手ほどきを受けながら、7才頃には街の音楽家にピアノと作曲を習い始めて才覚を表し、14歳の時には普通の学校に通いながら権威ある音楽院の音楽家から指導をうけつつ演奏会を開いたり、ロシア皇帝の前で演奏する機会を得てダイヤモンド入りの指輪をもらったりしています。
ちなみに、学校では将来は俳優になれるのではないかというくらい演技がうまかったり、マンガ風の人物画を書くことも好きだったようで、残存している絵を見ると驚く程うまいです。
■音楽学校
1826年に音楽学校に入学して作曲を本格的に学びます。面白いのは、この頃からショパンは両親や有人に向けてたくさんの手紙のやりとりをしているので、かなりプライベートな考えなどが現代の私たちが知ることができるのですね。まあ、当時のLINEみたいな感覚だったのかもしれませんね(笑)
どちらにしても、こういった手記が読めるとショパンのことがよくわかるので嬉しいですね。しかも本人の言葉で!
ちなみに、ショパンの手紙はすごく面白くて、当時流行っていた音楽についてのダメ出しや、同年代のシューマンが書いたショパンの曲を褒め称えた批評に対して冷めた言葉があったり、ピアノ教本でお馴染みのチェルニーについて「性格が良い人だったけど、それだけの人でした」などなど、かなり正直ベースな言葉がたくさんあって本当に貴重です。
実は、ショパンの膨大な手紙を集めた本まで日本語訳で出版されています!これスゴく読みたいのですが、ちょっとお高くて1冊約20,000円します。今のところ2冊ありますが、最低でもおそらくあと1冊は出版されそうです。欲しい・・・!
・「ショパン全書簡 1816~1831年――ポーランド時代」
・「ショパン全書簡」1831~1835年: パリ時代(上)」
プライベートなことが知れるというよりは、むしろショパンから見てのシューマンの音楽家としての才能やリストの音楽としての才能、メンデルスゾーンについて、当時の音楽の流行やサロン、ピアニストの演奏方法、ピアノの音色についてなどが知れるのは本当に貴重です。
●ユゼフ・エルスネル(ヨーゼフ・エルスナー)
1823年から1829年までショパンに音楽理論と作曲を教えた、ワルシャワ音楽大学の校長先生です。
ショパンを非常に高く評価していて、「驚くべき能才、音楽の天才」という評価を残していて、あまりガチガチに教育するというよりは、才能を伸び伸びと発揮させながら足りない知識や音楽理論だけを教えてあげるという非常に優れた教育者でもありました。
■楽壇デビューと交友関係
手紙などをいくつか読んでみても、ウィーンで流行っていた当時の主流音楽にはあまり興味がわかず、というか嫌いでもっと古典を踏襲したロマンティックな曲が好きだったという印象を受けます。
それと、リストたちのように派手なパフォーマンスをしたり、オーケストラ付きで大勢の前で演奏するというスタイルよりはサロンのようなこじんまりとした、でも和やかな雰囲気で静かで美しい曲を奏でるほうを好んでいたようです。とはいえ、ピアニストとしても超一流だったようで、ショパンの音楽家としてのデビューは、ざっくり言うと、シューマンとリストに絶賛されたことによって世の中に広まっていったと言えそうです。
●ロベルト・シューマン
ほぼ同い年のロベルト・シューマンは当時、音楽家でもあり音楽批評家でもありました。
ショパンが1827年に作曲して1830年に出版された、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」というオペラの主題を土台にした変奏曲「ラ・チ・ダレム変奏曲」を絶賛して、「諸君、帽子を脱ぎたまえ! 天才だ」と言って絶賛しました。
1835年にはショパンはドイツのライプツィヒでシューマンと、メンデルスゾーンと会っています。ショパンの演奏を聞いて感激したのか、同年にシューマンが発表したOp9-12のタイトルはなんと「ショパン」です(笑)ここまでくるともうショパンの立派な熱烈なファンですね♪
ちなみに、シューマンにはショパンから「Op.38 バラード第2番」が献呈されています。
●フランツ・リスト
「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」などで有名なイケメン・ピアニストのリストですが、ショパンの人生にかなり大きな影響を及ぼした友人であり、理解者の1人でした。
1つ目は、ショパンを絶賛し、ショパンから「Op.10 エチュード(12の練習曲)」を献呈されたのを機にショパンの曲を多数演奏していたり、コンサートの絶賛コメントなどを出しています。世の中にショパンの名声を広めてくれた有名人の1人と言えるでしょう。
一方でショパンもリストを評価していたようですが、晩年はリストが表現力よりも超絶的なパフォーマンスに走っているとして、やや批判的になっていたようです。なおリストは、ショパンが演奏者としても作曲者としても高い評価を得ていたことに嫉妬していたという話もあります。
ちなみに、リストと愛人関係にあった恋人女性マリー・ダグー伯爵夫人にも、「Op.25 エチュード(12の練習曲)」をショパンから献呈しています。余談ですが、このマリー・ダグーとリストの間に生まれた娘のコジマ・リストは後にワーグナーの妻になっています。もうグチャグチャな人間関係すぎる・・・(笑)
2つ目は、リストからサロンに誘われ、その先でジョルジュ・サンドと出逢ったということです。サンドとショパンは10年程、事実婚のように同棲して過ごしています。ただ、ジョルジュ・サンドは過去にリストとも関係を持っていたのではないかという話もあります。
3つ目は、実はリストはショパンの死後3年後頃にショパンの伝記本を執筆しています。ビックリですよね!邦題は「ショパンの芸術と生涯」みたいですが、絶版みたいでおそらく古本か図書館でしか読めないかも(泣)すごく読みたい・・・!
【2021/07 追記】なんと「フレデリック・ショパン;その情熱と悲哀」というタイトルで再販されるみたいですよ!!!ほしい・・・でも、なぜかショパンの全書簡シリーズと同じく電子書籍版はなしみたい・・・(泣)
ちなみに1833年前後には、ショパンとリストで慈善演奏会を開いたりしています。ピアノを2台、3台と用意して、一緒にバッハのコンチェルトなどを演奏したそうです!なんと豪華な!!
●フェリックス・メンデルスゾーン
ドイツの作曲家でピアニストのメンデルスゾーンは「結婚行進曲」などが有名ですよね。メンデルスゾーンはショパンのことを「彼の演奏は、何か深いところで独創的で、完璧な名人」と絶賛していたそうです。一緒に連弾をしたり、演奏会などにショパンをゲストとして誘って音楽祭を開いたりしています。なんと贅沢な!ショパンがメンデルスゾーンと「結婚行進曲」を連弾してたりして♪
他にもメンデルスゾーンの母親に宛てた手紙には、「朝からショパンと一緒にピアノを弾きましたが、とても楽しい時間でした。ショパンはすばらしいピアニストです。パガニーニと同じように、思いもよらない奇跡的な離れ業を披露してくれます」と言ってます。どんなことしたんだろう?気になる-!!とにかく、ショパンが演奏者としても天才的だったということがうかがえますね。
ちなみに、メンデルスゾーンはゲーテから天才と称されていて、実際に何度もゲーテと面会しており、ゲーテの詩に曲をつけたりもしていたそうです。ショパンとゲーテも会ってたら面白いのになぁ~メンデルスゾーンは紹介しなかったのかなぁ~?ショパンはドイツをあまり好きな感じではなかったと聞くので、そもそも会う機会がなかったんかな??
1835年に実際にドイツのライプツィヒでショパンは、シューマンとメンデルスゾーンと会っています。その際、「フレデリック・ショパン全仕事」によると、メンデルスゾーンはショパンの演奏を聞いて「ショパンの独創的な演奏の魔法にかかってしまった、完璧な名手だ、その音楽は完全に自分の立場をもったもので、自分とはかけ離れているものではあるが」という言葉を残しているそうです。。え~!聞きたい!ショパンの演奏、どんな弾き方したんだろう、、、気になる~!!
では、今度は女性関係。まずは親族の姉妹から。3人の姉妹ですね。
●ルドヴィカ、イザベラ、エミリア
長女でショパンの姉にあたるルドヴィカは、お母さんと一緒にショパンにピアノを教えたり、ショパンの最期を看取った人でもあります。ショパンの未出版の作品を整理したりもしていたようです。よくショパンとおしゃべりしたり、連弾をしたりしていて仲が良かったみたいですね。
真ん中のイザベラについては、陽気な性格で母親の手伝いをよくしていたショパンの妹です。
末っ子のエミリアは、悲しいことにわずか14歳で病死してしまっています。ショパンと同じ結核だといわれています。ショパンもショックを受けて悲しんだようです。
●ワンダ・ラジヴィウ
ショパンは音楽学校時代に、紹介してもらったポーランド最高貴族だったアントン・ラジヴィウのサロンに出席して、ピアノ演奏を披露していますが、その際、Op.3「序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調」をチェロ弾きでもあったアントン・ラジヴィウと娘のワンダ・ラジヴィウ(17歳)のために書き下ろして贈っています。
すごく品があって素敵な曲なんですよね~♪聴いてるだけで癒されます^^
ちなみにショパンは、ワンダのことを「素敵な女性でピアノの腕前も言うことなし」と言って褒めていて、ワンダもショパンに好意があったのか肖像画のスケッチを何枚か描いています。
●コンスタンツィヤ・グワトコフスカ
ショパンの初恋といわれている人は、ワルシャワ音楽院声楽家でオペラ歌手志望だったコンスタンツヤだと言われています。というか、ショパン本人の手紙の中で「運命の人」や「憧れの人を見つけてしまった」等と書いています。
結局、ショパンはウィーンに行くためポーランドから離れたため、彼女は後に別の男性と結婚してしまいますが、彼女のことを想って「ピアノ協奏曲 第2番(Op.21)」と「ワルツ Op.70-3(死後に出版)」を作曲したと、友人の手紙に書いているそうです。
さらに、ショパンの手紙には「ピアノ協奏曲 第1番(Op.11)の第2楽章」(↓動画の21:09~)でも「静かに、憂いがちで、懐かしい想い出が蘇るような場所を、心で見つめているイメージ。美しい春の夜に、月の光を浴びながら思いを馳せる」ようなイメージとロマンティックに書いていたことから、コンスタンツィヤへの想いが影響しているのではないかとも言われています☆
●マリア・ヴォジンスカ
ショパン25~26歳頃にワルシャワ時代に親交のあった伯爵家の娘マリア・ヴォジンスカと出会います。この頃マリアは10歳年下の16歳前後です。
ショパンとマリアは仲むつまじくお互い魅かれあい、またマリアの家族にもショパンは歓迎されていたようで求婚、そして婚約までしています。この頃にショパンは「Op.69-1 ワルツ 」をマリアへプレゼントしています。
ただし、ショパンの体調が悪くなったのを機に突然、婚約が破棄されてしまいます。マリアはまだ年齢的に幼かったので、おそらくはマリアの家族が反対したのでしょうね。ショパン大失恋です。
●デルフィーヌ・ポトツカ
あまり資料はないものの、ショパンとはショパンが25歳前後にマリア・ヴォジンスカとの婚約が破棄されてしまった直後、パリで親交を深めていて、伝説的にはショパンの死の床にショパンたっての希望から呼ばれて歌を歌ったとのこと。
ショパンにとってミューズ的な存在だったという節があります。
ショパンからピアノを習っていたようで、「Op.21 ピアノ協奏曲 第2番」と「Op.64-1 子犬のワルツ」が献呈されています。
●ジョルジュ・サンド
ショパンと約10年に渡る長い期間、恋愛関係にあった女性です。かなり前衛的な考えの持ち主の小説家であり、恋愛にもかなりオープンだったようです。ちなみにジョルジュ・サンドというのはペンネームです。本名は、アマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン。
ショパンと関係を持つ前はリストや「三銃士」や「モンテクリスト伯」などで有名なアレクサンドル・デュマとも噂があったり、ビクトル・ユーゴやカール・マルクスとも親交があったといわれています。離婚歴があり、子どもも男女1人ずついました。
余談ですが、私は大学生の頃に「モンテクリスト伯」を読みながら、リストの「愛の夢」をピアノで弾きながら、よくショパンの曲を聞いていたので、まさか学生時代に大好きだった音楽家と小説家の3人ともがジョルジュ・サンドと交際していたと知った時には相当ショックでした。ちなみにドストエフスキーも大好きだったのですが、彼も実はサンドのファンだったそうです(笑)
ショパンとサンドは、リストの愛人が開いたホームパーティで初めて出会ったようですが、手紙などを読む限りは、最初ショパンはサンドがあまり好きではなかったようです。どちらかというとサンドからグイグイと押していったというような印象。
でも、サンドは相続した大きなお屋敷を持っていたりしていたのもあって、ショパンは夏はフランス中部ノアンにあるサンドの別荘で休養がてら過ごし、冬はパリで過ごしコンサートなども開くという安定した生活を送ることができて、たくさんの傑作を書き上げているのも事実。
結局、サンドとは性格の不一致と、サンドの娘が結構ハチャメチャな性格だったこともあって破局しました。その後、近況報告を大人な態度でしたきり、サンドはショパンの葬儀にも出席しなかったとか。サンドはショパンをわがままで病弱な王子として描いた小説まで書いています。
●クララ・ヴィーク
自身の父親の強い反対を押し切り、ロベルト・シューマンと結婚したことで有名なピアニストのクララ・ヴィークです。
実はシューマン同様、ショパンの作品を高く評価して愛しており、たくさんのショパン作品を演奏しては広く世の中にショパン作品を広めることに貢献しました。ドイツにいたということもあり、同じドイツで既に作家として有名だったあの文豪ゲーテからも絶賛されています。
ちなみにショパンも「僕の練習曲を弾けるドイツ女性は彼女だけだ」と絶賛していたそうです。
ヴァレンティーナ・リシッツァ
そんな風に思ってしまうほど、天才的な音楽をたくさん残してくれたショパン。
このページでは、ショパンの人生や交友関係、恋愛、手紙、ゆかりの地、愛したピアノメーカー、写真、肖像画、書籍、ピアニストなどなど、ど真ん中の事実からマニアックなトリビアまで、たくさんご紹介していきます!
あなたは、どのくらいショパンについて知っていますか?ぜひご自身のショパン・アディクト度をテストしてみてください。新しいショパンの一面を知るきっかけになれば幸いです。
●ジェーン・スターリング
ショパンの後年の秘書として、弟子として、コンサートを仕切ったり、ロンドンやイングランドを案内したり、葬儀の費用の一切を出して、ショパンの姉のルドヴィカを葬儀に参加させるための往復旅費まで請け負ったとされています。
ただし、実は本当に資金提供したのは、ジェニー・リンドではないかといわれてもいます。
ジェニーについては後述を参照してください。
ただ、ジェーン・スターリングはショパンを心底尊敬したようで、今でいうおっかけみたいなものではなかったのかと考えます。ショパン的には、手紙等を読む限りジェーンに惹かれているわけではなかったみたいです。
でも、ジェーンはショパンの死後もコレクターのように、ピアノや家具や書類を買い取ったり、ショパンのお姉さんのルドヴィカと手紙を何度もやりとりしながら未発表作品を出版できるよう手はずを整えていたようです。彼女の功績のおかげで聞ける曲もあるかもしれませんね。
ただ、ショパンの死後とられたデスマスクや、髪の毛なども保管していたというから、やっぱり熱烈ファンだったのかなと、、、ちょっとビックリですね。
ショパンからは「Op.55 ノクターン 第15番、第16番」の2曲をプレゼントしてもらっています。特に第16番は美しい曲なので動画をご紹介しておきます♪
●ジェニー・リンド
メンデルスゾーンが晩年に恋焦がれていた女性です。ヨーロッパ中で大人気だったオペラ歌手で、ビックリすることに、1848年にショパンがロンドンに滞在していた際には、滞在期間を延長してまで、このジェニー・リンドと多くの時間を過ごしたとのこと。
この期間に実はショパンもリンドと恋人関係になったのではないかと憶測されているそうです。
さらに、ショパンの後年の秘書として、弟子として、コンサートを仕切ったり、ロンドンやイングランドを案内したり、葬儀の費用の一切を出して、ショパンの姉のルドヴィカを葬儀に参加させるための往復旅費まで請け負ったとされているジェーン・スターリングという女性がいるのですが、この女性は実は匿名でジェニー・リンドが多額のお金をショパンの晩年と葬儀に出費したのを隠すために、表立って名前をだしていたのではないかとの推測もされているようです。
ショパンは、ジェニー・リンドの才能を高く評価していたようで、ジェニー・リンドもショパンの才能に惚れ込んでいたようです。
また、ジェニー・リンドは後にショパンの伝記を音楽研究家と共に書き上げています。う~ん、やはり謎です。
再び交友関係を男性に戻します。ただし音楽家ではなく、画家とピアノメーカー経営者の2人をご紹介しておきます。
●ウジェーヌ・ドラクロワ
まずは画家から。ショパンの才能をめちゃくちゃ評価していた画家です。ショパンの演奏を聞くことでだいぶ癒されていたようです。
ドラクロワの書いたショパンとサンドが一緒にいる肖像画があるのですが、個人的には大好きです。今はショパンとサンドが別々に切り離されて保存されているとのことですが、ショパンのほうはルーブル美術館で見ることができるようです。
ダンディな感じが出ていて、このタッチ好きだなぁ~☆
●カミーユ・プレイエル
そして、ピアノメーカーの経営者。
ショパンはプレイエルというブランドのピアノを愛していました。手紙でもその音色を絶賛しています。
カミーユ・プレイエルは創業者の息子ですが、ショパンの有人でもあり、ショパンの葬儀にも出席しています。ちなみに、ショパンのパリでの最初と最後の演奏会はプレイエル運営の「サル・プレイエル」というホールで行われています。
ショパンは、プレイエルに「Op.28 プレリュード(24の前奏曲)」を、さらにプレイエルの妻のモークに「Op.9 ノクターン第1番、第2番、第3番(3つの夜想曲)」を献呈しています。
●ユリアン・フォンタナ
ショパンの友人で、法律家、起業家、そして作曲家だったフォンタナは、ショパンが自身の死後は未完の作品などは全て廃棄してくれという遺言にもかかわらず、フォンタナ自身の改訂も加えながら多くのショパン作品の遺作を出版している。
ショパンには申し訳ないけれど、後世の人が例えば「幻想即興曲」などのショパンの遺作をたくさん知ることができたのはファンタナのおかげ。
その一方で、オリジナルのショパンの楽譜に改変を加えてしまっている場合もあり、批判をされている一面もある。
■パリ
ショパンは手紙や行動記録から、音楽の都、そして芸術家の集まる中心地としてパリという都会とそこで開かれるサロンにかなり憧れや親しみを抱いていたようです。
実際、なくなった場所もパリでした。お墓もフランス パリの中心地近くにあるペール・ラシェーズ墓地という有名な場所にあります。なぜかショパンの墓石の上には、ギリシャ神話に出てくる抒情詩の女神エウテルペーが泣き崩れている彫刻が乗っています。笛を象徴する女神でもあり、もっているのは壊れた琴です。なぜ?センスがない気がしちゃいますね・・・(汗)
この彫刻を作ったのは、ショパンやサンドを悩ませ続けたサンドの娘ソランジュと財産目当てで結婚した彫刻家のオーギュスト・クレサンジェです。クレサンジェはショパンの死後にデスマスクもとっています。ショパンはこの男性をあまり好きではなかったとのことです。
ペール・ラシェーズ墓地は広くて、ショパンの他にも、以下の有名人達などの墓石もあります。
・オスカー・ワイルド
・イグナス・プレイエル
・モリエール
・バルザック
・プルースト
・ラディゲ
・ロッシーニ
・シャンポリオン
・イヴ・モンタン
・エディット・ピアフ
・マリア・カラス
ピアニストのヴァレンティーナ・リシッツァもショパンのお墓参りにきていました。
■ショパンと同年代を生きた有名人
すでにショパンと親交のあったリストやメンデルスゾーンなどを挙げてきましたが、改めて同じ時代を生きた有名人を何人か上げておきます。
私は、シューマンがショパンを絶賛していたり、ショパンとリストが同じサロンでピアノを弾いていたり、ショパンとメンデルスゾーンが演奏会で連弾していたことを初めて知った時、スゴく驚きました。
あなたはベートーベンやモーツァルトが、ショパンよりどのくらい前の時代の人かご存知ですか?ご存じなければ、おそらく想像していた印象とは違う事実に驚くことでしょう。
ここでは、音楽家はもちろん、ゲーテや大デュマ、ドスト氏などの文豪なども合わせて、一緒に時系列で見てみましょう♪
(※イエローが音楽家で、ピンクは文豪、グレーはその他の人達です。目分量なので多少のズレは許してね)
いかがでしょう?私はまずモーツァルトが意外とショパンに近い年代の人だったということ、そしてベートーヴェンとショパンって国はドイツとフランス・ポーランドだけど年代的には同年代を生きていたんだ!とビックリしました。
さらにゲーテとナポレオンですよね!2人も、この時代だったのですね!
エピソードとしては、実は子供の頃のモーツァルトの演奏をゲーテはその場で見聞きしていたとのこと。さらにメンデルスゾーンとは縁があり何度か演奏を聴いては褒めていたそうです。
リストとショパンは一緒に連弾したり、サロンにいたりと懇意にしていました。ショパンが友人に宛てた手紙の中で、今ちょうど横でリストがショパン作のエチュードを弾いてくれているという記述があるくらいです。
メンデルスゾーン主催の音楽祭でもショパンは共演していますし、シューマンは最初に音楽評論雑誌にショパンを天才だと評価してくれた人です。
プレイエルは愛用のピアノメーカーの社長さんであり友人ですし、ピアノ教則本で有名なツェルニーとも1度会って話しをしています。
ショパンの書簡などをたどってみると、結構、芸術や音楽に対しての審美眼は厳しくて、リストの演奏技術の高さを評価しているくらいで、あとはシューマンにせよメンデルスゾーンにせよツェルニーにしてもあまり評価していなかった節が見られます(笑)
唯一、バッハとモーツァルトの2人を尊敬してお手本にしていたように思えます。その証拠にバッハを習ってプレリュードを作ってみたり、モーツァルトの曲を主題にして変奏曲を書いています。
あとはやはりショパンと10年同棲していたジョルジュ・サンドの男性遍歴のすごさですよね。上の図中で言えば、ショパン、リスト、さらに「モンテクリスト伯(岩窟王)」や「三銃士」で有名な作家アレクサンドル・デュマらと浮名を流していますし、「罪と罰」で有名な作家ドストエフスキーがジョルジュ・サンドに憧れていたという話は有名です。
同年代の有名人を並べてみると、意外と密接につながりを持っていて面白いですよね。
■ショパンを聞くなら、このピアニスト!オススメの天才奏者たち♪
ショパンの作品は世界的にも大人気ですから、もちろんたくさんのピアニストが演奏しています。ショパン国際コンクールが5年に一度開かれているくらいですからね。
さらに最近ではYouTubeに様々なピアニストが公式チャンネルを開設し、自身の演奏を無料で公開してくれています♪
一世を風靡した有名なピアニストから、個人的に応援しているスゴい人までご紹介します。
同じショパンでも曲によって好きなピアニストが変わるかもしれません。例えば、私はショパンのほぼ全ての演奏でヴァレンティーナ・リシッツァの弾き方が大好きですが、Op.23 バラード第1番は別のピアニストの弾き方がすきだったりします。
いずれにせよ、あなたの好みのピアニストを見つけるための一助になれば嬉しいです☆
①ヴァレンティーナ・リシッツァ(1973~)
私の大大大好きな女性ピアニストです!
ウクライナのキエフ出身の女性ピアニストなのですが、現在はアメリカ在住で世界中を回りながら演奏しています。日本にも来たことがありますよ♪
もともとYouTubeにラフマニノフの難解な曲を完璧に弾きこなしている動画をUPしたのがきっかけで大ブレイクしたピアニストです。
その後、ショパンのエチュード全曲もYouTubeにアップして無料公開しています!私はこれを観てヴァレンティーナの大ファンになりました☆
ショパン、リスト、ラフマニノフ、ベートーベン、チャイコフスキー、バッハなどのクラシックはもちろん、映画音楽などの現代音楽も弾いています。
YouTubeでは、ストリートピアノをゲリラ的に披露したり、練習風景や対談、インタビューなどもUPしていてすごく面白いです♪旦那様もピアニストで共演もされています。リストの激しい演奏にも耐えたということで有名になったベーゼンドルファー社製のピアノを愛用していることで有名です。
ヴァレンティーナ・リシッツァが弾く特にショパンの曲を3つ程挙げておきますね。
②アルトゥール・ルービンシュタイン(1887~1982)
伝説のピアニスト、もうショパンと言えばこの人ではないでしょうか。
というくらい昔も今もファンが大勢いる、20世紀を代表するピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン♪なんとショパンと同じポーランド生まれで、しかもショパン没後37年後に生まれています。
フランツ・リストは1886年に亡くなっていますので翌年にアルトゥール・ルービンシュタインは生まれたということですね。
私も初めてショパンのCDを聞いたのは、ルービンシュタインのCDでした。個人的には彼の弾く「Op.60 舟歌」が大好きですが、同じポーランド生まれということでポロネーズやスケルツォ、そしてマズルカを聴いてみるのもオススメです。
③マルタ・アルゲリッチ(1941~)
現代最高のピアニストと言われているアルゼンチン出身の女性ピアニストです!ウラジミール・アシュケナージ、マウリツィオ・ポリーニらと並んで20世紀後半を代表するピアニスト3人のうちの1人とも言われています。
ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、後に審査員も務めています。とても情熱的な人で、私生活ではなんと3回結婚して3回離婚しています。
意外にも日本の大分県別府市と関係が深く、1998年から別府アルゲリッチ音楽祭を毎年開催して来日しています。別府市には、コンサートホール「しいきアルゲリッチハウス」というものまであるそうです。
一体どういういきさつで別府市にマルタ・アルゲリッチが?と思い調べてみたところ、伊藤京子さんという日本の女性ピアニストがマルタ・アルゲリッチの大ファンで、紹介状や友人のツテなどをたどってなんとかマルタ・アルゲリッチと知り合いになり友情を育くんでいたんだそうです。さらにそんな折、別府市長からコンベンションセンター建築の際に、国際音楽祭をここから発信していきたい!と声がけされたことがきっかけだったとのことです。なんと義理堅い!
受賞歴としては、なんとアメリカのグラミー賞を3回も受賞しています。また、日本の旭日中綬章などがあります。
私はマルタ・アルゲリッチが弾くショパンのプレリュードとピアノ協奏曲第1番が大好きです♪
また、インタビュー映像等を見ると、とてもチャーミングで人間としても芸術家としてもとても魅かれるものがあります☆
④ウラディーミル・アシュケナージ(1937~)
アルトゥール・ルービンシュタインと並んで最高峰のショパン弾きと称されたロシア出身のピアニスト。また、20世紀後半を代表するピアニスト3人のうちの1人とも言われています。
ルービンシュタインよりやや早いテンポで、かつ正確に弾きこなすのが特徴で、ショパンとラフマニノフの多くの曲を得意レパートリーとしていることで世界的に有名です。
世界三大コンクールと称されている、チャイコフスキー国際コンクールで優勝、エリザベート王妃国際音楽コンクールでも優勝、そしてショパン国際コンクールでは第2位(ただしアシュケナージュが1位にならなかったことに抗議して、審査員が1人降板するという騒動まで起きた)という、スゴすぎる人です(笑)
現在はアイスランドの国籍を取得してスイス在住。
⑤ギャリック・オールソン(1948~)
1970年に開催された第8回ショパン国際ピアノコンクールの優勝者です。アメリカ人です。この人の弾き方も結構好き♪
ちなみに、なんと同コンクールの第2位だったのは、日本人の内田光子さん(現在はイギリス国籍)です!おそらく日本人としては最高位!
⑥ユリアンナ・アヴデーエワ(1985~)
ロシアのピアニストで、ショパン国際ピアノコンクールの優勝者です。なんと女性が優勝したのはマルタ・アルゲリッチ以来45年ぶりだったそうです!この人の弾き方もバランスとれてて結構好き♪
⑦セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)
ロシアのピアニストで作曲家として国際的に有名な方ですね。多くのピアニストが最も難しい曲としてよくラフマニノフの曲を演奏されています。なんと、そんなラフマニノフがショパンを演奏している録音がいくつも残っています。貴重ですね~♪かなり独特ですが、録音技術のせいなのかしら?
個人的には、なんとなくウラディミール・ホロヴィッツと似た弾き方をしているように聴こえます♪
↓こちらはウラディミール・ホロヴィッツの演奏♪
ああ・・・それにしてもショパンの時代にYouTubeがあったら今も演奏を見ることが出来たかもしれないのに(笑)
ショパンがリストやメンデルスゾーンと一緒にサロンで連弾しているところとか見てみたかったですね!あとモーツァルトの演奏なんかも残っていたらどうなっていただろうなぁ~♪
■ショパンが出版しようとしてた音楽教則本&ショパンについての本
たくさんの弟子をとっていて、指導にも定評のあったショパンが晩年に実は教則本を書こうとしていました。結局は、未完で終わってしまいましたが、草稿は残っていて題名は「ピアノ・メトード」というようです。フランス語のメトードは、英語でいうところのメソッド(手法)ですね。
ショパンファンならずともピアノを演奏する人ならぜひ、見てみたいですよね~!この草稿(下書き)について触れている本がいくつかありました。まだ未見なのですが、目次などにこの草稿という文字がありますので、おそらく紹介されているのではないかと考えています。
・「弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学」(2005 音楽之友社)
・「ショパンのピアニスム―その演奏美学をさぐる」(2004 音楽之友社)
●伝記でショパンの約40年の生涯を知る
ショパンという人物や全体的な作品を知るために、まずは軽く読める伝記的な以下の2冊をオススメしたいと思います。
・「ショパン (作曲家・人と作品シリーズ)」(2004 小坂裕子 音楽之友社)
・「ショパン (カラー版 作曲家の生涯シリーズ)」(1988 遠山一行 新潮文庫)
ちなみにショパンの伝記では、なんとあのフランツ・リストが書いた伝記本もあります。これスゴく読みたいんですけど、なぜか絶版みたいな状態になっていて、Amazonでも書店でも置いてあるのをみたことがありません。。。再販されないかな~!今度、図書館に行って読んでみようかと考えています。日本語訳は以下2冊があるようです。
・「ショパンの芸術と生涯」(1942 フランツ・リスト モダン日本社)
・「ショパン その生涯と芸術」(1949 フランツ・リスト 宇野書店)
【2021/07 追記】なんと「フレデリック・ショパン;その情熱と悲哀」というタイトルで再販されるみたいですよ!!!ほしい・・・でも、なぜかショパンの全書簡シリーズと同じく電子書籍版はなしみたい・・・(泣)
●作品解説に重きを置いた本
・「フレデリック・ショパン全仕事」(2019 小坂裕子 アルテスパブリッシング)
この本はショパンの全作品についての辞書的な本といってもいいくらい必携の1冊!直筆の譜面なども載っていてピアノを弾かない人でも楽しめちゃうかも♪
・「ショパンの楽譜、どの版を選べばいいの?」(2015 岡部玲子 ヤマハ)
こちらもマニアックというかピアノの先生に人気みたいです。楽譜の改訂者によって違いがある出版社ごとの楽譜の違いなどを説明していて驚きの発見がたくさんあります!
●ショパン生誕200年記念の本
ショパン自筆譜2点「エチュード ヘ長調 作品10-8」、「ポロネーズ ヘ短調 作品71-3」、自筆の手紙4点など記帳な資料が記載されています!
・「ショパン―200年の肖像」(2019 神戸新聞社ほか 求龍堂)
そのほか、ショパンとジョルジュ・サンドとの関係を小説にしたという新しい1冊。
・「葬送」(第1部、2部、各上下巻)(2005 平野啓一郎 新潮文庫)
ショパン研究の中心的人物が書いた研究本はこちら↓
・「ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ」(2012 ジム サムスン 春秋社)
そして、ショパンの手紙集!これスゴく高いけど欲しい・・・!
・「ショパン全書簡 1816~1831年――ポーランド時代」(2012 岩波書店 19,800円)
・「ショパン全書簡 1831~1835年: パリ時代(上)」(2019 岩波書店 22,000円)